楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

生きるを訪ねて―釈迦の生誕地(インド紀行12)

2021年02月20日 04時29分24秒 | 海外旅行1
(釈迦生誕地のルンビニ)
 
(釈迦生誕の地 ネパールのルンビニ)

毎年春になると四月八日の花祭りの時期が来る。
子供のころ、悪がきが少しは精神修養になるだろうと
通わされた日曜学校でも、
このときはお釈迦様の像の足元に花飾りでびっしり埋めて、
頭からお茶をかけるお祝いをした。
黄金のお釈迦様像は、片方の手を天に向け、
一方の手で地面を指している。
釈迦生誕後すぐ歩き「天上天下唯我独尊」と言ったといわれる。
その姿である。
 
(生まれた直後の像)
 
そのお釈迦様が生まれた地が、
ネパールのルンビニというところである。
訪問の順序が逆であるが、
この旅の最後の訪問地が釈迦の生誕地となった。
インド国境からネパールに入るのであるが、
街の雰囲気ががらりと変わる。
 
インドでは沢山の人がうようよしており、
生活のために右往左往して、落ち着きがなかったが、
国境を越えてネパールに入ると、人の数が格段に減り、
人々も落ち着いてゆったりした行動をとっているように思えた。

史跡は大きな建物で覆われ、
室内に入ると日干し煉瓦の土台跡が見渡され、
その一角に生まれてすぐ歩いたという、
子供の足跡がガラス箱に囲まれて展示されていた。
 
この場所にお釈迦様が立ち、
天と地を指差して「天上天下唯我独尊」といったというが、
にわかには信じられない。
 
(生誕直後の足跡)

「天上天下唯我独尊」というと、
 
その解釈をこの何十年もの間、
 
「この世で我のみが、もっとも尊い人間だ」
 
という意味だと思っていた。

しかし、仏教学者のガイドさんの解説に寄れば、
「この世で、われわれ人間はそれぞれお互いに、
かけがえのない尊い存在である」と解釈されると言う。
 
人間の尊厳を表したものである。

考えてみれば、お釈迦様として後世に残る教えを説いた人が、
「俺が一番偉い」なんて云う訳が無い。
 
ガイドさんの言うとおりだと思った。
 
外に出ると空は晴れ渡り、
東のはるかかなたには、世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈が、
冷厳な白い姿を見せている。
釈迦が生まれた建物の回りに聳える巨大な菩提樹の葉陰で、
修行僧が瞑目し、赤い僧服を身にまとい、
一心に読経していたのがとても印象的であった。
 
(巨大な菩提樹)
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浮間公園

2021年02月18日 04時24分48秒 | 日記
先日、TVで河津サクラが伊豆で満開と放映されて居たので、
板橋区にある河津サクラも咲いて居るかと、
眺めに行った。

残念ながら桜は蕾こそ膨らんではいたが、
まだまだ開花は十日ほど先のようであった。


(板橋区にある河津サクラ)


(サクラの花芽)

さて、その河津サクラは、
表題の浮間公園から東へ100mほど歩いた、
駐車場の角にある。


(浮間公園の風車)

浮間公園には中央に大きな池があり、
その池の中心線で東西に東京都北区と板橋区に分かれる。
東側が板橋区、西側が北区になって居る。


(東側、舟渡から見た池の小鳥たち)

この公園の南にJR埼京線の駅がある。
この駅名が浮間舟渡駅と言って、
駅を挟んで東西に板橋区と北区に分かれていることから、
名付けられた駅名である。

駅名の浮間は北区浮間、
舟渡は板橋区舟渡と地名を表している。
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白と紅

2021年02月16日 02時13分37秒 | 日記

梅の木が紅と白が咲き揃いました。

我が家の隣にある龍福寺の紅白の梅です。

(龍福寺境内入り口の紅梅の木)

(紅梅)

 

(龍福寺門前の不動堂の白梅)

 

(白梅1)

散歩途中にスマホで撮りました。

この白梅は、その昔、カメラで撮り花の写真展に応募して、

佳作となった白梅の被写体です。

(白梅2)

 

