楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

テレトレーニング

2020年06月19日 20時46分30秒 | つれづれなるままに考えること
孫娘から電話
昨夜食事中に、孫娘から電話があった。普通は、LINEでメールが来るのに、カミさんが出ると、「就職試験内定が出たよ!」と、喜び弾んだ声だと言う。この孫娘来春卒業で......


去年、就職が出来て喜んでいた孫娘、

今年になって入社式もなく、

いきなりパソコンとスマホを会社から送って来て、

テレワークとなった。

出社することもなく、配属が決まって喜んでいた。


テレワークならぬ、テレトレーニング?(ボクが作った新語/新入社員通信教育)となった。

何を教わって居るか知る由もないが、

コンピューターとスマホでうまく教育されているのだろう。

「一年目は何を訊いても良いが、二年目になって聞くと、

そんなことも知らないのかと叱られるから、

よく勉強して、解らないことはどんどん質問しておきなさい」

とは言って置いた。

その孫娘、6月になって初めて出社した。

ただの顔合わせだけだったようだが、

食堂だのトイレだの、人事課、厚生課、

貴女は営業課で席は何処、

直属の上司や課長、係長、部長と教えられたが、

次に出社した時まで覚えていられるかどうか、

ビルが大きいので戸惑ったようだ。

しかし、その後、6月一杯は、

また、家で新入社員教育/テレトレーニングだそうだ。


新型コロナの影響は、ずいぶん長い。

しかし、新入社員を自宅に置いて、

出社もしないで給料も払える会社はまだ良いとして、

入社取り消しとか、ひどい時は会社が無くなるケースもあるようで、

もし今月ボーナスが出たら(今回は寸志だろうが)、

貰っても良いだろうかくらい考えなさい、と言って置いた。


かく言うボクは、5月の終わりに、

10万円も特別ボーナスをお国から頂いたが・・・・。

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サクラウツギ

2020年06月16日 05時55分40秒 | 日記
花の名前を知ったのは、つい最近のこと。

花が桜に似ているのと、サクラのように一色で無い事。

ピンクと白のグラデーション(と言う?日本語として正しい使い方でしょうか)だからです。

花の輪郭がサクラに似ているのに、花びらが細い。

(サクラウツギ)


(ピンクと白のグラデーション)


ボクが名付けると(さくらもどき)になるのですが・・・・。





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物価とトイレの話(中国紀行 8)

2020年06月16日 01時27分28秒 | 上海・北京・香港・マカオ(中国紀行)

(生活)
高速道路の両側には、
モダンな三階建ての一戸建て住居が並ぶのが目に付く。
中国の農家の住居である。

前回訪問したときは、
毛沢東時代の古い五階建てのマンションが沢山建っており、
エレベーターはなく、足ベーターで階段を登っていた。
日本でも五階建て以下は、
エレベーターを設置する義務がないそうだから
同じ状況である。

トイレは、水洗でなくおまるを使っていた。
用がすんだ後どのように処理していたのかは知らない。
今でこそ、観光客は西洋式の水洗トイレで用を足せるが、
少し前までは、ドアーもないトイレであったと友人から聞いた。
そんな時、回りの中国人が(日本人が用を足している)とばかりに
ワーッと集まって覗きに来たという。
なんだか、戦時中の日本における、
天皇がお手洗いに入ったとびっくりしている様子に良く似ている。

中国のトイレは、
日本の和式便器に似ているが、
キン隠しがない。
だから、ドアーから入って奥を向いて用を足すのか、
あるいはドアー側を向いて用を足すのか、
どちらを向いて用を足すのか解らない。

和式では、ドアーを開けて奥を向いて用を足すが、
ガイドさんに聞いてみると、
中国では、ドアー側を向いて用を足すそうである。
その昔、ドアーのないトイレの名残りでその習慣が付いているのであろうか。
そのせいか、中国の公衆トイレは、
入り口のドアーの鍵がかからないトイレが多かったが、
用を足している最中に前面から覗かれても陰部を見せない、
あるいは用を足している無防備な状態で、
後ろから襲われないためなのかも知れない。

中国人はつい最近まで、
前面ドアーがないトイレを使用していたから平気であるが
(もっともいつも鍵をしないボクも平気であるが)
通常の日本人は気になるところではある。
田舎へ行けば隣りとの仕切りのないトイレもあるようだが、
ボクはこのトイレにまだ出くわしていない。

しかし、生活は大都市と田舎とはそれなりの格差があるようだ。
北京上海など大都会では、
電気も煌々とついているが、
一歩田舎に入ると、電柱すらなく、
電気のない家庭が沢山ある。
これはインドでもアフリカでも同じであった。
それに比べると日本はお金持ちの国に見えるに違いない。
どんな田舎に行っても、
電灯がついていないところはないからだ。

