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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

初恋の人

2018-12-09 08:08:52 | 思い出話

初恋の人の誕生日が、第二次世界大戦開戦の日。
妻の誕生日が、終戦の日。
単に覚えやすいだけの理由で、昨日は彼女の誕生日でした。
二人は、同じ大学の同じ学部に通った友達どうしでした。
よく覚えているわね。
なんとなく嫌味な妻の一言が突き刺さりました。

今日のタイトルは、「初恋の人」です。
生活力の伴わない頃に初恋をします。
初恋が通じても、結婚までの永い春が始まる。
初恋の人と生涯を共にする。
成長がないというか、魅力満点だったというか。
余人には、わからぬことです。

適わぬから初恋。
打算もあって、適齢期に誰かといっしょになる。
若いころは、同年齢の男たちより年上の旦那は頼もしく思えたので結婚した。
何十年も経ってから、自分より年上の旦那の衰えは早い。
若いころは、想像だにできぬこと。

初恋のイメージは、生涯続く。
どこか似た人に魅かれる。
自ら気づかぬが、そうである。
仕事と同じで、長い年月は一本の糸で結ばれるように人生は紡がれる。
人の好みは、変わらぬもののようである。

知らぬから初恋。
いつまでも幻想を描いていれば幸せというもの。
そんな風にも思います。
今一緒に生活している人と、同士のように頑張っている。
他の可能性を考えてはいけない。
あっちの水は甘くも辛くもない。
知る由もなし。
知らぬ故、数多の恋ができた。
透明な味の今がよい。

初恋の人は、長い髪を揺らしながら、夕日の当たる廊下を走っている。

寒空の 見上げる星に なに願う

2018年12月9日
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故郷

2018-08-05 15:15:04 | 思い出話

故郷をイメージする絵を探しました。
新横浜で見た夕景にしました。


広島に帰って来ました。
今日のタイトルは、「故郷」です。
帰りたくても帰れなかった。
想いはあっても遠かった。

狭い島から出たかった。
広い世界を見たかった。
最初はそうでした。
そのうち、都会でも埋没してしまいました。
あがけばあがくほど、這いあがれない。
故郷に錦も飾れないし、役にもたてない。
極道ものが、返せなかった恩を見知らぬ人に返す話を聞くことがある。

故郷は、案外近くにあるんじゃないかと感じています。

40歳を過ぎて、あきらめるように自分にはこれしかないと、
仕事だけを一生懸命やったように思います。
一生懸命やったことが、故郷への高いハードルを下げてくれたように思います。
こう生きるしかなかった。
開き直るような気持ちでした。
50歳を過ぎて、やっと帰ることができました。

その故郷は、今度の集中豪雨で傷んでいました。
水争いが絶えなかった島に、ひと夏分の雨が一晩で降ったのです。
島の友人を訪ねました。
互いに笑顔でした。
苦労話を聞きました。

今も故郷を離れて暮らしています。
恩を返す気持ちがあれば、どこでも返せると感じています。
返せるところが、故郷でもあると思っています。

夕景に 涙こらえて 生きてきた

2018年8月5日
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大学生と話す

2017-09-16 07:39:39 | 思い出話

阿吽というタイトルの絵です。
何か聞きたい。と思ってもなかなか心は開きません。


今日のタイトルは、「大学生と話す」です。
カフェに大学生がきました。
就職にあたり、インターンシップで来たのでした。
初々しい姿を見て、妻が反応(好感度が高い)しました。

世界を見たままの姿を話し、企業戦士としての経験を話しました。
ドイツ人は、日本人と共通する部分が多いのでは?
どちらも真面目という点で共通すると言われているが、
日本人は、枠(学校、会社、社会)において真面目と言える。
ドイツ人は、枠にとらわれず、個人として人生に真面目である。
パラサイトのような若者はいない。
早く自立したいと若者は考えている。