このお寺は桜の時期になると、

枝垂れサクラが見事ですが、

他に、もう一つグリーンのサクラ

(御衣黄/ぎょいこう)が見ものです。


名前が御衣黄とは優雅な名前ですが、

花の色が貴族の衣服の萌黄色に近いため 、

その名が付いたと言われます。

この桜は花が最初は薄緑色で、

少し経つと花の色がピンクに変わります。


それはそれは、名前の通り優雅な八重桜です。

咲きましたら写真と共に紹介させて頂きます。

コメント (6)
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祇園精舎の鐘(インド紀行11)

2021年02月13日 04時27分03秒 | 海外旅行1
(祇園精舎の鐘)
平家物語の冒頭、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり...」の祇園精舎は、
釈迦が説法を行ったところで、
ここで釈迦は24回の雨季を過ごしたとの説明を受ける。

インドで雨季とは年間何回あるのであろうか?
年に一回であれば24年いたことになるが...
今は、綺麗に整備された公園の中に、
祇園精舎の跡が残っているが、仏教徒の聖地として、
信者の訪問が絶えない。
 
(祇園精舎の跡)
(祇園精舎、釈迦が説法をした中壇)
 
バラやそのほかの花びらが、
祇園精舎のレンガの上に敷き詰められて、
足の踏み場もない。
この日も、沢山の仏教徒や修行僧の訪問があり、
干からびた花びらは、
捨てられ新しい花びらが敷き詰められていく。
橙色の花びら、赤い花びらがびっしりと敷いてあり、
神聖な場所のイメージを強く感じる。
 
(釈迦が説法した最上段、赤いバラの花が敷き詰められている)

後方に、途中まで発掘した祇園精舎が続くが、
これは関西大学の教授が、
これ以上発掘しても意味がないと止めたという。
広大な敷地を掘り進めれば、
まだまだ広がりを見せることを容易に想像できる。
 
(掘り進めて広すぎたため止めた祇園精舎の跡)

しかし、日本人には有名な祇園精舎の鐘は、
見渡しても見当たらない。
祇園精舎の跡地に立てば、
どこかから聞こえてきそうに思える。
 
ごぉぉ~~んんん・・・・
 
しかしどこからも聞こえてこない。

祇園精舎を後にして帰路に向かう途中、
ちょっとした林の中にその鐘はあった。
 
(祇園精舎の鐘)

観光バスを止め、
鐘楼まで数十メートルの脇道を入ったところにそれはあった。
 
この鐘は祇園精舎の鐘ではあるが、
昔のものを再現したものでなく、
 
何のことはない、
平家物語の冒頭にある文章に魅せられた経済大国の小金持ちが、
やむにやまれず、寄付した鐘であるということであった。
 
(鐘を突きに集まる人達)

それにしても、やはり日本人ツアー客は競って、
その鐘を鳴らしに鐘楼を昇ったのは云うまでもない。
もちろんボクも鐘を突きに鐘楼を昇った一人である。

ごうお~~~んんんん~~~~!

夕暮れの平原に響き渡る鐘の音は、
寂しい「諸行無常」の響きが伝わっていた。
 
 
コメント (10)
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高さ:200cm、奥行き:50cm、幅:135cmー断捨離?(4)

2021年02月11日 04時21分24秒 | つれづれなるままに考えること
何のサイズだと思いますか?
 
中味を処分するのに3年かかりました。
 
処分:中古で売れるものもあり、
 
もう古くて商品にならないものもあった。
 
ここまでヒントを出すと、
 
洋服ダンスと思われる方が出てきそう。
 
奥行き50cmは、前後に二段になって居り、前部分がスライドする。
 
一人では持ち運び出来ない。
 
 
いざ本体を捨てようとしたら、
 
「ちょっと待って」
 
「新型コロナが、終息するまで・・・」
 
カミさんから待ったが掛かった。
 
やれやれ、これでは処分するのに、さらに時間がかかりそう、
 
何時になることやら・・・
 
でも、
 
これでボクの責任の範囲からは解放された・・・・
 
この品物があるため、六畳の部屋が、二畳ほどになって居る。
 
実はもう一棹、サイズは小さいが同じものが、
 
同じ部屋に入って居る。
 
 
品物は、本箱です。
 
そうです、本箱です、この本箱を処分しても、
 
さらに、もう一つの本箱があって、
 
捨てられなかった本は、
 
明治、大正、昭和にかけて、
 
分厚いのが十冊ほどあります。
 
空にした本箱から、この本箱に移動しただけですが、
 
いずれ捨てなければならない運命にあります。
 
これまた、何時のことになるやら・・・
 
 
コメント (7)
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