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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

余韻(Part2)

2018-07-06 08:15:02 | よもやま話

絵のタイトルは、海女城です。
来たよ、沖縄。
そんな気持ちで描きました。


今日のテーマは、「余韻(Part2)」です。

余韻とは、
音の消えたあとでも残る響き。
転じて、事が終わったあとも残る風情や味わい。また、詩文などの言葉に表されていない趣。余情。

2016年2月25日投稿記事「余韻」では、
アグネッタ(アバのボーカル)は、私達に感動そのものではなく、「感動する力」をくれているのじゃないかと。
(余韻より抜粋)
なぜ、余韻について書こうとしたのか。
一生懸命何かをやりました。
忘れたころに、誰かから反応が起こります。
心の余韻。
確かにおまけのような喜びです。

小説や歌、全ての行動に余韻があります。
爽やかなのか、歯ぎしりのような悔しさなのか、人それぞれです。

剣道の残心(激突した後、敵の反撃に備える心の構え:広辞苑より)は、
倒したかもしれない敵が反撃することを前提にした心の持ち方です。
敵をリスペクトしているからです。準備です。
(余韻より抜粋)
これは、ちょっと面倒くさいような感覚です。
大事な作法です。ごめんなさい。
かつて、剣道を習っていた頃、打ちあった後、竹刀で身体を撫でられたことがあります。
その執拗さに、本当に切られているんではないかとイヤーな気持ちになったことがります。

ことが終わったあとも残る風情や味わい。
彼女と過ごしたあとのモーニングコーヒーとも違う。
任侠映画を観て、出てくる観客が一様に肩をいからしているのとも違う。
源氏物語の主を送った後、すすきを揺らす風とも違う。
なんなんだ、余韻とは。

言葉に表されていない趣。
このみょうちくりんな感覚のことです。
一生懸命に生きています。
身体のあちこちに支障が出ています。
しかし、やり抜いたと言うか、爽やかさがあります。
分かってもらってるんじゃないだろうかという安心感です。
アグネッタのように、「感動するちから」を配信できると良いな。
生き様です。

余韻を残すような生き方をしたい。
いずれは忘れられると判っていても、一瞬だけほほをくすぐる風になれたら。
つまりは、自分がそう感じられるかということかもしれません。
物事や事象に感じることができる。
面白い話を聞いた後に、誰かに幸せを分けてあげたい。
それには、間が必要です。
相手が理解する間です。
笑顔であったり、スキップだったり。
言葉は不要です。

言外のこころを知りたい。
言えぬ苦しみを分かってあげたい。
まだ先は長いと感じます。

「余韻(Part2)」でした。

雨の日に 洗濯干して 晴れになれ

2018年7月6日
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やりたいこと、できること

2018-07-05 06:01:42 | よもやま話

タイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
心配をよそに、孫はさっさと川を渡ってしまいました。


今日のテーマは、「やりたいこと、できること」です。
やらなければならぬことは、数え切れぬほどある。
できないから、あきらめる。
そんなことの繰り返しで、ゴミ屋敷になっていく。

膝を痛め歩行が困難になり、万歩計のエネルギー消費カロリーが半減した。
ひたすら、膝の回復を待っている。
無理がきくようになってから、絞ることに決めている。
回復を待たずに、痛くない程度まで動かすことにした。
それでは遅いと思ったから。

停年になったら、図書館に行き読書三昧をしよう。
観たかった映画をじっくり見よう。映画館に行こう。
永年苦労を共にしてくれた妻と旅行に行こう。
趣味の釣りを再開しよう。
仕事のせいにして、会えなかった恩人に会いに行こう。

図書館も映画館も2か月も通えば飽きてしまう。
妻だって、自分たちでサークルを作り毎日のスケジューが埋まるくらい楽しくやっている。
今さら、夫と旅行なんてスケジュールが作れない。
釣りを再開したものの、近所にさえ釣った魚を毎日は配れない。
妻が期待する「出かけて」に応えて、釣りに行くのもしんどくなる。
恩人さえ、もうこの世にはいない。
あるいは、施設に入り会いたがらない事情を抱えている。

