故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

久しぶりの「ウフフオホホ」です。
絵のタイトルは、「永観堂」です。
妻が洗濯機の開始ボタンを押した。
洗濯機が停まっても、干す気配がない。
私が干す。
流れで掃除機もかける。
狭い我が家、出っ張りも引っ込みもないから5分で終わる。
妻は、私が家事を始めるのを待ってくれている。
私が家事を始めると、「あらっ」と洗い物を始める。
見ようによっては、家事が面倒くさい様子です。
夕飯も手を抜きたい。
料理を始める前に、何々を作るぞと始める。
私の頭は、その料理が食べられるとイメージする。
冷蔵庫に何があるのか知りたくて、妻は隙間が欲しい。
手を抜きたいが、残り食材の整理もしたい。
気が変わった。
宣言通りの食べ物は出てこない。
今、残っていたお茶を飲んだばかりなのに、ポットに残っていたコーヒーが出てくる。
待つことは大事です。
妻がやれば、お茶の子さいさいです。
でも、じっと待つ。
子供に「かたづけなさい」と号令をかけるより、自分がさっさと片づけたほうが手っ取り早い。
お義母さん、私がやるから。
お母さん危ないから、野良仕事をやめて。
都会に出て一緒に住んでよ。
そして床の間に飾られる。
実家にわざと段差をつける。
台所やトイレまで、危険で遠いこと。
それでも、お義母さんや母も長年住み慣れた我が家が恋しい。
時間が薬。
妻はお茶を飲みながら、「やろうと思っていたのよ」と待ってくれています。
私は、妻の気遣いに感謝する。
皆の前では、「私がやってます」という顔をする。
私は。。。。
開けた口をつぐむ。
妻の速射砲の前では、出る幕もない。
私の心の健康は保たれるかな?
じっと、空を見上げる。
これもよし。
2025年6月3日

絵のタイトルは、「あなたに会いたい」です。
文章を書いたあと、手持ちの画像を張り付けています。
新しい絵がないことを気にしています。
もう描けないのか、描かないのか。
すべて、自分次第です。
自分は認知症に罹っている。
続く人に、変わっていく自分を残していく。
そんな医師の話を聞きました。
この方の職業が医師だからなのか、自分しかできないと思われたからなのか。
医師ゆえに科学的に患者に接する如く、変わる自分を刻銘に綴っていく。
出来ないことだなと思いました。
今日のタイトルは、「日常を綴る」です。
タイトルのあとに、「勇気」を付けたかった。
それでは、いかにも偉そうであるとやめた。
気がかりだから、草を刈った。
1反近くの草を刈った。
毎朝一人だけが通る野道を、歩きにくかろうと先に刈る。
3時間をかけ、タンク(0.7リットル)2杯が空になった。
気が済んだ。
スナップエンドウ豆、ソラマメも実を食べるエンドウ豆も終わりです。
最期の収穫を済ませ、根を上げた。
妻の気がかりです。
収穫した野菜で夕食は満艦飾です。
昨年作ったキウイ酒を飲む。
キウイの苦みがほどよい。
なり始めの青臭さがとれ、豆も最後となると甘みが強い。
夕方6時だと言うのに眠くなり布団に入る。
変化が乏しい日常が楽しくない。
明日も同じ繰り返しです。
休むために働く。
働くために休むとは考えなかった。
そんな現役時代でした。
できるかな。
できるとも。
毎日が挑戦となった。
働ける(体を動かす)ことが嬉しい。
休むことも楽しい。
すべての人が送る日常です。
尊いとしか言いようがない。
2025年6月3日
(あとがき)
雨の日が嫌いでした。
外で遊びたいのに、ストップがかかる。
無条件に休める雨が、好きになる日が来た。
また、動ける。
きっと、動けるはずである。
認知症の医師も、そう感じたことでしょう。
今しか書けない。
自分しか書けないと「日常を綴る」。
SONGSに出演された香取慎吾さんを観て、書こうと思いました。
画面を通じて、彼の仕事に対する取り組み(生きざま)に心を動かされました。
(筆者)