遇はざれば 薪にはつる煤竹も
花添ふごとに 映ゆるたのしさ 調
租庸調からの「調」とは面白い。織物の研究をしていたので、今の織物での納税にあたる「調」かららしい。その松岡先生の掲出の歌はプログラムの表紙裏にあった。
その歌の通り、拾ったすす竹を花器にして松岡先生は花を活けてみせたという。その花器を使って弟子は、その教えの通りに今また花を活けた。
その茶室の床の間には、これも三七郎所蔵のはんさんの朱墨でかかれた梵字の軸が掛っていた。
六本木はん居での長唄公演の三七郎の会ではいい時を過ごさせていただいた。
三味線方の殿方たちもしぶかった、笛方の百貴さんもよかった。もちろん三瓶さんとの土蜘も迫力があった。新曲胡蝶での三味線の撥が胡蝶に見えたのは三味線姫君方の艶っぽさだったか。
三七郎という名取になっての初めての唄を国立劇場で聴いて以来の三七郎さんの唄なので、二十年数年ぶりの三七郎の長唄だったのだ。ずいぶんいい唄い手になっていたが、三七郎さんにとって、松岡調という先生の存在は大きかった。お茶、お花、書と総合的に日本の粋を学んだ。
今日は、思いがけず、小川で和紙作りを教えたことのある金唐紙制作の池田さんとばったり。三七郎さんと音楽と美術の違いはあっても芸大からの友人だという。その池田さんは、その昔、三七郎さんに連れられて、はん居にて、松岡先生のお茶の稽古に詣でたことがあったというからうらやましい。
流行や今風を追いかけるのではなく、じっくりやってきたことを丁寧にみせる。伝統が新鮮にみえたのは、三七郎さんの構成力と、はん居の佇まいだったかな。