故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
食べ残しの巨峰です。
タイトルは、「宴も半ば」です。
まだまだ。
今日のタイトルは、「しっかりなさいまし」です。
いつの世も、奥様からいただく言葉です。
寝床で、酔っぱらった迎えの車の中で。
初めて聞いたのは、30年前の父の法事の時でした。
婿入りした坊主が、下の町から上へ上へと昇りながら、各家庭で読経をあげてくださいました。
和尚が好きなのを知っているから、皆さんの家で一杯ずついただいたようでした。
一番上の我が家に来た頃は、歩くのもやっとの状態でした。
振る舞い酒は、半分も口に入らず袈裟にこぼされていました。
酔態を面白がって、皆がつぎ足します。和尚は上機嫌でした。
迎えの車で奥様が到着されました。
年下の私が介添え役で、道までお供しました。
「しっかりなさいまし」
奥様が押し込むように乗せておられました。
学生の頃は、マドンナの奥様でした。
認知症が改善すると聞きました。
生活習慣病(睡眠不足、運動不足、暴飲暴食、ストレスなど)を是正することで、改善する。
永年ため込んだ糖質を減らし、野菜中心の健康食を食べ、十分な運動とストレスフリーの生活をする。
認知症チェックテストのスコアーがよくなると聞きました。
親子三世代で暮らす友人が、一週間に一度食べる野菜中心の老人食が楽しみだと言っていました。
我が家でも、「あれ」と「これ」の会話が続きます。
どちらか知ってる者が補完する。
どうやら、奴(ハクビシン)は天井裏に帰ってきてるようだ。
ぱたぱたと歩いている頃は同居人、今は遠慮がちに歩く居候です。
「しっかりなさいまし」の声をいただきながら、居候にはなるものかと頑張っています。
次女が言う もう食べたわよ 恐ろしか
2020年2月17日
<<投稿後>>
仮歯を再度固定してもらった。
勢いよく唐揚げをかじったら、またとれた。
前々回は大きめのたくあんを食べた時、前回はハードパンを食べた時でした。
仮歯を押さえながら食べる姿はよろしくない。
すっかり食欲がなくなりました。妻は泣き笑いです。
お腹が空くくらい(腹八分)がちょうどよい。
認知症予防のため、仮歯をしばらく固定しないことにしました。
ありがとう、やぶ医者め。
(筆者)
タイトルは、「名護の守り神」です。
名護市役所には、100体を越える守り神が張り付いている。
訪れる度に、野にある亀甲墓に驚き、曲がり角の石敢當に眼をみはった。
沖縄は、チャンプルーの都市である。
地域の友人たちが、沖縄旅行に出かけた。
島めぐりを満喫して帰ってきた。
お土産をいただいた。
雪塩(宮古産)、手作り黒糖(石垣産)、泡盛(於茂登、石垣)とたんかん(やんばる産)です。
どれも嬉しい土産です。久しぶりに食べたたんかんは、ジューシーで甘く好みである。
今日のテーマは、「グルクン」です。
マーロン・ブランドと京マチ子が主演した「八月十五夜の茶屋」(The Teahouse of the August Moon)が,
1956年に公開された。返還前の沖縄で撮影された。
その舞台となった料亭(おそらく茶屋として)で、初めてグルクンをいただいた。
約30年前、製粉会社のリニューアル工事の仕事をした。
スタートアップに協力した製粉技師を交え、どんちゃん騒ぎとなった。
180℃以上でから揚げしたグルクンを、頭からしっぽ迄かじって食べた。
泡盛がすいすいと入っていった。
沖縄(那覇)の美味しいもので特に好みのものをあげるとするなら、
沖縄そば、あっちこうこう(出来立てで温かい)の島豆腐、イカ汁と
金魚のような色をしたハタのマース煮(塩ゆで)である。
沖縄そばは、小麦粉とかんすいで打たれ、鰹や昆布を用いた和風の出汁でいただく。
ぼそぼそとした麺に、つゆがからんで懐かしい味がする。
島豆腐があまりにも美味しいので、横浜に買って帰った。食べようと開けるとぐちゃぐちゃだった。
一緒に持ち帰ったサーターアンダギーの油臭が、あらゆるものに移り、
子ども達から、サーターアンダギーはもういいからと言われた。
沖縄では、味噌汁が一品料理として出される。それとご飯で定食である。
イカ汁もそんな味噌汁の一種であろう。どんぶりいっぱいのイカを食べきれなかった。
歯茎は真っ黒となり、女性にはちょっとです。だけど旨い。
マース煮は、高級料理である。魚市場の近くのいつも行く店でいただく。
沖縄に300億円の補助金が出る。いつも、政府は満額回答である。
使いきれないから、この店にもなんか投資しろと誘いが来ると言う。
店の軒先に、海ぶどうの養殖桶を何個も設置していた。
あるものは、深層海水を汲むのだと、パイプを埋けてポンプでくみ上げた。
台風の日、うねりにあっという間に設備ごと持っていかれた。
