昨日の読売新聞に、これまでのノーベル賞受賞者によるシンポジウムの様子が掲載されていました。
それによりますと、来年、利根川進博士が、米国MITから、日本の脳科学neuroscienceの研究機関に帰国されることが記載されていました。
すばらしい指導者が帰国することで、日本の若手研究者にとっては朗報に思います。
新聞記事には、利根川博士は、ノーベル医学生理学賞を受賞後、50歳からNeuroscienceの研究を開始したことが書いてあり、年齢にかかわらず、あたらしいものへ挑戦するモーティベーションをすばらしいと思いました。
また、驚きですが、利根川博士のメンターもノーベル賞受賞者、そのメンターも受賞者、だそうです。利根川博士のメンターの門下生から数名のノーベル賞受賞者が輩出されているそうで、この事実は、「いかによいメンターに出会うか」で、心の持ち方、目標設定、高い志を維持できるか、を物語っている気がします。
私自身も、自分が師と仰ぐ大半のメンターは、米国人ですが、学生時代に出会った恩師の母校の青山英康名誉教授の寛容さにより、自由なトレーニングと教育をうけることができたことはいまでもとても感謝しています。最初の入り口が非常に重要ということですね。
国外にいると、年齢、性別、人種、宗教などを完全に忘れ、純粋に自分のやりたいことに集中できるような気になるのは私だけでしょうか? 日本は、すべてが「実年齢と性別、出身大学と学閥」などに影響されすぎており、社会全体としてのポテンシャルの点で、かなり損している印象です。
「個人として」勝負できるなにかをひとりひとりが追求できる社会基盤と社会合意が必要なのではないか、とつねづね思います。
「みんなと一緒」なんて、私はまったく興味なく、おもしろくない、と感じます。
自分は、人といかに違うか、ここがユニークだ、という「自分の売り」を磨くことを最重視しています。
それによりますと、来年、利根川進博士が、米国MITから、日本の脳科学neuroscienceの研究機関に帰国されることが記載されていました。
すばらしい指導者が帰国することで、日本の若手研究者にとっては朗報に思います。
新聞記事には、利根川博士は、ノーベル医学生理学賞を受賞後、50歳からNeuroscienceの研究を開始したことが書いてあり、年齢にかかわらず、あたらしいものへ挑戦するモーティベーションをすばらしいと思いました。
また、驚きですが、利根川博士のメンターもノーベル賞受賞者、そのメンターも受賞者、だそうです。利根川博士のメンターの門下生から数名のノーベル賞受賞者が輩出されているそうで、この事実は、「いかによいメンターに出会うか」で、心の持ち方、目標設定、高い志を維持できるか、を物語っている気がします。
私自身も、自分が師と仰ぐ大半のメンターは、米国人ですが、学生時代に出会った恩師の母校の青山英康名誉教授の寛容さにより、自由なトレーニングと教育をうけることができたことはいまでもとても感謝しています。最初の入り口が非常に重要ということですね。
国外にいると、年齢、性別、人種、宗教などを完全に忘れ、純粋に自分のやりたいことに集中できるような気になるのは私だけでしょうか? 日本は、すべてが「実年齢と性別、出身大学と学閥」などに影響されすぎており、社会全体としてのポテンシャルの点で、かなり損している印象です。
「個人として」勝負できるなにかをひとりひとりが追求できる社会基盤と社会合意が必要なのではないか、とつねづね思います。
「みんなと一緒」なんて、私はまったく興味なく、おもしろくない、と感じます。
自分は、人といかに違うか、ここがユニークだ、という「自分の売り」を磨くことを最重視しています。