goo blog サービス終了のお知らせ 

それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

青空の下で歩いてみると色んな美に出逢えるって話さね!☆撮影地は大阪市♪

2021-04-18 05:06:04 | おでかけ

運動不足にならぬ様、活動量計(万歩計)をプレゼントしてもらったのだけど、

昨年末から、それを種に、小姑(娘っこ)に歩け~歩け~って追い立てられている。

この日も歩く。いつもは早めに出発するところ、この日はゆっくり出てみたさ。

昨日書いた朝ご飯の前後の時間。明るいから、色んなお花が目についた。

いつも通るときは、まだちょっと薄暗くって、お花鑑賞してるような雰囲気も無く、

先に先にと歩いてた。車で走るってことから、歩くって事で、今まで見えなかったものが見えて、

次に時間帯が変わったら、また違った風景が見られる。なんと、素晴らしいではないか。

去年も今年も、造幣局の通り抜けも行かず。って、結局今年も中止かな?

ちょいと寂しいな~って思ってたのだけど、この日この時、歩いてみて、そんな寂しさも癒されてく。

この日は4月10日の事。造幣局の桜も花盛りだろうに。

お天気が良くってとっても幸せ。青空のお陰で、お花が引き立つの。

青空・・・って言っても、もうそろそろ、紫外線との戦いに入るのだけど。

藤の花を見ると思い出すのは『軍師官兵衛』だったりする。岡田君の官兵衛。

まだ時々、ブルーレイをつけてたりするお気に入りの大河ドラマ。

最初にあれを観ていたタイミングで、司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読んでいたのだ。

有岡城の土牢の描写とか、藤をみると思い出す。本の方がかなりリアルで凄いぞ。

藤の花の名所と呼ばれてるようなところ、今年は開いているのかしら?

去年、どこぞで、美しく咲く藤の花を、全て切って人が集まらない様にしたと、

胸が苦しくなるようなお話を聞きましたが。

ゆっくり歩くと、お花の名所に負けず劣らず、人知れず美しく咲き誇ってる花に会えます。

これは・・・写真を撮った時には気が付かなかったけど、花の真ん中、雄蕊だか雌蕊だかから、

何かが伸びてるような感じ。どういう?何処に咲いてたんだっけ?可愛い不思議なお花。

これも。何処がどうなってんだ?って感じのお花。

裏返しになってる?真ん中が盛り上がって自立するのか?う~ん。

遠目に見たら、分からないけど、詳しく花を見たら、真ん中から何かが盛り上がって、

新しいロボットが秘密裏に出てきて分離して拡散していって・・・って妄想スイッチが!

もうちょっと可愛く、”ヤッターワン”の内部で”ビックリドッキリメカ”が作られてるって事にしよう。

この時、ふと思いついたヤッターワンなのだけど、飛躍し過ぎたかしら?

お花が好きで、写真も好き。だけど、名前が分からないのだよな~。良いけどね。

この花は、花が重いのか?真っすぐ立たない。でろ~~ぉぉんって、頭を垂れるから、

蹲って写真を撮るでしょう。普通の道なのに。はたから見たら、ちょっと危ない人かも。

これからどんどん温かく、ん?暑くなってくに、色んなお花が咲くでしょう。

同じ道でも、スピードや時間帯で見る景色も違ったら、そして季節が違えばまた別の景色。

この、ちょっとお出掛けし難い昨今、そこら辺をウロウロお散歩って、

世間の喧噪関係なく、今が盛りと咲き誇ってる名も知れぬ花達を愛でながら妄想に耽る。

とってもおススメなので、是非とも!

いや、この日は目的地が有ったのだけど。そこに行きつくまでに、もう一つ寄り道。

それはまた。明日。

 


迷子の果てに桜の香りに導かれた天満橋☆そして堺の菓匠の桜菓子☆

2021-03-31 04:55:42 | おでかけ

梅田にやって来たんだ。そして、大阪駅前第4ビル。

お久しぶりなお店でとっても美味しく、水分補給、鯖脂補給の後の事。

ここは東梅田。駅はすぐそこ分かってる。その”分かってる”が曲者で、

その”分かってる”って言うのは、地下鉄に乗れば帰れる事が分かってるだけで、位置では無かったのだ。

この日、徒歩でやって来た。徒歩で来たけど電車で帰っても良いわけだ。

だのにこの時、どういう訳か、歩いて来たから歩いて帰るって、どうしようのないルールが居て、

意気揚々と地上に出たら、早や、どっちが堺なのだ??そう、堺まで帰りたい。

ここは梅田。大阪の主要鉄道駅も集結していたら、あっちこっちへ行く道路も整っていて。

整って?。道路には親切に標識ってものがあり、それを頼りにすれば良い。私って賢い。

色んな地名?何って書いてあるの。知ってる名称も沢山出てくるのよ。

で、だから?って事になる。全く賢くないやん。

その地名が堺方向なのかどうなのか、全く見当が付かないやん。

1本道ではないもん。真っ直ぐ、右・左、斜めにも、四方八方に道がある。

どうするんだ、私。一番に思いついたのが、車のナンバーを凝視してオーディエンスだ。

一番多くの堺ナンバーが行く方向、その先に、我が街・堺が有るんだ、イヒヒ。

そのプロジェクトは、僅か数秒で頓挫する。なんなんだ、そのギャグは!?

