懐かしい風景(28) 別府町編(9)
浜が消える(1) 神戸製鋼所の建設始まる
昭和36年(1961)2月、加古川市は、3億8000万円の赤字を抱えて、財政は火の車でした。
この時(昭和37年)甘いささやきがありました。
東は、明石から西は赤穂にいたる地域が「播磨工業地帯」として指定を受け、昭和37年、加古川市・兵庫県・神戸製鋼所は、神戸製鋼所加古川工場建設に関する協定書に調印し、加古川市は工業都市に向けて一歩をふみだしました。
神戸製鋼所が本格的創業を始めた昭和45年(1970)頃から、加古川市の財政は徐々に改善されました。
この意味ではある程度評価できます。
「・・・第二次産業の中で素材産業が大きなウエイトを占める加古川市の産業構造は不安な状況にあり、今後活力ある街づくりを推進するためには、バランスのとれた産業構造を確立し経済活動を活発化することが必要である。・・・」と『平成二年度商工概要』(加古川市経済部商工労政部)は指摘しています。
でも、その後、水質汚濁や大気汚染といった公害とも無縁ではありませんでした。
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