私は、まだ自分の墓を建設していません。
少しだけお金はありました。そのお金は、生きているものに使おうと思ったのです。亡き妻も許してくれると勝手に思うことにしました。亡き妻のご先祖の菩提寺の住職が快く、一時お骨を預かることを了承してくれました。
気がかりでした。いつまでも家に置いておけないと思いました。亡くなった妻にも申し訳なく、残った家族もあきらめがつきません。
明日、納骨します。
亡き妻との間には、4人の子供がいます。どの子も、今のところ優秀ではありません。しかし、どの子も私を父と思ってくれています。
やっと、勤めが果たせると思うと気が晴れます。亡き妻との思い出は、一緒に過ごした月日と共にあります。それは私の胸のうちに納めることにしました。子供達は、そうではありません。亡き母の思い出と共に生きています。
人生を語るには、いささか気が引けます。まだまだであります。
やりたくてもできなくて、亡き妻はどんなにか悔しくて無念であったでしょう。感謝の気持ちしか湧いてきません。貴女と暮らしていた時に、今感じる少しでも分かってあげられていたらと、私は後悔しています。
もう少し頑張ってみます。
2014年8月2日
前にも、話したかもしれませんが、お聞きください。
よりリアリティーがあります。1年前に手紙に書いたものを転用します。
内容は、1回目と2回目のプロジェクトが混じりあっています。しかし、プロジェクトにかける意気込みが伝わってくるので載せることにしました。同じような内容(Know-how は果て無し)で書いています。その時は、「作る側」と「使う側」に視点を移して同じ内容を取り上げています。プロジェクトの怖さと面白さを伝えるには、今回のほうが面白いと思い、掲載することにしました。前回と細部に違いがあります。ご容赦ください。あるプロジェクトマネージャーの物語として読んでください。
S 様
いつもお世話になっております。
この季節、毎日のご通勤ご苦労様です。
今回は、仕事について書いてみます。
2002年、秋も深まった頃、やっと明日引き渡しとなりました。
私は、懸命に「竹トンボ」作りをしていました。
やっと、この日を迎えることが出来た。最後の仕事を、私は仕上げにかかっていた。竹を乾かし、荒削りはすでに終わっていた。
バランスをとりより薄くし、高く飛ぶものをつくるのである。さっきから、同僚のKさんは、話しかけても来なくなった。
(後に聞いたことだが、あまりにも忙しくて、プレッシャーに負け、「私は気がふれたのではないか。」とKさんは思われたそうである。)二人は黙々と自分の作業に没頭していた。
深夜の現場はことさらに静かである。この後に思いもせぬ出来事が待っていたのである。
今回のPJ(二回目)の一年前の10月に、金額の最終打ち合わせを顧客の社長とした。さしである。要求は、読み切った通りの金額であった。いかにもハードネゴだと困った顔をする。社長に、「これ以上のネゴは受け付けない。この場で注文をくれることを条件に、値引きを受ける。」と回答をする。数億円の値引き交渉である。にらみ合いが続く。お互い疲れた顔をしている。社長は喜んでいる。とても無理だと思った金額を提示し、私が受けると言っているのだ。取引成立。私は十数億円で受注した。
前回のプロジェクトで、追加工事のため6ケ月もこの現場に残ったことを思い出した。確かに、その時は検討不足のことがあり、失敗した。私は、全てのクレームを受けた。
来る日も来る日も、手直し工事に時間を費やした。完成後2ケ月で、300項目あったクレームが50項目に減っていた。24時間365日動く工場でのクレームは予想以上にハードだった。
業者は、サウナに宿泊し、24時間3交代で出てくるのである。生産の合間を抜って手直し工事をした。最後まで残った業者は、春に「もうやめさせてくれ。」と泣きついてきた。1億円の違約金を払ってもいいと言った。重大な局面である。私は許さなかった。なんとしても「最後までやれ。」とお願いと恫喝をした。