条件さえそろえばやろうと思う間に、浦島太郎になっているのです。
では一人で出来ることと決意し、世界への旅に出る。
旅行記をしたため友人に送る。
書き慣れない文章で綴った旅行記を、初めは読んだ友人もやがて積んでいく。

「やりたいこと、できること」を、条件が揃えばできると高をくくっていた。
素敵な女性を目の前にして口説かぬバカの多いこと。
自分に時間が出来たら挑戦しようと、
動く船にここがよかったと印をするようなもの。
船は動いていることさえ忘れている自己中心型の典型です。

どこかの予備校の先生が言っていたように、「今でしょ」とは思う。
明日からダイエットしようと、今日は甘いものを腹いっぱい詰め込んだ。
毎日、その繰り返しとなる。
青春があっという間に去ったように、早く大人になりたいと思ったことさえ忘れてしまった。

明日は、脳の血管が切れて、後悔さえ感じられぬことになるやもしれない。
まずは、捨てることから始めよう。
もう、増やすことは要らぬこと。
「できること」から始めれば、身体もスリムになり「やりたいこと」もできるようになるだろう。
「やりたいこと」があるのなら、ちっとでも取りかかれば、「できること」に変わるだろう。

年をとっても未知のことは、いっぱいある。
過去の、あの甘酸っぱさも覚えている。
やけどもしこりも、あんなに気にしたことも、日々の忙しさにかすんでしまった。
今までで来たじゃない。これからもできるかもしれないと、
「やりたいこと、できること」をするしかないのです。
順番はどうでもよいのです。
明日は、「やりたいこと」を忘れてしまうかもしれない。
明日は、「できること」ではなくなってしまうかもしれない。
青春が気付かぬうちに去っていってしまったように。

うずくから 線香花火を 一つ足し

2018年7月5日

(書いた後)
腰が痛くて、仕事に支障をきたすようになりました。
ままよと、一か月仕事を休んだことがあります。
痛くない姿勢を4時間続けました。
恐る恐る動かし始めました。
続けること4日間、あれ不思議、痛みが少しずつやわらぎ始めました。
5日目からは温泉に行き、、10日目にはすっかり痛みが引いていきました。
せっかくだから、あとの20日間は、やりたいことをして過ごすことが出来ました。
自分がやらなければと思い込んでいましたが、他の人でも十分できました。
寂しくもあり、頼もしくもありと感じたものです。
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文章を書く

2018-07-04 07:25:31 | プロジェクトエンジニアー

仕事のあとの独酌の絵です。


今日のタイトルは、「文章を書く」です。
朝起きて、ルーチンワーク(炊事、洗濯、掃除)をこなしていく。
出したい欲求を満足させると、お腹にスペースが出るのか喉が渇くのか、コーヒーが飲みたくなる。
洗濯をすると、干さなければならない。干せば乾くからである。
これをしたからと言って、終わることは何もない。

私にとって、「文章を書く」ことは、
悩んでいることや気にかかることを、いったん整理する作業のようである。
今考えられる限りの文章を書く。
整理がついた(気が済んだ)ことは、脳の棚に自動保管されます。
またある時、その棚から引っ張り出されることもある。
忘れてしまいたことや、思い出せないことはそのままお蔵入りです。
それでよいと思っています。

伝えたい時が来ます。
自動保管された棚から、整理された話題が引っ張り出されます。
よく使われる棚からだんだん奥へと扉は開かれるようです。
何度も同じことを言うように聞こえるのは、そんなことなのです。

