故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

On the street

2024-06-08 00:01:41 | よもやま話

絵のタイトルは、「お兄ちゃん、弟よ」です。
灼熱のアスファルトで生き抜くアザミ兄弟です。
炎天下、工場建設の監督をしながら草取りをしている私に老婦人が声をかけた。
あっちの工場では、昼間にはシルバーに草取りをやらせないらいしよ。
紹介してあげると言ってくれた。


目立て機の修理にスイス人の老技師がやってきた。
製粉機全般に使われているロールである。
周速が違うペアロール(150トン/時間ラインでも数十台)で
麦の殻をむき150マイクロンの粉にするまで、徐々に負荷をかけていく。
目立て機(旋盤の形式)の勉強も兼ねて、一緒に目立て機がある日本の製粉工場を訪ねた。
スペシャリストとして、彼は一人で行き世界中の目立て機のメンテナンスをする。

英語が不得意な私にも分かるように話してくれた。
どこで英語を勉強したんですかの問いに、
''On the street''(今日のタイトル)と老技師は答えた。
現場を見て、摩耗した部品を製粉工場の機械で自分で作ったりした。
後に、博多人形を土産にし、スイスの彼の自宅を訪ねた。
出張依頼がない時は果樹を植え、農業をやっている。
案内された彼の工房には、農業機械を修理できるあらゆる機械と資材があった。

スイス人の彼は家も自分で建てた。
新たに家を建てる場合、近所の了解をもらわなければならないらしい。
時には、屋根の色についても要望が出るとのことであった。(那覇の家並の条例に似ている)
冬に山まで連れて行ってくれ、2000m級の山頂で上半身裸で日光浴をしているのを見た。
1000m級の滝にも案内してくれた。
凄い景色だが、観光客が少ないねと感想を述べた。
スイス中こんな景色で珍しくないと答えた。

''On the street''
田舎の道ですれ違うのは知り合いばかりです。
「どこへ行くの」というあいさつ代わりの声掛けが嫌で都会に逃げた。
半世紀ぶりに故郷に帰り、畑をやっている。
散歩をする人々が、声をかけてくれる。
外に出なければ、何も始まらない。
憧れた都会では、すれ違う人は多くても互いに知らん顔だった。
歩き回っても、電車に乗ってすれ違っても、一日中一言も話すことがなかった。

英語を学ぶのも、世界が広がるのも''On the street'' です。
パキスタンで市場に行き、毎日同じ店主からぶどうを一房買った。
繰り返されるネゴシエーション(来いよと相手の目が誘う)が10日も続いた。
2週間も通い続けると、笑顔だけで昨日と同じ価格になった。
ドイツで入ったトルコ系の店では、「ドイツ語で注文しろ」とトルコ人に言われた。
客として居合わせたイタリア人が、私から英語で聞きドイツ語で注文してくれた。
三者で笑った。
韓国で新規機械のテストで行き詰り、韓国人にアドバイスを求めた。
意見が異なる人たちがつかみ合いの喧嘩になった。
聞かなければよかったと後悔した。

東北のバス便は1日3便だった。
誰も歩くものがいない歩道を歩いて帰った。
翌日、出会う近所の人々から、「都会の人は歩くのが得意よね」と冷やかされた。
噂話は、新聞より早かった。

’’On the street''を聞いたときは、新鮮な言葉であった。
今では、生きる術の代名詞と理解できるようになった。

2024年6月8日
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