(天気予報)
サラリーマンであったボクが、
明日の天気で「雨」の予報を聞いて考えることは、
・ 通勤時に傘が必要になるか
・ 仕事上外出の予定があるか
・ ゴルフに行く予定があるか
・ お客様の出足が遠のく
・ 散歩に出にくくなる....
等など仕事か遊びにどんな影響が出るのかくらいが、
最大の関心事になる。
定年で家にいるようになって、
女性は、もっと他の事も考えていることに気がついて、
正直なところビックリした。
・ 布団が干せない
・ 洗濯物が乾かない
・ ごみの回収日だけれど早く出すと濡れてしまう
・ 雨靴の用意
・ レインコートは?
・ 傘はキチンと整理整頓されていたか?
....etc.
そもそも40年間もサラリーマン生活をして、
家の中のことはすべてカミさん任せにしていた男が、
ある日突然、日常生活のあれこれ細々とした事に、
思いを馳せよう等ということ自体、ナンセンスといわざるを得ない。
そもそも結婚した時に、家の中はカミさんの仕事、
対外折衝は夫の仕事と、役割分担を決めてあった。
言い訳のようであるが、これはこれで仕方がないと思っていたが、
定年で、何もやることがないとなると、
どうやら状況が違ってくるらしい。
つまり、働くのはカミさんだけで、ボクは朝から新聞を読み、
テレビのニュースを見て、
朝の連続ドラマを見れば、
「では行ってくるよ」と、ゴルフの練習に行ってしまう。
なんだか、カミさんだけが働いて、亭主は好き勝手なことをして遊んでいるだけだ。
どう見ても、誰が見ても平等とはいえない。
「今まで40年も仕事に励んできたから、
今でもぬくぬく生活が出来るのだから、そこを評価して欲しい」と言っても、
現実には遊んでいることに変わりが無い。
カミさんが一計を案じて言う。
「私がいなくなったら、どうやって生活するのですか?」と。
ボクは考えている。
男やもめに蛆が湧いて、食事は外食で、洗濯も適当にやるさ。
くらいなものだ。
カミさんは続ける。
「食事くらい自分で出来るようにしておいて欲しいから、
お料理を習って欲しい」
何といっても台所に立つのは、
自分で釣ってきた魚を三枚に下ろして、
その晩の刺身を作るくらいしかやらず、
しかも後片付けはカミさん任せでやってきた。
残った獲物は、結局カミさんが、後で捌いたのである。
本人は「朝早く出かけたから」とか、
「明日会社が忙しいから」とか言って、
酔っ払って眠くなったのをいいことに、
さっさと風呂に入って眠ってしまう。
そんな生活であったから、
定年になったからといって、急に変られるものでもない。
それでも、よし、学校へでも行くか、と決めて料理を習うことにした。
止せば良いのに、
T家政女子大学で公開講座があることを知って六ヶ月学習することになった。
この話はまたの機会にしよう。
さて、最近の若い男性は、
上記のように家事全般に思いを馳せることができるようだ。
それは、男性も家事に従事する機会が多くなったという証拠に違いない。
・ 収入が少なくないのに妻を働かせて当たり前
・ 妻も働いて当たり前
・ 男性が家事を手伝うのも当たり前
・ いや、女性が家事を手伝うなんてこともある
・ 子供は二人で作るから、
育児は二人で面倒を見るのが当たり前。
何時の時代から、
こんな考えが当たり前になってきたのか、
よく分からないが、
少なくも太平洋戦争前に生まれたボクにとって、
とても理解に苦しむところです。
そもそも男子と女子では体のつくりが違うし、
そもそも神が人をお造りになったとき、女は産む苦しみを、
男は働く苦しみを受ける罰を与えたのです。
だから夫婦分業の考えは、自然に出てきてしかるべきです。
夫は働きに出て棲家に餌を運ぶ。
妻は家の中を取り仕切る。
これを、第一の原則と考えるのが間違いなのだろうか?
洋の東西を問わず、
「女性が男性を好きになり、あるいは、
男性が女性を好きになり、家庭を築き、子を育み、
子は大きくなって結婚独立し、子を育む。
やがて一人になり、世を去る。」には変わりない。
人間が生きている間のことは(途中経過は)、
夫婦二人で上手くやれば良いのである。
中には、家の中で料理を作るのが好きな夫もいれば、
外に出て仕事をしているのが好きな妻もいるだろう。
妻の陰にいるほうが似合う夫もいれば、
前面に出て仕事をバリバリこなすのが好きな夫もいるだろう。
夫婦のことは、どれがどうでなければならない原則は無い。
天気予報にあわせて、日常の生活のあり方で、
考え方がずいぶん違う結果になるということが、
判っただけでも成長したと言える。
料理を習ったからといって、
必ずしも台所に立たなければならぬと言うことでもない。
夫婦で上手く過ごせればそれでOKということだ。
サラリーマンであったボクが、
明日の天気で「雨」の予報を聞いて考えることは、
・ 通勤時に傘が必要になるか
・ 仕事上外出の予定があるか
・ ゴルフに行く予定があるか
・ お客様の出足が遠のく
・ 散歩に出にくくなる....
