OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

偲ぶ会

2015年12月28日 | 書道・筆文字
暮れの日曜、上野の精養軒で書道評論で長く書道界にもの申した小野寺啓治先生の偲ぶ会に。

榎倉先生や尾崎先生はじめ、書壇の大御所をはじめ、多くの書家が集まった。
評論家という職業は、生きている時は大事にされるが、集団の長ではないので、亡くなったらさっと引かれることもある。
そういう意味では、榎倉先生や尾崎先生は関西からわざわざおいでになって義理がたい。

美術新聞社の萱原さんが司会をされていたが、小野寺先生とは若い時、アメミヤがあった頃、新聞発行や企画展を開催し、書壇に新風を起こしていた。
40年ほど前か。ほどなくして、私が書に興味をもって、書道の情報が知りたくて、その新聞を創刊号より取り寄せたことを覚えている。

創刊号から若い号は既に在庫なくコピーして全部揃えて送ってくれた。
今回、そのことを萱原さんに伝えると、「たぶん、私がやったのでしょう」と。
40年近く前のお礼を言えた気分であった。

偲ぶ会委員長の石橋鯉城先生の弔辞は心に響いた。
生前、何かと縁があるとは知っていたが、学習院で石橋犀水に教えを受けてからのご縁だったとは。

不手非止メンバーも発起人側であったが、野中先生と浦野先生だけになってしまってのはさびしいものだ。

今日の一番のサプライズは、はじめに配られた追悼記事コピーとともにあった、小野寺先生の「書壇時評」記事である。

最近の書壇の不祥事に対して記事を寄せたのかと思いきや、昭和47年の新美術新聞からのものであり、先生の書道評論のはじめ、とか。

書道隆盛の頃である。以下、要約にもならないが、ななめよむ。


戦後、書の指導者たちが、あまりに情熱的な書の復興政策に、書を芸術の一分野に定着させるための、涙ぐましい努力と、その位置付けを実証するための日展や毎日展といった中央集権的な展覧会の参加や企画であり、展覧会の価値を高めようとの政策は、多くの弟子を引き連れての出品数を増やし、入選を競うことになっていく。

そこには、師風を真似、少しでも完成品にして入選し、それを重ね入賞し、免許をうけとるような特殊な制作態度が出来上がってしまった。


書の増大した人口が今の体制に組み込まれるとき、書の世界は、ますます孤立化して、閉鎖的な集団として、こり固まるだろう。

日展や毎日展に集合するエネルギーを、各グループの成長と内容充実に向ければ、自ずと個性的作品の発表の場は広まるはずだ。

中堅の作家よ、若手の作家よ、決断すべきときである。



ざっと40年前。
若手といわれていた方々が7,80代か。

なにが変わった書道界?


閉鎖的集団はそっぽを向かれて、悪い意味で、書は素人の時代へ突入しているようでもある。

私は、いい意味での、書は素人の時代をめざす。
書は、書家の専売特許じゃないのだから。













コメント
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