goo blog サービス終了のお知らせ 

楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

「おとな」になる

2005年01月06日 10時50分00秒 | つれづれなるままに考えること
「おとな」になる
子供の頃、(早く「おとな」になりたい)と思った。

20歳になり、成人式を終えても
(「おとな」になった)とは思えず、いつになったら
「おとな」になれるだろうか疑問に思った。

大学生になり幼稚園児から「おじさん」と呼ばれて、
幼児から見れば「おとな」なんだなあ、そう気が付いた。
以来長い間、「おじさん」と呼ばれたことは無い。

結婚して、子供を持って「おとうさん」とは呼ばれたが、
気持ちの上で「おとな」になったとは思えなかった。
子育てで生活費を稼ぐのに一所懸命になっていて、
しばらく「おとな」へのこだわりを忘れていた。

子供が成長し成人式を済ませ結婚しても、親の自分が
「おとな」である実感が湧かなかった。
(やれやれ、子供たちも巣立っていった。彼らも
「おとな」になったものだ。)と思ったとたん、
自分は「おとな」になれているのか疑問に思った。

カミさんと二人だけの生活が始まって、しばらくして
定年になる頃になって、さまざまな年代の方から
色んな相談を持ちかけられるようになった。
自分より年配の方に尋ねればよいのにと思ったが、
自分より先輩はすでに定年になっていて、
相談されても「世捨て人」然としていて、相談に乗らないらしい。
この時、(やっとボクも「おとな」になった)実感が湧いた。
「おとな」には、60歳間近かになってやっとなれる。
そう感じた。

人生も80年時代になって、「おとな」として生きるのは、
60歳以降であると思われる。
この頃になって、やっと酸いも甘いも噛み分けられる
年齢になるようだ。

そんなことを考え、思い当たるのが、60歳以降10年も
経過した年頃になってからである。
だから、「おとな」と自覚して生きるのは、
たかだか残り10年程度であるが、それも命の長さを考えれば、
たいして長い時間ではない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!