(お茶)
最近、(お茶を飲みたいなあ)と思うと、
カミさんが
「お茶でも入れましょうか」という。
ボクが、お茶を飲みたいと思っているのが、
どうして分かるのだろうと思う。
ボクの動作に、何かそんな素振りでもあるのだろうか?
あるいは、知らぬ間に「喉が渇いた」といっているのだろうか?
カミさんに一度聞いてみようと思う。
ボクが小学生のころ、
姉たち(三人の姉が居たが)が何かの話で、
「お茶を飲むと色が黒くなる」からあまりお茶を飲まないほうが良い、
と話していたのを父が聞きつけて、
「お茶を飲むと色が黒くなる」
という言葉は使ってはならぬと叱ったことがある。
父の剣幕があまりにも険しかったので印象に残っている。
昔の道楽は(飲む、打つ、買う)の三つで、
これを三業といった。
少し前まで歓楽街のことを三業地といったのは、
このことを指している。
飲むは、酒を飲むで、
打つは、ばくち、
買うは女を買う、
である。
今時、女を買うなんていうと、
すぐお叱りを受けるが、1956年までは
堂々と店を張って、売春するお店があった。
利用したことは無いが、ボクが知っている範囲では、
東京では吉原、新宿二丁目、名古屋では中村が有名である。
まだほかに大阪や神戸、横浜など、あるに違いない。
ボクは名古屋の中村という地名のところで育った。
東京で出身は?と聞かれ「名古屋です」と答え、
「名古屋のどこ?」と聞かれて「中村です」と答えると、
一様に男性の皆さんは(にやり)としたものである。
名古屋の「中村」は、二つのことで有名である。
一つは、秀吉が幼名 日吉丸の時代に腕白な遊びをした場所として有名で、
ボクは日吉丸が産湯を使ったという井戸があるお寺の近くで育った。
一つは、「名楽園」なる買春宿が立ち並ぶ遊郭があったからである。
我が家から十分も歩けば行くことが出来た。
その昔、尾張徳川家が、
江戸の吉原を真似て造ったといわれる
由緒ある(?)歓楽街だ。
名古屋駅前にある「笹島」という地名が物語るように、
昔はこの一帯は笹が生い繁る沼地で、少し高台になったところが
島に見えたので、「笹島」といったそうであるが、
その一帯に歓楽街を造成したといわれる。
その歓楽街の娼婦たちが、
「今日はお茶っぴけ」とか
「あまりお茶を飲むと色が黒くなる」
という言葉を使うと父は言った。
父はこの遊郭を管轄する警察署の警官だった。
父の話によれば、
「お茶を挽く」というのは、
お客が来なくてひまだから、
その間に「お茶の葉を挽く仕事をさせられた」から出た言葉で、
この場合「お茶」は「お客」を意味する。
お茶を挽く=客足が引いて の意味になった。
姉たちが「あまりお茶を飲むと色が黒くなる」といったのは、
グリーンティを飲むと肌の色が黒くなるという意味で使ったのだが、
花柳界では、
「あまりお客に接すると色が黒くなる」の意味だというのである。
つまり、沢山の客と性行為をすると、
女性性器が黒ずむという意味だというのである。
だから未婚の若い女性が
「そんな言葉は使ってはならぬ」と父は叱った。
父はボクが就職して二年目に他界したことは以前書いたが、
思い起こせば、父にしろ、母にしろ、
いろんな大切な言葉を子供たちに残している。
(親の意見となすびの花は、千に一つの無駄も無い)
(子を知るに、親にしかず)
(この親にして、この子あり)
(子を見れば、親が分かる)
(孝行をしたいときには、親はなし)
(子を持って知る、親の恩)
(天知る地知る、わが身知る)
(壁に耳あり障子に目あり)=
(良いことも、悪いことも、誰も知らないであろうと思っても必ず誰かが見ているものだ)etc.
成人するほどに身にしみて感じることが多い。
昔の親は子供の修身教育にいろんなことを教えたものだが、
果たしてボクはどの程度、子供に残したか思い浮かばない。