故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

お寺さんの裏にあった五輪塔です。
五大にかたどった五つの部分からなる塔。
下から地輪は方、水輪は球、火輪は三角、風輪は半球、空輪は宝珠形。
平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。
石塔が多く、金銅・木・泥土などでも造った。五輪卒塔婆。
(広辞苑より)
今日のテーマは、「弔い」です。
通夜に行ってきました。
明日は、告別式です。
隣組として手伝います。
次郎物語では、葬式饅頭を何度も並んでいただくことを生業としている方がいました。
島では、村はずれに焼き場がありました。
煙と共に、臭いがしました。
葬れんと言って、子どもたちの蓮の花(紙製)を先頭に、
亡くなった方を焼き場まで大八車で運びました。
伝ちゃんという方が、焼き場の担当でした。
伝ちゃんは、余ったお骨を海に捨てていました。
その辺りは、あなごがよくとれました。
子供の私は食べられませんでした。
爺さんの弔いのご飯はとてもまずかった。
野菜ばかりの精進料理でした。
の人総出で、火を熾し料理を作りました。
この辺りでは、自宅で通夜をします。
の総代さんは、忙しくなりそうです。
子供はいませんが、お年寄りは多いのです。
地域の皆さんで旅仕度を整え、亡くなったお年寄りを送ります。
まさに眠ったようなお姿でした。
お年寄りの弔いは、なんとなく落ち着いています。
働き盛りのお父さんのは、緊迫感がありました。
順番とは言え、寂しいものがあります。
誰しも避けては通れぬ最後の勤めです。
そんなに遠くない未来のことです。
皆に送ってもらいたいと思いました。
通夜に香 今はうずまき 朝に露
2017年7月26日

ひねもすのたりかなというタイトルの絵です。
蕪村の句集「春の海終日(ひねもす)のたりかな」から
引用していたなんて知らなかった。
のんびりしていていいですよね。
釣れても釣れなくても。
今日のタイトルは、「春うらら」です。
麗(うらら)とは、
空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま。
声の明るくほがらかなさま。
心のさわやかなさま。
(広辞苑より)
全てが当てはまる今朝の様子です。
屁もゆっくりできるというもの。
高麗では、ミサイル発射に失敗したとのこと。
突然、ミサイルが飛んでくることがあるのでしょうか。
原発が狙われるのか、都市機能が破壊されるのか、
はたまた水源に病原菌を投下されるのか。
嫌なことが突然おこるのでしょうか。
しかし、今日の日差しはとびきりです。
障子越しの明るい陽射しです。
何か楽しいことが外で待っているような予感がします。
妻が、洗濯を干して、洗い物を済ましてくださいと依頼して行きましたから
外へ出るのは、それからになります。
かげろうが立つ。
雨降りのあと。板塀から水蒸気が立っている。
冬の海から湯気があがっている。
育った瀬戸内の島で見たテントを張った釣り船のゆらりゆらり。
糸を手で操り、そのうちこくりこくり。
海はのんびりしているこの季節、
この辺りでは、ゆっくり歩く人は見かけません。
こんな時間まで家に入る人もいません。
ああ、忙しい。と動き回っておられます。
春うらら 煙がくゆり 茶をすする
2017年4月29日