沖縄の面々は懲りないのである。空き店舗はすぐ埋まる。次から次に挑戦者が現れる。
おばあだって、LCを自力で開設し、商売をしてきた。
家で食べてから飲みに出る。沖縄の男たちの社交場である。
カウンターに座り、大いに語り、支払いは今日も1000円だけである。
私達、旅の者はカウンターに座らず椅子席にする。こちらは、一人5000円である。
カウンターで語られる方言についていけない。
一人で行くようになって、カウンターに座るようになった。
店の人は忙しく、なじみの客に接待を任せる。
今なんて言ったのと何度も聞き、耳が慣れた。3000円になった。
沖縄の人たちは、鬱になる人はいないくらい底抜けに明るい。
何年も通った。商売のために通った。
あんたは馬鹿か、鈍いのかと言われた。
断るための無理難題に応えてきた。
通っているうちに、鬱になる人もいることがわかった。
沖縄そばも、店によって味が違うと分かった。
辻の小さな豆腐店が、正直に作る。その豆腐だったと分かった。
赤褌一丁で店に出て、一人で切り盛りするスナックにも行った。
どこかの社長が愛人に経営させてる店にも連れていかれた。
商売になるまで月日がかかった。
国内のメーカーに外資系メーカーが納期で勝った。
グルクンをいただいてから30年も経った。また、食べたいと思う。
そーめんを チャンプルーですぐ 手を抜くな
2020年1月29日
めんそーれ。文末ですが、意味は「いらっしゃい」です。(筆者)
脱いでに、あっさりと答えてくれました。
タイトルは、「笑う女」です。
今日のテーマ、「ラブラブ」です。
とうとう雪が降りました。
妻は、雪景色を見ることもなく寝床で丸くなっています。
私は、寒さに耐えられる服装に着替え、酒の粕を飲みながら体を温めています。
母は、「お父ちゃん、息子が見ている」と乗っかるお父ちゃんにしがみつきながらささやいていました。
ドイツでは、スタイルがよいけどお尻の大きい女性が、旦那の膝に乗り首根っこにしがみついていました。
車に定員オーバーで乗り込み、ゴルフに出かけるはしゃぐ姿でした。
ゴルフが初めての女性たちは、クラブで穴を掘りながらキャッキャと進まぬボールを追いかけていました。
沖縄では、タクシーに7人が乗り込みボーリング場に向かいました。
途中で、コンビニに寄り酒をしこたま仕込んでいました。
酒のびんと同じ高さにしゃがんで、外からママの姿は見えません。
ミスターちょっと待っててね。
私を案内してくれた中国人の若者がレストランに戻りました。
中国では、げっぷをしてもう食べられないと満足の表情をして宴は終わります。
いっぱい残ったご馳走を、中国人の若者はタッパに詰めてもらい家族に持ち帰ったのです。
パキスタンの夕暮れ、私は小学生用のテキストで学んでいました。
変わった日本人だと、先生役のパキスタンの仕事仲間が微笑んでいました。
韓国で、闇鍋のようなごった煮をアジュマが出してくれました。
手作りのマッコリをいつまでも飲んでいました。
ほら言わんこっちゃないと、朝食に牛の血のスープ(へージャンク)を酔い覚めに出してくれました。
やはりドイツでのこと、ばあちゃんがニョッキをスープの中にちぎっては入れていました。
お袋の味がしました。親指を立てて美味しいと伝えました。笑顔から笑顔へ。
今日のテーマは、「ラブラブ」です。
いちゃつく姿は想像できません。
家族を想い、パートナーを愛するどうしようもない愛情表現です。
あんたが好きよ。泣き出しそうなくらい見つめています。
それは、一瞬のできごとでした。
そしていつものように笑顔です。
洋の東西を問わず、男と女の「ラブラブ」の風景を見てきました。
もうすぐ起きだすであろう、妻のこんもり布団を眺めています。
外は雪、温かい朝食を作り始めるか。
もっと上 何度言っても 覚えぬか
2019年12月23日
可愛い「孫娘」です。
お盆まで描いてね。と頼まれました。
キュートな唇です。
今日のタイトルは、「お盆」です。
東京にいるときは、新盆でした。
なすやきゅうりの馬が玄関先に飾ってありました。
送り火です。今日は何の日だっけとなりました。
夏休みになると、従弟たちが広島から島に来ました。
お盆に、おじさんやおばさんが来て一緒に帰りました。
年下の従弟たちのお守は、私の役目でした。
昼寝させるのに、図書館で借りてきた風土記を読み聞かせていました。
食事の準備も自分の役目でした。
広島は都会で、田舎の暮らしに慣れるまで少し時間がかかりました。
おばさんはよく知っていて、佃煮も一緒に持たせてくれました。
佃煮のお茶漬けはよく食べました。
島での遊びは、お茶漬けでは持たないので、段々と我が家の食事も食べるようになりました。
もうすぐお盆です。
孫が来て嬉し、帰って嬉しです。
大企業ほど、お盆休みをずらして社員は休みをとります。
