秋蚕仕舞うて 麦蒔終えて
秩父夜祭 待つばかり
伊昔紅
吉見屋さんにかかる秩父音頭の一節の軸である。紙表装ながらいいセンスの軸である。
本紙は継いであるという。
三枚ほどのなかからいいのを採ったと。
それは、のれんのために書いたものだからという。
吉見屋さんのご主人から聞いたお話だが、さらにご主人から聞いたのは、この「秩父夜祭待つばかり」の秩父夜祭というフレーズは、山車を曳く秩父市内の地元の方々は少々気に入らなかったという。地元では「妙見様」と呼ばれていたらしい。「夜祭」は秩父の在の呼び方だったようだ。
伊昔紅命名という桃刀さんの計らいで、三ちゃんとふたりだけ、二階の大広間で、この軸や兜太や秩父七人衆の色紙短冊を鑑賞しながらうなぎを美味しくいただく。
じつはこの吉見屋さん、ほぼ30年前、よく通った。となりの新聞屋さん新築の現場で、現場監督の日銭稼ぎを引き続きしていた。夕方終う頃になると社長の極真息子とよく蹴りあっていた。
吉見屋さん夫妻も新聞屋さんだったご主人も元気のようだが、新聞屋の奥さんがいなくなったのはさびしい。
知らずうちこぼるる花の百日紅 芭蕉洟
伊昔紅・兜太の生家が記念館となり、二回目となったが、兜太10代後半の日記を拝見。内容も深そうであったが、その繊細できれいなペン字が衝撃である。晩年のあの金釘流との乖離。
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