真面目に考えたはずだったのに。ひとまず、歩いた。何とかなるだろう。

とにかく暑かった。朝の5時22分、まだ暗い内に家を出たもんだから、

ちょいと肌寒く、上着を重ねたのだけれどね。脱ぎたい、されど・・・・・。

上からさくっと羽織るという方式なら、スマートに脱げたものを、

首元のファスナーを開けて、頭からズポ!っと被る方式のものだったので、気軽に脱げん。

仮にも女の身なりをしておって、ファスナーを下げ、裾に手をかけ、大胆にも顔が隠れる状態でズボ!

出来っこない。脱ぎ魔か!?この陽気で気でも狂ったか!?そうなる。と、思う。

暑い。腕まくる?いやいやいや、焼けるぞ。それも本意ではないわ。

あ!!朦朧となる意識の中で、あれは幻!?アーケードがある模様。

取り敢えず日陰だ。みんな喜ぶ春の陽気詐欺的な、紫外線を避けることが出来よう。

行ってみたら、天神橋筋商店街!ああ知ってるわ。ただ、どう向いてるか分からない。

ん?凄い密がいた。折り畳まれた行列は、塊になっての威圧感。

コロッケ屋さん。20年近く前、まだネットとか無い時代に、文字通りの口コミで来たよ。

普通の美味しいコロッケだったのだけど。今、改良されて劇的に美味しくなったのかしら?

誰も並んでない近くの店に聞いてみた。なにって、堺ってどっちの方向かを。

駅に向かう道を説明するもんだから、いえいえ、歩いて行くので、どっちの方向かだけ。

駅でもなければ詳しい道順でもない、向こうの方とか、あっちの方とか、

そんな感じの目指していく方向が知りたかった、それだけなのに。

『堺なんか、歩いて行くとこちゃうで!!』って、凄い勢いで怒られた。

いや、一緒に行こうって言ってる訳ちゃうやん。何故、怒るのだ??分からん。

ただ、迷子って言う状況は慣れっこなので、怒られたけど、小さい事は気にしない。

気にしなかったら、あ!天満橋に出てきたのだ。しかも桜が綺麗!