8月初めからお盆まで、どこの行楽地もにぎわいます。
ドイツでは、半強制的に2週間以上の夏休みをとらせます。
ここでは、まだお盆休みに休暇を取って家族が集まります。
カフェも忙しくなるぞと、定休日も開店しました。
さっぱりでした。やはり、家族と一緒に過ごすのでした。
故郷の島では、竹と紙でできた灯篭を持って墓参りをします。
灯篭の中に芋でこさえた台座にろうそくをたてます。迎え火でしょうか。
風の強い年は、これが山火事の原因となりました。
お盆が終わった後、子供たちは、燃え残りのろうそくを集め冬の隠れ家での灯としました。
商店会でお盆祭りを盛り上げる企画を作りました。
毎年やっている子どもたちが絵を描いてくれたペットボトル製の灯篭を道の両側に置きます。
お寺の門に商店会の看板を設置します。
駐車場の白線引きとプラスチック製の花を電柱に取り付けます。
浴衣の貸し出し、地域の懐かしい写真の展示、生ビール販売などなど。
盆踊りを三日間続けているのは珍しい。
一日だけとなり、それも途切れてしまった地域が多くなってきました。
私達は、お盆を外して故郷広島や子供の住む横浜の家に帰ります。
大人の休日俱楽部で買える割安切符(3割引き)が、お盆の時期は買えないからです。
少しだけ、親孝行をし、子どもと過ごします。
子供の頃や働いている時ほど、楽しみではなくなりました。
それでも、お盆と聞けばほっとする。
同窓会の予約もあるかもしれません。
カフェを開けることにしました。
お盆玉 あげたいけれど 孫遠し
2019年7月31日
ブログのタイトルを決めた時から、この絵にしようと思いました。
いっぱい飛ばしたシャボン玉です。どれかが届け。そんな想いでした。
今日のタイトルは、「恋文」です。
60歳を過ぎた恋文は、生きてきた履歴を相手に送る。
こんな私でもよいですか。
過去に傷のないものはいない。
今日は、若い時の恋文に挑戦します。
もう、書かれなくなった恋文です。
直筆の恋文です。気持ちが伝えきれていないと何度も書きなおしました。
最初は、「なんだろう」と読んでくれたくれたものの、
またこの人からと封もきられないままに、置かれてしまったものも多くあることでしょう。
恋文に何を書くか。
あなたが好きです。では、一行で終わってしまい味気ない。
溢れる想いを文字にするのは、至難の業です。
私は恥ずかしげもなく多くの女性に送りました。
文末に押し花を貼る。
気に入った情景を絵にして送る。
習った英語のポエムを送る。
手を変え、品を変え相手の気を引こうとしました。
すべて轟沈でした。
書き慣れた二十歳を過ぎたころのこと。
三つの手紙が思い出されます。
一つは、現在思い浮かぶ思考を書き連ねました。
二つ目は、感謝の想いを書きました。
三つめは、貴女の好ましいところを書きました。
ちゃんと返事が来ました。
少しだけ恋の気分に浸れました。
嘘は、長続きしないもの。
借りてきた思想や歯が浮くような褒め讃えも、功を奏しなかった。
恋は、志。(朝ドラで聞きました)
恋は瞬時に訪れ、何が引き金になったか表すだけで十分でした。
会っても、顔もまともに見られない初心な頃の話。
言葉で表す方が、正直な気持ちを伝えられるような気がしました。
恋は過程です。ゴールでもなんでもない。
恋には責任がついて回る。
常にこの人を幸せにできるかと自問するようになってから、恋文の内容が変化しました。
つまり、出せなくなった。
会えない時の想いの綴りに変わりました。
それでも良いところだけの抽出で、本性は出ぬものでした。
小説を読み、映画を観、音楽を聴くようになりました。
正直な感情を何かに例えて書くようになりました。
自分の筆力だけでは、到底補えないと自覚しました。
恋は、人間を豊かにする。
どうにもならないジレンマのような気持ちの発露を探るようなものです。
ままならない。これがよいのでした。
今、恋文を書くとしたら、
恋の気持ちを星空に例え、鳥のさえずりのように書けるでしょう。
いわゆる、恋文は賛歌です。
事務的な手紙とは違います。
応援歌とも言えます。あなたは好ましい。そのまま、そしてさらに。
正直に書くことでしょう。今ある力のすべてを使って書き上げます。
それでよい。それ以上のものはありません。
人間の欠点は覆い隠せない。
垣間見える素敵なところを発見するような恋文です。
誰にも好ましいとは言えない。だけど、私には蜜のごとく好ましい。
それでよいのです。
素敵な恋文は、相手の心を温かくする。
もう一歩踏み出そうかなと、後押しをする。
そうです。怖気づくなよ。あなたはこんなに素敵です。
臆面もなく描けるようになりました。
知るまで長くかかりました。
暇乞いも文にできるでしょうか。
シャボン玉 弾けて消えた 恋文と
2019年7月18日