前回、巨砲(おおづつ)の話で松月院を紹介した。
巨砲使って高島秋帆が徳丸が原(今の高島平)で、
洋式の軍隊演習をした。
その時、この松月院を本陣と定めたので、
高島秋帆にかかわる記念すべきものが残っている。
その松月院の門前。

曹洞宗の禅宗で松月院 萬古山 宝持寺。
門を入ると境内は広い。
第二の門まで広場があって、
ボクが訪ねたときは、少年がサッカーで遊んでいた。
(第二の門)

(第二の門から見た奥にある本堂)

(第二の門から第一の門を振り返る、境内の広さが解る)

(その間に滑稽なベンチがある)

(「おててをあわせて おがみましょう」と小僧の像がある)

(前回紹介した大砲と、下に丸い弾薬二個)

この松月院には、家康からもらった朱印状が残されている。

少し見難い説明書きですが、
板橋区教育委員会の説明によりますと、
家康かもらった40石の朱印地を、
松月院に寄贈した朱印状を発給したとある。
その朱印状その後歴代将軍が発給しているのですが、
次の将軍が発給した時に、
前回の朱印状を返納する規則であったのに、
ここでは、その朱印状が複数枚残っております。
それが宝物殿に陳列されています。