OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

1955年の映画

2016年12月08日 | 書道・筆文字

1955年の16ミリ映画「日本の書」の存在は知っていたが、はじめて観た。

江口草玄さんがなかなかかっこよかった。煙草をくわえた姿がなかなかいい。

さて、その映画の監督は、ピエール・アレシンスキー。

森田子龍「墨美」を知り、日本の前衛書道と関係を持った美術家として知られるが、その作品の全貌がみられた貴重な展覧会は、東急文化村で今日が最終日だった。

知り合いの書き込みに、日本の書に影響されたらしいけど、書よりずっといい、みたいなコメントあり。

総評としては、頷く部分はあるが、書と美術を同じ視線で見過ぎると、核心にたどり着けないのではないだろうか。

「墨美」の時代、世界のアートシーンのなかで評価された日本の書であった。その時、書は芸術になりたがったし、なったのかもしれない。

そのままそれを今に引きずっても、海外の新聞・テレビのニュースにはなっても、それは重要なことを含んではいない。

いま、書は書の存在を確かめて歩む時なのだと思うのだ。

すぐ安易に陥りやすい書なので、こころして歩みたい。

 

 

 

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