目は、口ほどにものを言う。
情をこめた目つきは、口で話す以上に強く相手の心を捉える。
(広辞苑より)
この方は、怒っていたのでしょうか。
きっとそうでしょう。
付き合っている男が悪さでもしたのでしょう。
今日のタイトルは、「目の大きな女」です。
観月ありささんも、目の大きな方です。
年を取ってくると、二重が消えたようになります。
実は、奥二重です。
申し訳ない。まぶたが重力に逆らえなくなってきたのでしょう。
沖縄の女の人も男の人も、奥二重にはなりません。
太っても、歳を重ねてもしっかり、くっきり二重です。
沖縄の人は、それで「うちなんちゅう」と「やまとんちゅう」が判るとか。
大きな目を閉じずに泣かれたことがありますか。
私は記憶にありません。
似顔絵を描いていると、この人が普段見ないであろう横顔を描くことがあります。
目は、表情を決める大きなパーツです。
私は、若い頃鼻が高い女性に憧れたことがあります。
いつまで見ていても飽きなかった。
目が大きい女は、純情のように見えます。
鼻梁より眼(まなこ)が高い女性がいました。
殊のほか、純情でした。
切れ長の目が、エキゾチックで美しいとヨーロッパの男が言いました。
一方、日本の娘は目を大きく見せようと工夫をします。
今では、目の大きな女性の目を見て話せなくなりました。
どこかで、臆することがあるのでしょう。
目の大きな女と暮らしたことがありました。
何でも見透かされているように感じたことがありました。
勇気をもって、話せるようになりたいものです。
薄花 うっすら閉じて 月みつめ
2016年10月2日
昭和記念公園に、こどもの森バス停がありました。
粋なはからいです。
森の中にひっそりと立っている赤いポストが印象的でした。
「二十四の瞳」でも、「隣のととろ」でも、
子供が遠くまで歩いて大事な人に会いに行くシーンがありました。
子供にとっては、行ったことのない遠くに行くことは、冒険です。
小学校の頃の冒険は、島を自転車で回ったことくらいでした。
中学生になって、友人と自衛隊の射撃練習場に行ったことがありました。
拾った空薬きょうを、真ちゅ磨きできれいにして喜んでいたものでした。
石油タンクのある海岸には、何故か蓮根火薬(大きくて5mmくらいの粒)が落ちていました。
乾かして、アルミキャップに詰め込み、針金でこさえたロケット台に載せて、
ろうそくの火でアルミキャップを炙りました。
どこに飛んで行くか分からないので、遠くに逃げて見ていました。
シューと煙を吐きながら、結構飛びました。地面に落ちたロケットはのたうちまわっていました。
何度もやった経験がないので、たいしたことはなかったのでしょう。
冒険は、困難さと危険が付きまといます。
大人には、どうってことはないのです。
絵の中のポストが良いのです。
こども(お店で働いている大人の方も)は、何を郵便で送るのでしょう。
単なるモニュメントではありませんでした。
こんな粋な計らいが好きです。
ここに置こうと、面白がって設置したのでしょう。
郵便屋さんが、決まった時間に回収にくるのです。
どこかの海底にポストがあるそうです。
潜水服を着た郵便屋さんが投函物を回収されるのです。
驚きました。こちらも面白がって置かれたのでしょう。
「こどもの森」のバス停。
次は、広い公園の中を循環するバスを描きたいと思います。
ラブレター 行きつ戻りつ 投げ込んだ
2016年2月16日

アウトドアー専門店の屋外に設置されたロッククライミングウォールです。
友人の会社が設計・施行しました。20m近くの壁です。
私には、壁(クライミングウォール)を鉄骨にどのように取り付けたか興味を持ちました。
40年前、尊敬していた先輩に連れられて、鹿沼近くの岩山に行きました。
初めてみる岩山でした。
先輩に勧められて昇りました。初心者用の亀裂や突起がいっぱいあるルートでした。
上に到達すると、俺が降りるから確保しろと言われました。
先輩は、ザイルを巧みに使ってするすると降りました。
残り5mのところで、先輩は岩を蹴って空中を飛びました。
確保しろと言われた手前、必死にロープを掴み
狭い岩山のてっぺんで踏ん張ったのを覚えています。
どっと汗が吹き出しました。
それからというもの山にとりつかれるように登りました。
山とすそ野を行ったり来たりの単独行ばかりでした。
30Kgの荷物を背負って30Km歩くのが目標でした。
国師岳は、木の根っこがむき出しの長い上り坂でした。
雲取山の向こうは崖でした。金峰山で森林限界を見ました。
一日500円の山歩きは楽しかった。
寺や学校や公民館に泊めていただきました。
春まだ浅き、風呂に入らずの2週間の山歩きは、只々臭い山男のひよっこを作っただけでした。
高じて、初めての現場で天井梁に残ったロープを取りに行けました。
20mのオーバーハングの梁でした。
梁は500mmのH鋼で脚が回らず、昇った後に後悔しました。
アウトドアーの経験は、家族を持ってからも大いに役立ちました。
この時だけ、かみさんや子供達に目を細められたものです。
あのまま山歩きを続けていたら、後に苦労する馬鹿なことはやらなかったでしょう。
汗を出すだけで、必死に登るだけで楽しかった。
毎日自分と向き合えたのでした。まだまだだと。
話には、オチがあるものです。
子供達から手が離れかみさんとよく山歩きをしました。
かみさんを亡くした後は、会社の先輩たちと横須賀の山を歩きました。
膝を悪くし、腰を痛め山を歩けなくなりました。
今もいつか行こうと、三浦雄一郎バージョンの重い靴を履いて平地を歩いています。
清々しいのですが、腿がつるようになりました。
腰を痛めて2年が経ちました。夏には、草取りもしました。
やっとドライバーを思いっきりひっぱたけるようになりました。
そのうち、すそ野くらいは歩けるようになるでしょう。
今度は妻と行きたいものです。
滝しぶき 来てよかったと 汗ぬぐう
2016年2月12日
初現場でのロープ取りのオチを参照にしてください。
2014年12月4日投稿記事「初めての現場」です。