故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

自分が種を蒔く

2020-10-19 06:07:22 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「興味津々、まさに無邪気」です。
子供は、こうでなくちゃ。


6年半かけて、1800の記事を書いた。
自分なりに、持てる力とユーモアを注いできた。
このままではと、記事一つずつをワードに転載しファイルを作った。
バカヤローと言うくらい、書いている。

今日のタイトルは、「自分が種を蒔く」です。
小説家の先生は、作曲家は生涯をかけて数千、数万と書き上げる。
だから、私の記事数は大したことはない。
蒔いた種を残したい。いずれ本にしようと考えている。
読まれることは、念頭にない。とにかく種なのである。

田舎暮らしと都会の暮らしの違いを論じてみよう。
田舎暮らしは、「自分が種を蒔く」ことを許されている。
都会の暮らしは、誰かが種を蒔き、順繰りに役割に応じて収穫をする。
田舎暮らしは、自己完結型と言ってもよい。
役割に携わる人数が違うからである。

ことさらに、違いと面白味について書くつもりはない。
仮に、「自分が種を蒔く」と、刈り取り迄責任を持たなければならない。
種をたくさん蒔いて、間引きをする。
収穫のサイクルは、数年だったり数週間だったりする。
種が苗になり、苗が成長し実をつける。田舎ではこの経過を見ることができる。
併せて責任も付いて回る。畝あげや草取りをするのも、種を蒔いた人の責任である。
分業などはない。

私は、都会でも田舎でもブログを書いてきた。
単なる興味本位から、自らの挑戦に変化してきた。
都会で書いていた頃は、自分の身の周りのことについて書くことが多かった。
田舎では、遠くを見る癖がつき、視野と考えが広がった。
普遍的なことへの挑戦が多くなった。

子供へお父さんはこんな奴で、このように生きて来た。
都会で暮らしているなら、それでもよかった。
ここでは、そうはいかない。
東京が風を引けば、田舎はくしゃみをする。
東京でコロナが収まらない。田舎の人は、じっと嵐を過ぎるのを待つ。
確かに、ここには、美術館、図書館、素敵なカフェも便利な交通機関もない。
物資も乏しい。
しかし、子供への目配りは都会とは段違いである。
我が子以上に他人の子供の心配をする。笑わせ、時には叱る。
種が実るのを感じられる。子孫と祖先を感じることに置き換えてもよい。
だから、「自分が種を蒔く」責任を取らざるを得ない。

地方創成の人材として、大企業でも活躍できる本物の人が求められている。
誰かが役割を果たさなければならないとしたら、
地縁血縁(しがらみ)のない人物のほうが、外野の噂を気にせず仕事ができるだろう。
問題は、引き継ぎである。素晴らしい種を蒔いても、収穫のサイクルは長いのである。

私の種は、吹けば飛ぶような代物である。
現実、種を蒔き続けている。実ろうが、雑草に負けようが、それは努力であり、運命である。
6年の軌跡を視ながら、続けようと再確認をした。

種を蒔く 我田だけにと 人は言う

2020年10月19日
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