本合海から乗船した芭蕉と曾良、
船に揺られて清川で下船する。
(乗船した本合海の芭蕉・曾良像)
(本合海の最上川)
「おくのほそ道」では、
「最上川は、みちのくより出でて、山形を水上とす。
ごてん・はやぶさなどおそろしき難所有。
板敷山の北を流れて、果ては酒田に入。
-中略ー
白糸の滝は青葉の隙ひまに落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。
水みなぎって舟あやふし。」
とある。
ボクたちが最上川の乗船場に着いたとき、
「水みなぎって舟あやふし。」どころか、
最上川は渇水状態で舟下りができない状態と言われ、
やむなく、行けるところまで行って、
Uターンして帰ってくるという案で我慢することとなった。
舟下りの感覚だけは得られたものの、
「ごてん・はやぶさなどおそろしき」などという所は無く、
水不足で、流れの荒々しい所は一切なく、
また、青葉の間に見えるはずの白糸の滝も水不足で、
青々とした木の緑しか見えず、
仙人堂の鳥居が小さく見えただけであった。
(最上川舟下りの御一行様)
芭蕉が下船したという、
清川は廃校となった小学校の後に、
関所もあり芭蕉像もあり、
その脇を最上川が流れている。
(清川関所への道)
清川小学校の最上川寄りの裏庭に堤防に向かって
清川関所跡の標柱がある。
(清川関所の案内)
(松尾芭蕉と清川の案内)
松尾芭蕉と清川の案内によりますと、
「俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月3日
本合海よりこの地に上陸し、清川を通って羽黒に向かいました。
・五月雨を 集めて早し 最上川
この名句は、その船の中で作ったものと、
言われています。
清川は往時、最上川の水駅として栄え、
この地に清川関所がありました。
その往時を偲ぶものは榎の古木と
隣の井戸だけとなってしまいました。」とある。
案内の中の英文は、90歳になって日本に帰化した、
芭蕉研究家ドナルド・キーンによる
「おくのほそ道」の英訳本の一部かと思ったが、
これはR.H. Blyth氏によるとあるが、
ボクはこの方を知らない。
・五月雨を Collecting all
集めて早し The rain s of May
最上川 The swift Mogami River
英語の直訳: 五月の雨を
すべてを集めて
早い最上川
ドナルド・キーン氏の英訳では、次のようになっている。
Gathering seawards 直訳: 夏の雨を 集めて海へ
The summer rain,how swift it is! なんて早いんだろう!
Mogami River 最上川は
本題から外れてしまった。
元に戻そう。
(関所前の井戸と芭蕉像上の榎の葉)
(中央の木の左横にある白い清川関所の跡の碑)
(清川関所の門)
その横に庄内藩清川関所(船見番所)がある。
(船見番所)
(芭蕉が乗ったであろう川下りの舟の模型)
出羽三山神社入り口.
(出羽三山神社入り口)
(芭蕉も訪れた案内、隋神門前)
(隋神門)
(隋神門前で山伏と記念写真を撮る観光客)
(隋神門の奥、五重塔へ通じる下り階段)
この先は羽黒山五重塔を見て頂きたい.
最上川が渇水状態で、行けるところまで行ってUターンとは残念でしたね。
私が川下りしたときは、”水みなぎって舟あやふし”でしたよ。
ドナルド・キーンの俳句の英訳、初めて見ました、勉強になります。
船頭さんのご自慢の咽喉をきいて、
最上川は終わりました。
英訳したD・キーンさんのほうが、
きっと具体的だろうと、
英語の本を買いましたが、
結局、芭蕉を理解できずに、
今度は同じ旅をしたら理解できるだろうと、
旅に出ました。
なんとか少し理解できたように思えます。
近年の異常気象には困惑します。芭蕉「奥の細道」の風景は失われていくのでしょうか。
今度は氾濫するほどの水とは・・・
ブログに載せるのを忘れていたことを
忘れていたことを思い出して、
今日載せましたが、
この近くでパトカーが流され、
二人の警察官が行方が分からず、
一人は発見され死亡が確認され、
残り一人が行方不明ですね、
安否が気遣われます。
コメントありがとうございました。