
文字通り、ありがとなジン君。
今日のタイトルは、「動物を飼う」です。
物心がついた頃、家には猫、牛、鶏がいた。
耕運機を買うまでは、牛に鋤きを引かせて田んぼを耕していた。
鶏は、卵を産んでくれた。卵は貴重な蛋白源であり、子供達の弁当のおかずになった。
猫は、勝手に住んでいた。餌は、家族の食べ残しだったように思う。
家に貯めこむ穀物や野菜を鼠から守る役目があったのだろう。
動物を飼っていると、家族総出で出かけられない。
家族で出かけるなんて思いもしなかったから、気にもしなかった。
横浜に住んでいる頃、犬を飼って欲しいと息子が言った。
一軒家に住むようになったから、それも良いかなと思い飼い始めた。
息子も忙しくなり犬の世話ができなくなって、親が犬の面倒をみるようになった。
孫が出来、犬は孫が泣くのを心配そうに周りを回っていた。
孫に乗っかかられても、迷惑そうな顔をするだけで、犬は怒りもしなかった。
犬に連れられて散歩に出たり、遠出もするようになった。
子供が忙しくなって、犬は夫婦のかすがいになった。
家族で出かけるとなると、犬も一緒にとなって限られた場所になり、長い距離の移動は不可能になった。
犬は天寿を全うした。看取って、骨にした。
犬の介護は、壮絶だった。息子と娘がよくやった。
ここで、動物を飼う気にならない。
家族全員の二人で出かけることも多く、それこそ留守番の動物が可哀そうである。
犬や猫が嫌いではない。その証拠にカフェの大家さんの猫がなついている。
認知症で施設に入られた飼い主の身代わりが私である。
自然が豊かで、その成長の手助けや管理をすることで手一杯である。
飼い犬や飼い猫のように身近ではないが、野菜や庭木が癒してくれる。
裏の森では、早朝ほととぎすが、「早う仕事をせい」とやかましく鳴いている。
苗を植えるこの時期だけである。
夜は、みみずくかふくろうが、ホーホーと鳴いている。
動物を飼うのは、動物に役目があってのことと考える。
この辺りの犬の役目は、防犯である。
車には反応しないが、歩いていると不審者扱いで、いつまでも吠えてくる。
先輩が犬を飼い始めた。
家の中は、潤いが出たようである。
万歩計のカウント数が毎日の楽しみだった先輩は、出かけなくなった。
夫婦で出かけることもなくなった。
年間30回もこの地に来られていた先輩が来られなくなった。
時には、夫婦で来られていたのに、来られなくなった。
よって、頻繁に訪ねることにした。
動物を飼うのは、必然性があってのこと。
家族の一員であり、役目があってのこと。
犬飼って 看取るはどっち いい勝負
2018年5月29日
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