それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

真田幸村終焉の地から始めた大坂夏の陣スタンプラリー☆安居神社♪

2021-02-22 05:05:36 | おでかけ

早暁より出発し、6時過ぎに茶店にて朝餉を頂きました日の事。

昨日、大仰に予告してしまったけど、いえいえいえ、さほど大したことは無い。

近頃、ウォーキングに目覚め、ちょっと多めに歩いてやろうと企てたのと、もう一つ。

かなり遅ればせながら、最近やっと大河ドラマの『真田丸』をイッキ見したので、

ちょっと多めのウォーキングの目標地点として、ここを選んだのだ。事の始まり・・。

安居神社。真田左衛門佐信繁。その人は、かの有名な真田幸村。

実はここ安居神社に来たのって2度目なのだよ。その頃ってまだ今のように、戦国ものとか

日本史に係わるものにあまり興味もなく、元々日本史にはアレルギー反応が出ていた位。

さ、参道(?)をゆくと、鳥居があったわ。

前回、ここに来たのは2016年の事。本好きなのだけど、日本史ものの本なんて考えられない、

そんな感じだったので、当時は真田幸村って、大阪の人だとばっかり思い込んでた無知さ加減。

真田幸村=大阪の陣の人。そこまでは良い。ただその後に『=大阪の人』って我ながら凄い。

噂の真田幸村、この方。

慶長20年(1615年)の大阪夏の陣。大野治房・明石全登・毛利勝永らと、最後の作戦を立てる。

右翼として真田隊、左翼として四天王寺の南大門に陣を構えたのは、毛利隊。

じりじりと、敵が射程距離に入ってくるのを、待って待って待ち続けて・・・作戦。

ところが、冬の陣でお酒のせいでやらかした本多忠朝隊の部隊が毛利隊へ発砲。張詰めていた緊張に糸が切れる。

激しい銃撃戦が始まり、中止を伝礼するも虚しく、己の死を覚悟した幸村は家康本陣へ目掛けて二度にわたり突撃。

真田隊はあまりにも凄まじさに、家康は二度、自害を覚悟したほどの事。

ここでここでこそ、上様、豊臣秀頼の出馬で、志気を高めて討ち堕とすべく、

淀殿の乳母の息子、大野治長が大阪城へ秀頼を呼びに行く・・・は、良いのだけれど、

肝心の秀頼の馬印を掲げたままで行ったから、お見方は皆、退却か!?一気に戦意喪失。

これを家康は見逃さず、全軍で反撃開始。瞬く間に大坂方は崩れていく。

ここ安居神社の境内の、松の木にもたれて傷つき疲れ切り、休ませていた。

そこを越前松平家(家祖は結城秀康、家康の側室の子で次男)の鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、

この首を手柄にされよと、潔く言い残して討ち取られた、そんな悲しい『さなだ松』。

でも、真田幸村のお墓って何処にあるのさ??って思ったら、全国各地にあるのね。

しかも、逃亡説ってのも有るから驚く。信長も一部にはそういう話も。本能寺から逃げたとか。

お話し的には、やっぱり前述の、潔い最後の方が戦国武将として、美しく残るわね。

お父ちゃんの真田昌幸のお墓は、確定してる模様。いつか行ってみたいな。

信州長野県、真田山長谷寺。昌幸は、武田二十四将の一人で、家康が恐れていたとも言われてる。

やっぱり、真田の里は長野県。猿飛佐助が修行した『猿飛石』とか、城址も行ってみたい。

とか言いながら、ま~じきに忘れるんでしょうけど。

はい、集合写真。よっしゃ。

これで、ちょっと多めのウォーキング作戦完遂。って事で、何か記念を。

何年も前、御朱印女子とか流行る前に、西国三十三+番外を満願した事あるんだ。てへへ。

と~っても久しぶりに、御朱印のあの荘厳な文字が見たい。そうだ、記念に御朱印だ!