等など仕事か遊びにどんな影響が出るのかくらいが、
最大の関心事になる。
定年で家にいるようになって、
女性は、もっと他の事も考えていることに気がついて、
正直なところビックリした。
・ 布団が干せない
・ 洗濯物が乾かない
・ ごみの回収日だけれど早く出すと濡れてしまう
・ 雨靴の用意
・ レインコートは?
・ 傘はキチンと整理整頓されていたか?
....etc.
そもそも40年間もサラリーマン生活をして、
家の中のことはすべてカミさん任せにしていた男が、
ある日突然、日常生活のあれこれ細々とした事に、
思いを馳せよう等ということ自体、ナンセンスといわざるを得ない。
そもそも結婚した時に、家の中はカミさんの仕事、
対外折衝は夫の仕事と、役割分担を決めてあった。
言い訳のようであるが、これはこれで仕方がないと思っていたが、
定年で、何もやることがないとなると、
どうやら状況が違ってくるらしい。
つまり、働くのはカミさんだけで、ボクは朝から新聞を読み、
テレビのニュースを見て、
朝の連続ドラマを見れば、
「では行ってくるよ」と、ゴルフの練習に行ってしまう。
なんだか、カミさんだけが働いて、亭主は好き勝手なことをして遊んでいるだけだ。
どう見ても、誰が見ても平等とはいえない。
「今まで40年も仕事に励んできたから、
今でもぬくぬく生活が出来るのだから、そこを評価して欲しい」と言っても、
現実には遊んでいることに変わりが無い。
カミさんが一計を案じて言う。
「私がいなくなったら、どうやって生活するのですか?」と。
ボクは考えている。
男やもめに蛆が湧いて、食事は外食で、洗濯も適当にやるさ。
くらいなものだ。
カミさんは続ける。
「食事くらい自分で出来るようにしておいて欲しいから、
お料理を習って欲しい」
何といっても台所に立つのは、
自分で釣ってきた魚を三枚に下ろして、
その晩の刺身を作るくらいしかやらず、
しかも後片付けはカミさん任せでやってきた。
残った獲物は、結局カミさんが、後で捌いたのである。
本人は「朝早く出かけたから」とか、
「明日会社が忙しいから」とか言って、
酔っ払って眠くなったのをいいことに、
さっさと風呂に入って眠ってしまう。
そんな生活であったから、
定年になったからといって、急に変られるものでもない。
それでも、よし、学校へでも行くか、と決めて料理を習うことにした。
止せば良いのに、
T家政女子大学で公開講座があることを知って六ヶ月学習することになった。
この話はまたの機会にしよう。
さて、最近の若い男性は、
上記のように家事全般に思いを馳せることができるようだ。
それは、男性も家事に従事する機会が多くなったという証拠に違いない。
・ 収入が少なくないのに妻を働かせて当たり前
・ 妻も働いて当たり前
・ 男性が家事を手伝うのも当たり前
・ いや、女性が家事を手伝うなんてこともある
・ 子供は二人で作るから、
育児は二人で面倒を見るのが当たり前。
何時の時代から、
こんな考えが当たり前になってきたのか、
よく分からないが、
少なくも太平洋戦争前に生まれたボクにとって、
とても理解に苦しむところです。
そもそも男子と女子では体のつくりが違うし、
そもそも神が人をお造りになったとき、女は産む苦しみを、
男は働く苦しみを受ける罰を与えたのです。
だから夫婦分業の考えは、自然に出てきてしかるべきです。
夫は働きに出て棲家に餌を運ぶ。
妻は家の中を取り仕切る。
これを、第一の原則と考えるのが間違いなのだろうか?
洋の東西を問わず、
「女性が男性を好きになり、あるいは、
男性が女性を好きになり、家庭を築き、子を育み、
子は大きくなって結婚独立し、子を育む。
やがて一人になり、世を去る。」には変わりない。
人間が生きている間のことは(途中経過は)、
夫婦二人で上手くやれば良いのである。
中には、家の中で料理を作るのが好きな夫もいれば、
外に出て仕事をしているのが好きな妻もいるだろう。
妻の陰にいるほうが似合う夫もいれば、
前面に出て仕事をバリバリこなすのが好きな夫もいるだろう。
夫婦のことは、どれがどうでなければならない原則は無い。
天気予報にあわせて、日常の生活のあり方で、
考え方がずいぶん違う結果になるということが、
判っただけでも成長したと言える。
料理を習ったからといって、
必ずしも台所に立たなければならぬと言うことでもない。
夫婦で上手く過ごせればそれでOKということだ。