楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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釈迦入滅の地クシナガルと沙羅双樹(インド紀行10)

2021年02月06日 04時25分45秒 | 海外旅行1
(釈迦入滅の地クシナガルと沙羅双樹)
平家物語の出だし、
 
「―――沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす...」
 
は有名であるが、
この沙羅双樹というのはシャラの木をさし、夏ツバキの別名。
夏の時期に、沢山の美しい白い花をつけ、見事に咲いたかと思うと、
椿の花のようにぽとりと、あっけなく花が落ちる。
沢山咲いて、またたく間に沢山落ちていくので、
木の根元に雪が積もったように白く見える。
この様子をさして、
「盛者必衰の理をあらわす」と述べたに違いない。
なるほど、「おごれるもの久しからず」である。

このシャラの木が二本、
釈迦が入滅した場所の両側に植わっていたという。
そのためであろう、
日本では寺院の本堂の入り口の左右に植えられていることが多い。
つまり本堂は極楽浄土を意味し、
その入り口には沙羅双樹が植えられているということになる。
 
(ニルバーナ寺院)

最近、会社の正門前の左右に、
このシャラの木が植えられているのを見かけるが、
(神聖なる場所に入る)を意味しているのであろうか?

さて、副題に(釈迦入滅の地)と書いた。
この文字をはじめて見たとき、
「入滅」とはどんな意味なのか疑問を持ったが、
そのままにしておいた所、
今度は、「釈迦が涅槃に入った...」
という文章に出会った。
「入滅」も「涅槃に入る」も同じ意味と思った。

普通の言葉に直せば、
「死亡」の難しい表現であろう事は推測できたが、
どうもスッキリしない。
そこで今回初めて辞書を引き、はっきりさせることにした。

広辞苑(第四版)によれば、
【涅槃=(梵語)ニルヴァーナ
   =吹き消すこと、消滅の意。
   ・煩悩を断じて絶対自由となった状態。
   ・仏教における悟り。
   ・入滅。
   ・ブッダまたは聖者の死。
 
「入滅」=涅槃に入ること。
     釈尊の死。
 広くは高僧の死をいう。】とある。

つまり涅槃も入滅も同じ意味を持っているということが判った。
普通の人間なら「死亡」ということである。
クシナガルの地に釈迦が死んだ場所があり、
そこをニルヴァーナ寺院という。
全部日本語で書けば「涅槃堂」ということだ。
 
 
この堂の中に巨大な釈迦の涅槃像が横たわっており、
中では読経の見事な低音の声が響いていた。
音を表現できないのが残念である。
 
(横たわる釈尊像)

カメラを向ければ、10ルピーといわれるが、
お布施であるから出しても出さなくても良いとは、
ヒンズー教の信者であるガイドさんの話。

その寺院の裏手に、釈迦の遺骨を納めたストゥーパ(卒塔婆)があり、
左右に沙羅の木があったとされるが、今は違う木が植えられている。
(注:ストゥーパは、記念塔、供養塔、仏舎利塔、墓を意味する)
 
(写真が下手で分かり難いですが、中央が釈迦の墓)
 
両側に沙羅双樹の木が立っていた所に今は違う木が植えてある。 

ところで、釈迦の命日は何時だったのか気になったので、
ガイドさんに聞いてみた。

「日本では何時になっているのですか?」
と逆に質問を受けた。
実はこのガイドさん、最初に紹介されたとき、
仏教学をデリー大学で学んだ仏教学者と紹介されていた。

「インドでは死亡時期については不明とされています。」という。
それが正しいのかもしれない。

ボクが知っている範囲では、
西行法師が詠んだ有名な歌に、

・ねがわくば 花のもとにて 春死なむ
          そのきさらぎの もちづきのころ
 
というのがあって、
その意味は
「どうせ死ぬのなら春の桜が盛りの旧暦2月15日ころに死にたいものだ、
釈迦様みたいに」といっているから、

「日本では2月15日ということになっています」と答えたら、
「ああそうですか」と言ったいた。
本当のところは、果たして何時なのであろうか?

また疑問が増えてしまった。
やはり勉強は死ぬまでついて回るらしい。
 
 
コメント (6)
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