過去、考えて整理がついたことが多ければ、話題は多岐にわたり豊富になります。
考えたり感じたりしたことがなければ、その場で考えることになります。
ワールドカップで敗戦した西野監督のコメントが良い例です。
きっと、頭は真っ白になっていたことと思います。
2-0で日本がリードすることなんて想像だにしていなかった。
どうしようと考えられなかった。
ベルギーに弱っている(体力が落ちている)日本の両サイドを突かれることになった。
その後の3点取られた経過は、すべて両サイドから自由にボールを上げられたことがベルギーの得点に繋がりました。
采配の遅れが出た。同点での選手の交代は遅かったのです。
想定できないことが起こった時の対処です。
その場で考えるには、引き出しが少なかったと思われても仕方がない采配ミスでした。
これまでの戦い方で良いのだと言う成功例(2-0)が、判断の邪魔をしたようにも感じました。

話せないことと伝えられないことは、少し違います。
考えていた(想定できた)ことだが言えない。
考えてもいなかったので言えない。
この違いです。

プロジェクトマネージャーの資質で、最も求められることは「対処」です。
エンジニアから相談を受ける。あるいは、クライアントから要求される。
即座に引き出し(想定済みの棚)を引っ張り出し応える。
あとからこれは判断ミスかなと感じたら、恥をかなぐり捨てて修正する。
とにかく、答えをすぐに出すことなのです。
それには、考えられる想定問答を繰り返すことになる。
想定問答に必要な情報(インとアウト、現場で起きていること、人の能力分析、ゴールまでの道のり)を
収集することから始まる。
つまりは、見積もり時にあらゆる想定をして、見積もりをしたり条件書を書くことになります。
営業であれば、年初にコミット(成果をこのようにあげると宣言)し、
約束(ビッグマウス)を果たす懸命の努力をし、年末に皆と喜ぶ。
見積もり時に考えられないことが、現場で起きるのが常です。
想定できなかった自分が未熟だったと考える。
現場に出向き自分で見聞きして判断する。
横着は一切しない。
私は、そうして長い間、プロジェクトマネージャーを続けることができました。
連戦連勝でなければ仕事はこない。
プロジェクトマネージャーに求められることです。

私にとって、「文章を書く」ことは、転ばぬ先の杖だったのです。
今は少し違ってきました。
私は、ブログを読んでくださいと、会う人ごとに勧めます。
自分を開けかすのではないようです。
ブログのサブタイトルは、「故郷へ恩返し」です。
若い人に伝えられるものなら、感じていただきたい。
同年代なら元気になっていただきたい。

意識障害になった義兄のために、「法定後見人」になろうとしています。
亡き妻との約束だからです。
義兄が危ないと病院から連絡が入り、病院にかけつけました。
持ち直しました。
予断を許さぬ状況と判断し、葬儀場と坊主の当たりを付けてきました。
人の一生は、始まる時も難産なら、終わる時も労力がいるものです。
残された出来る人がやってきました。代々そうでした。

頭を整理するための「文章を書く」でした。

残り火は 消える前に パッと咲く

2018年7月4日
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剥製師

2018-07-02 03:16:10 | プロジェクトエンジニアー

在庫の絵から引っ張り出して、この絵を選択した。
タイトルは、切り株。
年輪は、年ごとの幸不幸を永きに渡り教えてくれる。


今日のタイトルは、「剥製師」です。
「ばあちゃんたちから予約があった」と、妻がカフェの玄関で待っていました。
そこへカブ(50cc原付自動車)が通り過ぎました。
そして、引き返してきました。
「替わりにじいちゃんが来た」と妻が笑っています。

老人は、大正15年(つまり、昭和元年)生まれの90歳と言われた。
特攻隊の生き残りだと笑っておられる。
耳が遠いのか、一方的に話される。
耳が遠い人は、幸せになれる。と誰かが言った。
その通りだと思った。

妻から話し相手を替わってとサインが出た。
私は、隣町のナンバーを付けた原付バイクを事前に見ていた。
老人のよもやま話が、一通り終わった頃、お名前はと聞いた。
年齢は、92歳と思われるがと聞いたら、90歳を過ぎてから数えるのを止めたと言われた。
老人は、テープで補修した補聴器を出されてイヤホンを耳にさされた。
やっと、会話をする気になられたようである。
もぞもぞと、腰に巻いたポーチのチャックを開け閉めされている。
財布らしきものを出されて、名刺を出された。
県・動植物保護サポーターと公タイトルがあった。
メインタイトルは、はく製師となっていた。私も名刺を出した。