話し4分聞く6分は早くも崩れ、私は話し過ぎました。
若者の考えを知る絶好の機会だったのに、残念なことをしました。

問われるがまま、プロジェクトエンジニアリングの経験を話しました。
プロジェクトは、出会い帳場で新チームを組むことになる。
マネージャーにとって、人を見る目は非常に大事で、プロジェクトの成否にかかわってくる。
多くの人と会う機会があり、第一印象でその人が持つ能力を見抜かなければならない。
表情を読み取り、質問への反応をかぎ取るのです。
耳でだけでなく、五感を研ぎ澄まします。
そして、思いつく限りのシミュレーションをし、不測の事態に備えます。
と話しました。
大学生の彼は、遠い物語を聞くような表情でした。

故郷の会社を選ぶ動機はなんですか?と私は問いました。
祭りなど故郷には優れた文化が残っている。
自分も故郷で何かの役に立ちたいと思っている。という回答でした。

時間が出来たら何かをしたいと、忙しく働いている人、誰もが言います。
あなたは、学生の今、故郷のためになりたいと何かをしていますか。
面接官は、そう突っ込むかもしれませんね。
あなたは、応える準備ができていますか。
私の印象では、
高校生は、社会が自分に何を与えてくれるかと考える。
大学生は、社会で自分は何ができるかと考える。

彼の表情が変わりました。
驚いたように眼を開きました。
戸惑いと決意が顕われました。

受けを狙った言葉を使っていると、後で苦しむことになる。
拙くても自分の言葉で話すようにした方が良いよ、
とアドバイスしました。

また、話す機会があったら、彼の話をもっと聞きたいと思います。

我が子には 照れとつ話す 昔ごと

2017年9月16日

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広島風お好み焼き

2017-09-03 10:05:22 | 思い出話

新横浜で見た夕暮れです。
誰にもある故郷です。


故郷自慢は、「何故?」から始まる。
子供にとって、故郷は両親が住んでいる場所となります。

何故と思わなければ、故郷は単なる生活の場所であり、
何処に住んでもあまり変わりがないことになります。

私にとって、故郷広島は住みたくない場所でした。
たまに帰っても、出張する日本の各都市と変わらない印象でした。
広島に帰った時に、食べたいものが二つだけありました。
電停県病院前にある頼々亭の中華そばと広島風お好み焼きでした。

何故食べたいと思うのか。
頼々亭の中華そばを初めて食べたのは、高校生の時でした。
塩味の薄い、濃い目の豚骨スープでした。
脂の塊がやっとお湯に溶けたようなスープでした。
錦糸卵が、分葱ともやしの上に、山のように盛られていました。
細めのストレート麺は、固くもなく柔らかくもなく。
大盛の中華そばを夢中で食べて、スープも飲み干しました。
高くもなかったのですが、お金も時間も無くて何回も食べられませんでした。

お好み焼きは、広島人にとっては、小腹が空いたときの食べ物でした。
これも高くはないが、食べたいとも思いませんでした。
それより肉や魚でした。

二十歳で故郷を出たあとは、しばらく忘れていました。
何十年も経って、営業職として、各都市の旨いもので接待をするようになりました。
各地に美味しいものがありました。
土地の人に店探しはお願いして、予算を告げてお金だけを出しました。

広島風のお好み焼きを広島以外の土地でいただきました。
何か違いました。その土地土地で味付けが違いました。

何故と思いました。
頼々亭に30年ぶりに行き、食べました。
店主が変わり、昔の濃い味ではありませんでした。
乗っている具も今風でした。
でも味は、うっすらと引き継がれていました。

広島風お好み焼きをカフェで売るようになりました。
食べるのと売るのでは大違いでした。
ちゃんとしたものを毎回作らなければならない。

何十年ぶりかに会った女性は、広島を出たことがありませんでした。
いろんな事情があったのです。
彼女に会うために広島に通うようになってから、故郷は変わりました。
何気なく見過ごしていた故郷の姿に興味を持ち始めました。
瀬戸内で採れる魚はこんなに新鮮で美味しかったんだと気づきました。
新しく生まれ変わった都市と、昔の姿が残る辻々の看板には意味があった。