日本ではどんなに貧乏でも、
アジア地域に出て行けば、豊かな生活が出来る。
日本では、老後を年金では生活に足りない額でも、
アジア地域では、お金持ちの生活が出来るという。

たとえば、広大な敷地に一軒家を借りて、
ドライバー二名、ハウスキーパー二名を雇って、
タイでは、一ヶ月22万円の生活費ですむという。
東京の生活費の80%で、
カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの生活ができる。
また、友人がスペインへ移住して12年経つが、
年金で十分まかなっている。
市長さんあげて大歓迎とのことだ。

中国では、大都市で生活しても、
東京の生活費の20%もあれば、十分やっていける。
いや、豊かな生活が出来ること請け合いだ。
ただ、発展のスピードが生半可ではないから、
生活水準があっという間に変わって、
こんなはずではなかったと後悔する日が来ることは、
意外に早いかもしれない。

定年になって昨年で10年になるが、
53カ国を旅して、物価が高いと感じたのは、
シンガポールぐらいのものだから、
東京で豊かな生活をしている人たちは、
ロンドンだろうと、パリだろうと十分生活できる。

物価高の点では日本は他の国に負けることはない。





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京劇 (中国紀行 7)

2020年06月15日 20時51分16秒 | 上海・北京・香港・マカオ(中国紀行)
(京劇)

北京滞在中、京劇を見るチャンスに恵まれた。
恵まれたとはいえ、
中国語は(さようなら、一から十までの数、有難う、水、)しか知らない。
中国語が解らなければ、
京劇を見ても、ただの踊りくらいにしか思えないに違いない。
それにしても、折角のチャンスだから、
見てみようということになって、劇場に行った。

その昔、ニューヨークのブロードウエイで見た、
ミュージカル「Dancing」も歌の意味はさっぱり解からず、
結局は踊り?
(どうも言葉がふるい。
この際は、ダンスというべきか)
を観たという結果になった。
ボクは劇場まで徒歩で行ったが、
劇場の入り口では、

運転手つきのリンカーンやキャディラックの超豪華車の
しかもリムジンで乗り付ける、
金持ちの姿を垣間見ることが出来た。
それも一台や二台ではない。
次から次へと車はやってきて、
運転手は車を止めるや、
急いで降りて、後ろのドア―を開ける。
車から降りてくるレディは、
ふわふわの毛皮のストールに、
殆ど胸の開いたドレスに身を包んでいる。
女性は若くて、背が高く、
白人だから当然だが、色が透き通るように白い。
ハイヒールがとてもよく似合う。

これまた、背の高い素敵な男性が、
ビシッとスーツを着込んで、
女性をエスコートして行く。
この光景は、
ボクには映画に出てくる一シーンにしか思えなかった。

夕方18時頃から始まるので、
ボクはサンドウィッチを持って、
劇場の中で食べればよいと思っていたが、
とてもそんな雰囲気ではない。
結局サンドイッチは何も手をつけずホテルまで持って帰り、
ホテルでビールと一緒にカミさんと寂しく食べた。
しかし、あのリムジンで来た人たちは、
きっと二人で高級レストランに行き、
これまた高級ワインかシャンペンで乾杯して、
食事をしたのだろうと想像される。

さて、北京の京劇の方は、PM8:00頃の開演。
席に着くとイヤ・ホーンを沢山持った人が来て、
流暢な日本語で京劇の解説をしながら、
セリフを日本語に同時通訳してお聞かせできます。
金額は忘れたが○○元(記憶では500円ほど)であるという。

その他に、舞台の袖に字幕スーパーが
英語と中国語で表示されるという。
カミさんはイヤ・ホーンを借り、
ボクは英語なら何とか解ると、
何もなしで見ることにした。

京劇は「項羽と虞美人が、別れるくだりで、
四面楚歌の場面」であった。
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」
海音寺潮五郎「中国英傑伝」
陳瞬臣「中国の歴史1~7巻」
「小説十八史略1~6巻」
を読破しての中国旅行であったので、
このシーンは頭の中に入っていて、解りやすかった。

英語の字幕スーパーも、分かり易かったが、
中国語も漢字で表記されるから、
漢字を知っている日本人には意味が汲み取れる。

四面楚歌のシーンは有名である。
城を敵の楚軍に包囲され、
包囲網を切り開いて単身逃げ延びようとする項羽は、
虞美人を如何したら良いか、
思い悩むシーンだ。

「虞よ、虞よ、汝を如何せん!」と。

(京劇1)



虞美人は、自分が足手まといになってはならぬと、
自殺をする。

「自殺する」を「自刎する」と本には書いてある。
日本の武士が自殺する方法は「切腹」であるが、
その方法は知っているが、
「自刎」の方法は知らない。

刀を両手にささげ、
首をその刀の上に落とすと、
首が切れたらしい。

(京劇2)


カミさんのイヤ・ホーンが途中で聞こえなくなったという。
良くしたもので、手を上げると、
先ほどイヤ・ホーンを貸した、
お兄ちゃんが飛んで来て、
チェックすると聞こえるようになった。