しばし、はく製の仕事について話された。
動物をはく製にする場合、冷凍にして保存できないから終わるまでの作業となるらしい。
小さいもので一昼夜、大きいもので三日三晩となるとのこと。
だから、大きい動物の仕事は受けない。
はく製は、公的な機関からの依頼が多く、金に糸目は付けないとのこと。
最初の疑問、冷凍にできないという理由を聞いた。
肉は冷凍保存できるが、皮は冷凍すると組織が破壊されるとの解説であった。
試しに、熊のはく製の値段を聞いた。
一呼吸おいて、おごそかに30万円と答えられた。
案外安いのだと思った。でも三日三晩の報酬だから、真実味があった。

老人の名前は、この地域では珍しい名前であった。
この辺りにあった陣屋に、祖先は祐筆として勤務されていたと説明された。
納める代官の圧政に耐えかねて、一揆を首謀したのも先祖だとルーツを示された、
古文書の現代訳が入った封筒を自己紹介だと言って帰り際にいただいた。

特攻隊、はく製師、一揆と時代を行ったり来たりの話を聞いた。
老人は、妻が土産にと渡した「焼き立てのパン」を持って、悠然とカブで真の目的地に向かわれた。
方向指示器が出たままだがと心配したが、次の曲がり角で変更された。
徘徊のカブ版と思い心配した。
老人に悪いことをした。
きっと、また来てくださるだろう。

年取らぬ 数えるやめて 悠然と

2018年7月2日
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おじさんになる

2018-07-01 11:14:38 | よもやま話

今日のタイトルは、「おじさんになる」です。
この辺りでは、機械などが故障して使えなくなることを、「おじさんになる」と表現されます。
使う側も悪気はないのだけれでも、ショッキングな言葉でした。
おじさんは使えない。
何で、おじさんは使えないのか。
身体能力が落ちた。
口ばかりで、身体が動かない。
自分の成功体験を押し付けるだけで、新しいことに挑戦しない。
パソコンやSNSに不慣れなのが、おじさんです。
人の意見に柔軟に対応できない。
うるさいだけで、仕事ができない。

職人の動きを観察しているとよく分かることがある。
二人で、ものを固定する時、いち早くボルトを付けるのは決まって年寄りの職人でした。
若い方は、力づくでボルトの穴をあわせる。大汗をかくことになります。
年寄りの職人は、しのを使って自分の受け持ちの穴を合わせた後に、ボルトを入れる。
一本入れたら、あとは簡単に入れられる。この一本目の合わせが成否を分けます。

二人で物を運ぶ時も同じです。
いち早く、腰を入れて持ち上げるのは、決まって年寄りの職人でした。
立ち位置になって保持しながら、斜めになった方を持ち上げる若者を待っていました。
斜めになった分、力が必要です。

おじさんは使えない。
もう、ぼろ同然の扱いです。
つまりは、新品ではなく中古品を意味します。
いやいや使い込んだ道具は、手になじみ扱いやすいのですがいかがでしょう。

使えないおじさんをいとも簡単に扱う若い女性がいる。
気をつけているのは、「さしすせそ」を頭文字とする魔法のキーワードです。
「さすが」「知らなかった」「すごい」「センスいい」「そうなんですね」という5つの言葉。
おじさんは、舞い上がらんばかりに俄然やる気を出して活躍し始めます。
このどれかの言葉を聞いたら、「やられたな」と密かに思い、頑張りましょう。

おじさんは、「ひねくれもの」で次に「きめっこ」(拗ねる。広島弁でははぶてる)です。
控えめでちょうど良い。
若いものが困った時に、相談するのはおじさんです。
その時のために、刀を常に研いでおきましょう。

2018年7月1日
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