つまり知らなかったのです。
高校生には縁がない場所でもあったのです。
仕事人にも、街の風景は必要なかったのです。
何処の都市に行っても、同じだったのです。

何故と思うようになって、彼女をモデルにした小説を書きました。
いい加減な時代考証ではいけないと、広島郷土資料館にも通いました。

小さな子が、お母さんが作る手料理を見ながら興味を持ちます。
故郷が、身近に感じるようになるのは、こんなことだったのです。
小さな子が、どうやってつくるの。
お父さんの作業を見て、そうやるんだと
興味を持ち始めて初めて故郷に気づきます。

故郷に意味のないものなど何もないことに気づくのです。
この地に来て、生活に根付く暮らしを見ることができて良かったと思います。

タイトルの「広島風お好み焼き」の作り方など全く関係ない稿になりました。
ソールフードについては、またの機会とします。

おふくろの 味とは知らず 舌覚え 

2017年9月3日
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結婚

2017-08-15 06:41:22 | 思い出話

小学校に上がる前の子供です。
なんでも自分でやろうとします。
手を出されたり、過度に褒められたりするのが大嫌いです。
見守るしかありませんね。


ミナミノカオリ(九州産強力粉)の全粒粉を混ぜたパンを焼いています。
豆やぶどうを入れています。
噛めば噛むほど、パンの風味を感じます。
美味しい。

今日のテーマは、「結婚」です。
女の人は、結婚、出産、子育てそして離婚して一人前と、
ある先輩が教えてくれました。

お盆の前日の夕方、迎え火を焚いて先祖をお迎えします。
結婚をして、延々と繰り返されます。
日本の原風景です。

たで食う虫も好き好きと、いろんな人が結婚します。
うまくカップルが誕生するものです。
増える家族を歓迎します。
減る家族を惜しみます。
結婚がなければあり得ないことです。

妻の誕生日は、終戦記念日。
初恋の人の誕生日は、太平洋戦争の開戦記念日。
なんと覚えやすいことでしょう。
それでも忘れることがあるから不思議です。

一度は結婚することを勧めます。
もう送って行かなくても済むのが、結婚です。
一緒に暮らし始めて、目を見張るばかりの勘違いに気づくのも結婚です。
嬉しい嬉しい出産です。
男が張り切るのも無理が無い。
やる気が、沸々と湧いてきます。
家族のために、どこまでも頑張れる。
植え付けられた遺伝子がそうさせるのです。

この人で良かったのか。
汗の匂いで決めたから間違いありません。
免疫学的には正解でした。
結婚はスパークのようなもの。
あなたの判断は、一点の曇りもなかったはずです。
結婚するしかないのです。
結婚してから考えましょう。
誤りだったかもしれない。
結婚した4割の女性が、この人と同じ墓には入りたくないと思うそうです。
結婚したから分かることです。

60歳をすぎての結婚について、過去何度か検証しています。
この年齢になると勢いだけでは、そうなりません。
短いこの先のことを考えると、独りより二人が良いと少しは打算も働きます。
打算の分だけ努力しなければなりません。
決めごとはありません。
出来る人ができることをやる。
静かな老後です。
子育ても終わり、会社の役も解かれ、
少しは自分に投資ができるようになったのです。
競争相手に負けないようにしましょう。
結婚後、競争などなかったと気づいて笑いましょう。

万人が思います。
無邪気な子どもの仕草はとても可愛い。
笑顔がなんと素晴らしいことか。
疲れも辛いことも吹き飛ぶ瞬間です。
結婚とは、こんなことだった。
今でも後からでも揺るがない気持ちです。

数多ある中から選んでした結婚です。
しかし、生まれた子供は親を選べない。
死ぬまで頑張るしかないでしょう。

ひなげしと 一緒になって うばざくら

2017年8月15日
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