生きざまは変えられないかもしれません。
定年とともに、やりたかったことを始めてみました。
出来なかったことを始めてみました。という声を聞きます。
そんなにうまくは行かないのです。
映画を観たかった。釣りを思う存分したかった、旅行がしたかった。
すべて、忙しくてできなかったからという動機です。
好きなことは、忙しくてもやっているはずです。
出来ないことは、出来ない理由があるのです。
そんなに好きなことではなかったのです。その証拠に2月もやってみると
飽きてしまうのです。
今からでもおそくはありません。それでもなお、好きなことをやってみましょう。得意なことをやってみましょう。案外昔(思った)ほど出来ないものです。時間さえあればできると勘違いしているのです。
何もかも難しいことなのです。
定年で解放されたからと言って甘く見てはいけないのです。
何事も大変なことなのです。
でもやってみましょう。
違う側面がみえてくるかもしれません。
私は、61歳にして、プロジェクトエンジニアを再度やってみました。
今までは、作る側の立場でやっていました。今度は、使う側の立場でやっています。もう一度勉強でした。毎日が精一杯です。昔ほど、体力と気力は残っていませんでした。ごま化しながらの再挑戦です。
生きざまはそうそう変えられるものではないのです。まったくまっさらにはなれないと観念しました。それまでの生きざまからは卒業できませんでした。無力で無能な自分の再発見でした。惰性で生きて、生かされてきたような生きざまに再生はあるのでしょうか。ただただ、やってみるだけです。面白いが続く限りやってみます。
ひょっとしたら、さらに面白くなるかもしれませんから。歳をとって挑戦するのに大切なことは、謙虚になることだと今更ながら気づきました。
自分の勘違いから解放される毎日を楽しんでいます。
2014年8月4日