そうだ。一昨年までは来ていたな。造幣局の桜の通り抜け。

去年は中止になり、今年は応募していない。八重の桜はまだ先だけど、大川沿いは花盛り。

なんだ。結果的に良かったんじゃないの?こんな美しい桜が見られたわ。

お花見の予定も無かったし。ただ、一部飲食で盛り上がってるチームもあるわ。

人が多い。でも大丈夫。一部柵の入り口が開いていて、川添いの細い道に出れたのだ。

ここの桜、ちゃんと見たの、初めてかもね。

だって、造幣局の通り抜けの頃には、ほぼ盛りは過ぎてしまっていたからさ。

ここの桜を目指して来た訳ではなかったのに、ほんとは八重桜が一番だって思ってるのに、

ソメイヨシノでこんなに幸せになれるなんて!ただ、ちょっと迷子なだけよ。

この大川沿いと、いつもは露店が並んでた公園側、間には柵と植木がある。

そこに隠れて、しゃがみ込み、無事にズボっと脱皮も出来たし、身軽になって風を感じ、

留まっているのも良くないか??って、桜の香りを感じながら歩いてた。

そして、同じように川沿い人を見つけ、方向を尋ねてみたわ。

相変わらず、堺までというと驚かれるも、”あれが谷町筋”って、貴重な情報を頂いた。

更に、天王寺方向はあっち。素晴らしい!その向こうに堺が有るのだよ。

大川沿いにいらした、親切な彼氏さんと彼女さん、本当にありがとう。

これでもう迷わない。あの道を真っ直ぐ歩いてゆこう。

突如あらわれた綺麗な桜にいざなわれ、ゆくべき道に導かれ、

幸せな気分で、春の桜の並木道を後にして。それでも体は正直で、やっぱり喉が渇くのだな。

っていう、続きの話はまた明日。

桜繋がりで、おまけ写真を。

桜餅が大好きなんだ!っていう話を以前書きましたが、

そのお気に入りの菓匠の、今しか食べられない桜の和菓子を連れてきました。

と~っても柔らかなのよ。お団子。

でね、桜のしょっぱさが、ただ可愛い色合いってだけのお団子を、

素敵なスイーツ和菓子に変えてくれるのだ。

そして。3月中旬頃かお彼岸辺りからかな~?って話でした期間限定のこれ。

桜上用饅頭。その名は、舞う桜と書いて”舞桜”(まお)。

桜の季節だけの季節?実は毎年、これが出るのを楽しみにしてるのだ。美味しいよ。

桜のお菓子の何が好きかって、やっぱり塩!甘さの中の塩が好き。

菓庵 さとや

大阪府堺市堺区永代町6-2-17

TEL 072-232-4239

営業時間 10:00~18:00(日曜~14:00)月休み

実はこのお店、”いちご大福”が最高に美味しいから、紹介したいのやまやまなれど、

柔らか過ぎて自立しないので、写真が難しい。

決して間違いは無い。是非是非、食べてみて。

 

 


淀殿のお墓に参ろうと思っただけだったのに☆太融寺☆大阪市北区♪

2021-03-29 05:14:28 | おでかけ

この日、3月27日の土曜日、まだ暗い夜明け前から歩いています。

途中、朝餉を頂き、その喫茶店のお母さんに元気をもらって、何となく到着。

いや、はっきり地図が分かって無くって、何かの建物を護ってるお巡りさんに聞いたり、

酒屋のトラックのお兄さんに聞いたら、あの樹~生えてるとこ!って、え!?。

やってきたのは、高野山真言宗 佳木山 太融寺。

ここには初めて来たのではないのだ。以前、『なにわ七幸めぐり』っていう、

大きな色紙のその名前の上に、朱印を押すっていう、正真正銘のスタンプラリーを経験してる。

だのに、何だってまた来たのか!?前回にはあまりまだ興味は無かったのよね~。

今、どっぷり戦国初め日本史小説本にド嵌りしてるんだから~。

もう一度、やってきたわ。この奥にそれは有る。

この奥に、淀殿のお墓が有るのだけど、その前に、白竜明神。

縁結びの御利益があるそうなので、お心当りのかたは、どうぞお詣り下さいませ。

先日、生國魂神社へ行きましたのですけど、

そこには淀殿が大坂城から、足繁く通った鴫野神社が城東区から移転されてきていた。

ここ、太融寺の淀殿の墓も、城東区から明治10年11月に移祀されたものなのだ。

淀の方、茶々は、北近江の戦国大名、浅井長政の長女で、母は織田信長の妹のお市の方。

長政は、信長と同盟を結び浅井家の全盛期を築くのだけど決別。戦いに敗れて自害。

その後、お市の方は織田家重臣の柴田勝家の正室になるが、豊臣秀吉に敗れ夫婦で自害。

茶々は秀吉の保護を受け、その後は秀吉の側室となり、豊臣秀頼の母となる。

大坂夏の陣で、大坂城は落城し、秀頼と共に自害したと。

但し、その遺体が見つからなかったらしく、秀頼と共に逃亡・生存説が有るそうな。

されば、それは、何の墓なのかしら?何か、埋めてあるのかい??

さあ、本堂です。

御本尊は千手観世音菩薩。

千手よ1,000!。かなり重いだろうし肩も凝るのでは?とか、レントゲンってどんなん?って、

いや、冗談ではなくって、真面目にそんな・・・お気の毒に・・・って考えてしまう。

開創、弘仁12年(821年)開基は弘法大師。

弘法大師がこの地の森の中から、異香の薫りを放つ霊木を採られ、

地蔵菩薩と毘沙門天を刻んで草庵を結んだことが始まり。

その翌年、嵯峨天皇がご自身の念持仏の千手観世音菩薩を下賜され、御本尊に。

承和10年(843年)嵯峨天皇の皇子である、河内左大臣源融公が、

この地に八町四面を画して、七面伽藍を建立。その霊木で創建された故事により、

山号を佳木山とし、源融公の諱をとって太融寺と名付けられましたとさ。

源融(とおる)は、嵯峨第十二源氏で嵯峨源氏融流初代。滋賀県大津市に源融神社があるそうだ。

この河内左大臣源融公ったら、なかなかどうして、かなりのイケメンだったのだろうか?

紫式部の『源氏物語』の主人公、光源氏の実在モデルの有力候補と言われてるらしい。

弘仁13年(822年)~寛平7年(895年)。紫式部は970年以降生まれよ。

実際に、会った訳では無かった模様。まあ、良いか。

白衣観音像。なんだかこの時、ちょいと引き付けられた気がしたのだ。

この方、自在に姿を変えて、人々の声を聞き救いを与えてくれると言われてるそう。

この白い(?)衣が色んなものに姿かたちを変えるのよ。凄くないか?

