新横浜で見た夕暮れです。
誰にもある故郷です。
故郷自慢は、「何故?」から始まる。
子供にとって、故郷は両親が住んでいる場所となります。
何故と思わなければ、故郷は単なる生活の場所であり、
何処に住んでもあまり変わりがないことになります。
私にとって、故郷広島は住みたくない場所でした。
たまに帰っても、出張する日本の各都市と変わらない印象でした。
広島に帰った時に、食べたいものが二つだけありました。
電停県病院前にある頼々亭の中華そばと広島風お好み焼きでした。
何故食べたいと思うのか。
頼々亭の中華そばを初めて食べたのは、高校生の時でした。
塩味の薄い、濃い目の豚骨スープでした。
脂の塊がやっとお湯に溶けたようなスープでした。
錦糸卵が、分葱ともやしの上に、山のように盛られていました。
細めのストレート麺は、固くもなく柔らかくもなく。
大盛の中華そばを夢中で食べて、スープも飲み干しました。
高くもなかったのですが、お金も時間も無くて何回も食べられませんでした。
お好み焼きは、広島人にとっては、小腹が空いたときの食べ物でした。
これも高くはないが、食べたいとも思いませんでした。
それより肉や魚でした。
二十歳で故郷を出たあとは、しばらく忘れていました。
何十年も経って、営業職として、各都市の旨いもので接待をするようになりました。
各地に美味しいものがありました。
土地の人に店探しはお願いして、予算を告げてお金だけを出しました。
広島風のお好み焼きを広島以外の土地でいただきました。
何か違いました。その土地土地で味付けが違いました。
何故と思いました。
頼々亭に30年ぶりに行き、食べました。
店主が変わり、昔の濃い味ではありませんでした。
乗っている具も今風でした。
でも味は、うっすらと引き継がれていました。
広島風お好み焼きをカフェで売るようになりました。
食べるのと売るのでは大違いでした。
ちゃんとしたものを毎回作らなければならない。
何十年ぶりかに会った女性は、広島を出たことがありませんでした。
いろんな事情があったのです。
彼女に会うために広島に通うようになってから、故郷は変わりました。
何気なく見過ごしていた故郷の姿に興味を持ち始めました。
瀬戸内で採れる魚はこんなに新鮮で美味しかったんだと気づきました。
新しく生まれ変わった都市と、昔の姿が残る辻々の看板には意味があった。
つまり知らなかったのです。
高校生には縁がない場所でもあったのです。
仕事人にも、街の風景は必要なかったのです。
何処の都市に行っても、同じだったのです。
何故と思うようになって、彼女をモデルにした小説を書きました。
いい加減な時代考証ではいけないと、広島郷土資料館にも通いました。
小さな子が、お母さんが作る手料理を見ながら興味を持ちます。
故郷が、身近に感じるようになるのは、こんなことだったのです。
小さな子が、どうやってつくるの。
お父さんの作業を見て、そうやるんだと
興味を持ち始めて初めて故郷に気づきます。
故郷に意味のないものなど何もないことに気づくのです。
この地に来て、生活に根付く暮らしを見ることができて良かったと思います。
タイトルの「広島風お好み焼き」の作り方など全く関係ない稿になりました。
ソールフードについては、またの機会とします。
おふくろの 味とは知らず 舌覚え
2017年9月3日
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