京劇の演技そのものは、
多分「歌舞伎」のようなものと表現するのが、
一番早そうであるが、
残念ながら「歌舞伎」は見たことがない。

一度だけ猿之助の「スーパーカブキ」なるものを見たが、
これはサーカスみたいなものである。
古典芸能で見たことがあるのは「能」。
ボクがたとえることが出来るのはこの
「能」のようです。
というのが正しそうである。

それにしても食事の後であったから、
ニューヨークのように食事の心配をしないで、
リラックスして見られたせいか、
ボクにはとてもよい印象に残った。
(京劇3)


北京で上海雑技団ならぬ北京雑技団の公演も観たが、

いつかまたの機会にお話したいと思います。

これは2004年北京を訪ねた折の話です。

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お茶ー近くて遠い国(中国紀行 6)

2020年06月15日 20時50分51秒 | 上海・北京・香港・マカオ(中国紀行)
(お茶)
何度も書いているが、
ぼくの頭の中によほど印象に残っているのであろう。
パール・バックの「大地」、
英文では{Good Earth}、
これを大学一年の夏休みに、
初めて原書に手をつけて読んだので、
すこぶる強烈に記憶に残っている。
それは物語の出だしが、
大変、印象的であることも手伝っている。

その物語の冒頭は、
貧農の主人公が、
朝 暗いうちに起きだして、お湯を沸かし、
家の奥から流れて来る父親の咳を聞きながら、
お茶を入れるシーンである。

「コンコン」と咳き込む咳の音を英語では
「cough cough」と表現するとか、
お茶を入れるシーンでは、
カールしたお茶の葉が器の中で、
柔らかく開いていく記述に、
中国ではお茶の葉を茶碗に入れてお茶を飲み、
お茶の葉も食べるのだなあ、
とか新しい発見をしたものである。

2006年、三度目の中国を訪れて、
茶碗の中に直接入れたお茶の葉が、
お湯を注ぐと開いていくさまを観察できたが、
この時初めてパール・バックの「大地」にある、
お茶の著述を体感した。

このお茶は江沢民氏から、
エリザベス英女王に送られたといういわく付のもので、
本来緑茶は、いったん蒸したお茶の葉を素手で揉み、
乾燥させたものであるが、
このお茶は摘んだものを、
そのまま緑色が変わらぬ程度に
焙烙(ほうろく)で炒ったものである。
お茶屋さんに入ると、
このお茶を炒る匂いが充満していて、
ほうじ茶を思い出させるが、
暑い日には私たち見学者を爽快な気分にさせてくれる。

一番茶、二番茶とお茶の入れ方など聞きながら、
入ったお茶をいただくのであるが、
長年胸中に温めていた中国茶への憧れからか、
とてもおいしくお茶をいただいた。
これは中国でのお茶を売るための
デモンストレーションであることがわかっている人たちは、
「一番茶、三缶で一万円!」といわれても、
誰も返事をしないし、素知らぬ振りである。
売り手もなれているとみえ、
三缶がやがて四缶になり、5缶になって、
さらに二番茶が一缶オマケについて一万円になる頃、

本当に買いたい人が
「オマケを二番茶でなく一番茶にしてくれません?」と言う。
売り手は困った顔をするが、やがて折れる。
見学者十数人の中で、
一人でも商談が成立すればOKと全員が腰を上げる。
こんな光景が旅行中に何度かあるのは、疲れる。

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さて、この銘茶の生産地には、
お茶の博物館があり、その横にお茶畑がある。
一番茶とは、春になり最初に出た芽を摘んだものが一番茶であり、
一番茶を摘んだ後に出るお茶の芽を炒ったものが
二番茶になるという説明である。
一番茶、全部で六缶にしてもらって一万円で買って
お茶を帰国後落ち着いてから飲んでみると、
お茶に湯を注ぐと、日本茶ではお湯がグリーン色に変色し、
お茶の香ばしいかおりが広がるが、
このお茶は香りこそすれ、
お湯に色は付かない。
全くの白湯である。

飲んでみれば日本茶と変わりなく、おいしい。
しかしなんとなく物足りないのは、
食べ物飲み物を目で食べてしまう
習慣が付いているからであろうか?
その事情を説明しながら、
お土産として子供たちや、知り合いに配った。
茶碗に残ったお茶の葉は、
お召し上がりくださいというのも付け加えた。
その後、お茶の緑色が出ないことに不満を感じて、
このお茶の葉を細かく砕いて粉にし、
抹茶のように、一匙茶碗に入れてみると、
緑茶になり、味も豊かで、
ますますおいしく感じた。

こうして、長年抱いていたお茶の葉を食べる
「茶の湯?」に大満足、
イギリスのエリザベス女王に、
このお茶の入れ方を教えて差し上げたいものである。

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