って、思ったものの、受付がまだ開いてない。なので、境内散策。

ここが本殿。多分。ここしかそれっぽいのが無いもん。

少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社。

昌泰4年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷された時に、ここに立ち寄って安井(休憩)し、

親切に村人たちが差し上げた”おこし”のお礼に、菅原家の紋所の”梅鉢”を与えたそうな。

それが今でも、大阪名物の”粟おこし”の商標になっているとは!?さっき知りました。

安居神社は、道真の死後の天慶5年(942年)、道真の霊を祀るために、村人たちが建てたそうな。

・・・で?あれ?少彦名神は?って、もう気にせずに先へ進もう。

そんなわけで、なぜか”安居天満宮”なのだ。

いや、そんな沢山、建物があるって訳ではないのに、神社でしょ。何処が天満宮?って話で。

そんな菅原道真の左遷途中の、様々な各地の立ち寄り話で、天満宮が沢山出来たような気だする。

大宰府左遷時の、マーキングみたいな感じで。じゃなかったらヘンゼルとグレーテル。

帰り路が分かるように、梅の花を蒔いていくの。そして、その梅を牛が食べるの。この子が。

他に、すぐそこに、四天王寺があるのだけれど、そこの僧侶が雨季の間に外出を控え、

寺院で修行に専念する、夏安居(げあんご)ってものに使われていたらしいわ。

なんで、自分とこで籠るのではなくって、ここに来るんだ?って、小骨のように引っ掛かるけど

小骨を取るために、ご飯を丸のみするようなオチ。だから『安居』になったのだ。成程!

梅を見るたび、祈らずにはいられない。

どうか、来年は、大阪天満宮で梅酒を堪能できます様に。

普段呑まない梅酒なのに、ただ一度だけ行った、大阪天満宮の梅まつりが忘れられない。

でね、入った時からず~っと気になっていた。猫。猫。猫~~。

むっちゃこっち見て来るし。ここで飼ってるのか?どうだか分からないから触れないし。

むっちゃカメラ目線で、じ~~っとこっち向いて。

カメラ向けても微動だにしない。やっぱり人馴れしてる?ここのにゃんこ?

と、思ったら、こっち見たままここから飛び降りたのだ。びっくりしたったら!

こっち来い!とばかりに振り向きながら歩くから、まだ受付開かないし行ってみた。

『安井(安居)の清水』。菅原道真も飲んだと言われる、”かんしずめの井”は、

天王寺七名水の一つならしく、古来、霊水として広く知られていたらしい。

上町台地は、生駒山からの伏流水が地下を通り、良質な井戸水に恵まれた土地。

そんな天王寺七名水は、この安居の他に、天王寺区下寺町の泰聖寺の”金龍の水”。

同じく下寺町2丁目4-15付近”有栖の清水”。天王寺区伶人町の増井弁財天の”増井の清水”。

天王寺区逢阪の四恩学園前の”玉手の水”。四天王寺の”亀井の水”(白石玉出の水)。

同じく四天王寺の”逢坂の清水”。この七名水巡りっても、どうでしょう?私はしないけど。

さて、受付がオープン。

御朱印帳を新しく購入しましたよ。安居神社神社じゃなくって、安居天満宮。

少し小さめなサイズかな~って思ってたら、ま~相変わらずお話好き。

ちょっと小振りで持ち運びに便利なように云云かんぬん。これしか無いし別に良いしね、

前の西国の時の御朱印帳でも不便無かったし・・・。さあ、御朱印を。

まさに御朱印。朱色の印が押してある。正真正銘の御朱印や~。

真ん中に、なんぞ文字は無い。これなら小さめサイズでもやってけますね。

ところで、件の猫。ここの飼い猫じゃなく、野良猫ならしい。しかも何匹も!。

野良猫って言いながら、私見たもん。確かに『チビ太~おはよぉ~』って声かけてたよ。

で、御朱印中に見つけたわ。

大坂夏の陣のゆかりの地を6か所巡って、スタンプを集めようってもの。

ここの御朱印いただいたら、再びウォーキングで帰路に就くはずだったけど、

まんまと、この台紙を100円で購入してしまった。あと5か所。

1つ目は勿論、安居神社の真田幸村のスタンプ、ゲットだぜ!

安居神社(安居天満宮)

大阪市天王寺区逢阪1-3-24

TEL 06-6771-4932

 



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