故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

目立たぬ大物

2024-04-06 11:23:56 | プロフェッショナル

絵のタイトルは、「大崩海岸」です。


今日のタイトルは、「目立たぬ大物」です。
久しぶりにプロフェッショナルの項目を書きます。
私がエンジニアリング会社に転職したのは、39歳の時でした。
入って驚いた最初のことは、ジョブを失注したときのメンバーたちの動揺でした。
石油産業に携わることを夢見た人たちが、食品グループに回されました。
会社は、石油産業に代わる何かを探していました。
私は、穀物産業に携わっていたという理由だけで採用されました。

50歳を過ぎたロートル(いわば、窓際族)が、失注して泣いていました。
残念会を企画した課長が慰めていました。
この課長こそ、「目立たぬ大物」だったのです。

決まったことだけ、ノートに書く。
参考にみせてもらった議事録は、たったの2行でした。
失注したのちに取り組んだプロジェクトは、伊藤忠と組み、セブンイレブン専用のパン工場を作ることでした。
食品産業のことを何も知らない人たちの挑戦でした。

北海道に行き、モデル工場を見学しました。
系列の別工場で作られた冷凍生地を解凍後、焙炉(ほいろ)にかけて成形されたパン生地を発酵させていました。
パン職人が、パン生地の顔を観ながら、棚の上下、吹き出し口から遠方・近くと頻繁にラックと容器を移動させていました。
焙炉内に熱電対をいくつも設置し、吹き出し口が一つだけの庫内温度の熱変遷を記録しました。
20℃の差がありました。信じられませんでした。
湿度は、言うまでもありません。50%WB違いました。

24時間3便制で店舗に配達するシステムがセブンイレブンから通達されました。
社会問題(交通渋滞の原因)となり、後に2便制になりました。
しかも、全アイテムが34品種で、1週間に2品種は新製品を出す。
セブンイレブンから派遣されたマーチャンダイザーは、先週のパンと今回のパンの違いを的確に指摘しました。

しかも、工場内で働く人の90%以上は、パートタイマーで構成される。
いわば、素人が作るパンだったのです。
セブンイレブンからパートナーシップの実現を迫られていた伊藤忠は逃げ場(第一工場を作る)を失いました。
白羽の矢が立ったのは、食品が素人のエンジニアリング会社でした。
どこかの倒産した総菜食品会社を見つけ、2か月の突貫工事で製品出荷まですると決まりました。
食品業界に新風をふかすぞと始めた新規参入でしたが、相次いで失注しました。
20人以上いたスタッフは、3人になっていました。
新入社員の私が設計を担当しました。

1か月詰め込み(座学)で、事前にパンを学びました。
ホテルで、パンを作っていた方が引き抜かれました。
パン職人ではあるが、工場を作ったことも回したこともない方がプロセスオーナーになりました。

課長は、石油プロジェクトで没になった工程支援システムをリニューアルしました。
素人が、工程支援システムどおりにワーク(この場合は冷凍生地)を鉄道の時刻表のように動かすものでした。
パンの行程時間(冷凍生地から包装まで)は8時間でした。
注文を受けるのは午前11時、1便を出荷するのは午後4時でした。
注文された種類、個数を製造する最適解をコンピューターで計算し、20分で現場に指示書を出しました。
指示書が遅れるほど、安全をみたロス品(経営を圧迫)が多くなりました。
当時花形だったオーブンで、150℃から230℃までの焼き上げを実現するのは至難の業でした。
温度をあげるのはバーナーを増やせば可能ですが、下げるのができませんでした。
5℃/分昇温、5℃/2分降温をメーカーに仕様変更させました。
素人が何をいうかと、オーブンメーカーはかんかんでした。
解凍庫と焙炉については、熱分析ソフトを使って、庫内温度が均一になる庫内形状と吹き出し風速を計算しました。
ラックに冷凍生地を載せて、素人が時間通りに運ぶシステムで、ラックの上下・左右・奥と手前の解凍速度は均一でした。

工程支援システムは、後に参入した大手食品メーカーのエンジニアリング会社にすぐコピーされました。
解凍庫と焙炉を作ったメーカーは自社開発(指導されたのを忘れていたのでしょう)したと業界で威張っていました。
当初のロス品は20%でした。工程支援システムを入れたのちは5%になりました。
素人だから、問題を浮き彫りにでき、他産業の取り組みをいち早く導入できました。
卵塗機から包装機までの機械高さは、当初80cmでしたが、
パートタイマーの身長が伸びるにつれて90cmにしました。
背が低いおばちゃんには踏み台を用意しました。
パートタイマー(特に夜勤)には日系ブラジル人が多く、90cmでも低かった。
1週間に2アイテムごと新製品が投入される全34品種のほとんどが、窯前加工と窯後加工で味付けされました。
セブンイレブンの商品の変遷は激しく、ナショナルブランドの寿命は3か月で、残存率は15%でした。

「目立たぬ大物」の課長は、社長や役員が出席するコストチェックでも譲らず、肝は隠し通していました。
わずか一か月で、工程支援システムを再生し、熱分析を成し遂げました。
パン業界の常識を変える斬新なアイデアを出し、実現しました。
プロジェクトマネージャーのほうが、責任を取らぬ役員より偉いと思わせてくれました。
2か月の突貫工事が終わり、課長は野毛のバーに私を飲みにつれて行ってくれました。
課長の手が伸びて、ママの尻を撫でていました。

茫洋とした課長は、まったく風采の上がらぬ目立たない人でした。
この会社に10年勤めリストラされて、懲りずにこのエンジニアリング会社に再入社したときまだいらっしゃいました。
70過ぎのロートルに、この会社の健康保険組合の寿命は70歳だぞ、もう辞めさせてくれと懇願されていました。
このエンジニアリング会社は、また景気が悪くなり私は再度リストラされました。

2024年4月6日

(あとがき)
プロジェクトXがリニューアルされて放送されるとNHKで観ました。
触発されて、今回の記事を書いた次第です。
30年前の話です。
目立たぬ責任者こそが、時代の花形です。
そして、私の財産です。
(筆者)
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