楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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十五歳の春(手紙 〜拝啓 十五の君へ〜)

2015年09月16日 07時03分23秒 | つれづれなるままに考えること
十五歳の孫が遊びに来た。
お昼に御馳走したステーキを頬張って、
美味しい美味しいと言って食べた。
これ位、美味しそうに食べてくれると、ごちそうした甲斐がある。

ボクは年齢でカロリーの高いものは食べるのを遠慮している。
その所為か、自分中心に食べ物を選ぶから、
何時も食べるものがあっさりしていて、
孫には不人気であったに違いない。
自分のことだけ考えないで相手の立場も考えないといけないと、
つくづく思い知らされた。


十五歳の孫を見て、♪手紙~拝啓十五の君へ♪の歌と、
同じ年だったころの自分を思い出した。

アンジェラ・アキの歌、♪手紙~拝啓十五の君へ♪の中で、

「自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる。
あれた青春の海は厳しいけれど、
明日の岸辺へと、夢の舟と進め。(後略)」

アンジェラ・アキ 『手紙~拝啓 十五の君へ~』

この歌詞のように十五歳の春、
自分はいったい何で、この一生をどう生きたらよいのか、
自問自答した時がある。

「青春に読むべき100冊」の本を50冊近く読んで、
(人生は空しい)ことを悟った。

人間とは、「智恵、意志、感情を持った動物である。」と教わったが、
これ以上明快な解釈をボクは知らない。

そしてその構成は、感情がほとんど90%を占め、
残り10%が知恵と意志であると教えられた。
つまり水面に出た氷山の一角が知恵と意志であり、
海面下にある氷の塊が感情である、と言う。

人は生まれてきて、多種多様な生き方をし、死んでいく。
つまり、「生まれて死ぬ」ただ、それだけだ。

問題は、生まれて「何かをして」死ぬ、の「何か」だ。
この「何か」が解らない。
考え考え、結局「何か」を求めて何十年も生きて来てしまった。

結婚し子供を育て、生きて行くのに「一所懸命」であった。
もうこれ以上自分の能力ではどうにもできないほど、
何をするにも「一所懸命」であった。

思えばこの「一所懸命」が、その「何か」であることに気が付いた。
自分の一生はこれで良かったのか、日本人はどう思っているのか、
外国の人たちはどのように思っているのか、

そして今、芭蕉の歩いた道程(みちのり)を進んでみて、
芭蕉はどのように思っていたのか、訪ねている。

人生は五年残っているだろうか、
10年残っているだろうか、こればかりは解らない。

芭蕉ではないが、

・旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡り

そんな具合に、一生をかけ巡ってみたいものだ。
孫のステーキの食べっぷりを見ながら、そう考えた。

それが人生だ!!



コメント (14)
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