驚いたことに2ケ月後に50項目の残工事に目処も立ったころ、お客は、さらに300項目のクレームを追加してきた。私は受けた。さらに4ケ月後、最後の30項目になった頃、「Oさんもう帰っていいよ。エンジニアリング会社は逃げると聞いていた。だけどあなたの会社は最後までやってくれた。後の工事は、通いで対応してください。」と、これが前回のプロジェクト。
私は、大いに反省した。元はきっと取り返してやると誓った。
今回が、2回目のプロジェクトである。「あとから出てくるクレームの先取り」に最も力を入れた。今回のプロジェクトのため、顧客オペレーターの教育プログラムを組んだ。「もっと良い工場にするには何をしなければならないか。」顧客のプロジェクトチームだけでなくオペレーターと一緒に考えた。我々もプロフェッショナルのチーム編成にした。チームと言っても3人である。3人で十数億円の仕事を回すのである。各専門部は必要な時だけ参加してもらうことにした。人件費を抑えるためである。これ以上は考えられないという案が勉強会で出て実施に移していった。金額は持ち出しである。我々が発注する業者は約20社。
一同に集めて、顧客に最後の希望を聞いた。
出てきた、「最後の希望」が、業者もなき、我々も泣いた。持ち出しである。追加金額は数千万円を超えていた。
建築は、土地を持っているオーナーが発注。中に入れるプロセスを我々が工事するのである。建築工事会社とは、普段なら我々の方が下である。我々は建築業者の設計にとことん協力した。
建築会社の取締役(前回プロジェクトの責任者)が、スタッフに「Oさんの協力を得なければこの工事は出来ない。」と言ってくれた。俄然やりやすくなった。
夏の終わり、台風がやってきた。私は、車を飛ばして現場にきた。既に我々の監督は帰っていなかった。残っていた業者の監督と一緒に被害を点検して回った。監督達は、わざわざ横浜からこの天気の中をきたことに驚いていた。私は、自分のプロジェクトがかわいくてしかたがないのである。前回のプロジェクトでも、
建築引き渡し検査の前日、13,000m2の建築物の中を睨みつけるようにゴミを拾って歩いた。建築は、自分の会社のスコープ外であった。やはりその時も鬼神のごとく見えたはずである。
今回のプロジェクトは、順調に運んでいる。しかしこれからだ。と2ケ月前に思った。機械が組みあがってくるごとに、クレームが出てきた。若い工場長からである。打ち合わせになかった項目であったから、私は断った。顧客のプロジェクト責任者が頭を下げてきた。申し訳ないがお願いすると。業者を返さずにやりこなした。しかし、このままでは持ち出しばかり膨らんでしまう。
顧客のプロジェクトチームが、スタッフからでてくるクレームをつぶしているのを知っていた。
「こんなことは、恥ずかしくて言えない。Oさんに怒られる。」と言っていたという。既に何度も話し合われており、顧客は既に合意していた。私は、最後まで「顧客の希望」に答えようと思った。しかし、持ち出しは許されない。我々は追加工事金額をとる勝ち目があるのである。私は、顧客責任者に払う腹積もりを確認した。支払の財布が用意されていなかった。
私は、提案した。1ケ月半工期を短縮しようと。それには建築会社の協力が必要である。シナリオを私が書き、顧客責任者がネゴして、建築会社の取締役は理解を示してくれた。
顧客にも、機械の仕上がり検査スタッフを増員してもらった。我々も必死で短縮した。見事1.5ケ月短縮できた。当初の持ち出し金額の2倍を浮かすことが出来た。顧客からは追加工事金額をとらなかった。
「竹とんぼ」は完成した。最初に出てきたパンにつけて社長に渡した。前回に続き2個目である。社長は飛ばそうと試した。「飛翔」の意味である。ところが、トンボは見事に下に向かって飛んだ。息子が左利きであった。彼用に作ったトンボを転用したのである。社長は右利きであった。社長は気持ちよく受け取ってくれた。引き渡しの日に、現場小屋は壊された。
超異例なことである。
S様、話があっちにいったりこっちにいったり、内容が専門的なところもありわかりにくかったですね。こんな仕事を私はしています。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。あしたは良き日でありますように。
2014年8月2日