そして救いを与えてくれるのだ。人生の要所・要所で転機が訪れた時、

そこには白衣観音が姿を変えて、そこにいらっしゃるのかもしれない。妄想かな?

その方が、ロマンが有って良いではないか。

しかし、ここ太融寺は見所たっぷりで、色んなご利益がてんこ盛り。

・新西国三十三ヶ所霊場 第2番

・近畿三十六不動尊霊場 第6番

・摂津国八十八ヶ所霊場 第6番

・ぼけ封じ観音霊場 第7番

・おおさか十三仏霊場 第8番

・神仏霊場 51番

・なにわ七幸

御朱印の種類だって、こ~んなに有るからね。同じ場所で同じ方が書くの。

けど、それぞれ、ご利益が違ってるんかしら?各文言が違うのだし。

私はね、西国三十三霊場は満願したんだけど、そういうグループでの蒐集は止めたわ。

なので、普通の御朱印を普通に、今日の日の記念に頂いたよ。

これね、頂きに行きましたら、まだ墨をすってなくって、ごゆっくり~って言ったら、

ほんとにゆっくり、色んなお話やら、実は・・の話、あそこに行ってみたら?等々、

凄く楽しく興味深いことだらけで、本当に今日来て良かった~って、

もしかしたら白衣観音のお導きかしら?なんて、ふと思ったほどに。

御本尊の木造の千手観音菩薩立像は、大阪市の指定文化財なのだけど秘仏。会えないわ。

但し、毎年1月18日、御開帳があるらしいので、覚えていたら是非。

見所が沢山で、お詣り処も盛り沢山。結構、色んな方々がサクッとお詣りしていくんだ。

場所柄、梅田も近いしお手頃なのかしら?歩いてきたから、う~ん、梅田ってどっちだろ?

何気に、お庭??も、美しく設えてあるので、これも見ごたえがあるし、

ゆっくりと心が休まる気がするので、おススメしておくよ。

とっても楽しかったし、身も心も軽くなったような気がしましたさ。知らんけど。

どうも、お世話になりました。ありがとうございました。

高野山真言宗 佳木山 太融寺

大阪市北区太融寺町3-7

TEL 06-6311-5480

参拝時間 8:00~17:00(16:30受付終了)

 

 

 

 

 

 


広大無辺の御神徳があるその神社は偉人たちのゆかりの地☆生國魂神社♪

2021-03-15 05:18:27 | おでかけ

若い頃は、”日本史”と聞くだけで、アレルギー反応が出るのでは!?って思ったわ。

実際、日本史の教科書を前にしたら、胃液が上がってきたし、何故そうなのかも分からない。

もう本能的に拒絶していた日本史に、どっぷり嵌り、絶賛。司馬遼読書中。

昔は、何処へでも歩いて行ったんだ。そう思ったら徒歩も楽しい。

時は2月27日、早暁よりの出立で、堺からここまで徒歩ってきたさ。

以前、天王寺をちょいと行き過ぎた、四天王寺や一心寺等々まで行ったから、

もちくっと、更に向こうへ行ってみようと思ったのだ。そこが”生國魂神社”。

通称、”いくたまさん”って親しまれているけど”難波大社(なにわのおおやしろ)

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)”って言う。

手水舎。水は無いわ。本来、お詣り前に、手を浄め口を浄めて心を浄め・・だのに。

第一代・神武天皇が、九州より日本統一の旅に出発され、難波津(大阪湾)に御着きになった際、

現在の上町台地の北端に、日本国の御魂である生島大神・足島大神を祀られたのが、

生國魂神社の創祀と伝えられておりまする。後、相殿神として大物主大神をお祀り。

ただ・・・。まだ入っても勝手にお詣りOKでも、誰も・・・居ない。探検だ!

境内の、ここから向こうには、色んな神様がいらっしゃる。

築港の工業団地みたいなものか?だけど、その御神徳は様々で、用途・効果を選んでお詣りできる。

なんと画期的な事か。あれとこれと・・・って時にも、ここだけで事が済むもん。

浄瑠璃神社は、芸能上達の神様だし、家造祖神社はそのまま、家づくりの神様。

鞴(ふいご)神社は、商運・金物・かまどの神様で、11月8日の例祭には、刀剣鍛練神事(作刀の神事)が

執り行われるらしいから、刀女子にはおススメです。

源九郎稲荷神社は、商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの神様で、稲荷神社は同じく、

商売繁盛・五穀豊穣で、除災招福の神様。真ん中の精鎮社は水産業繁栄の神様。

皇大神宮は、御祭神・天照皇大御神。伊勢の神宮(内宮)の御分霊をお祀りし、

八百萬神(やおろずのかみ)の本宗として、広大無辺の御神徳を授けられまって、

この一社で、事足りる位の勢いなのだけどね。菅原道真の天満宮だってあるからね。

天満宮が有るからなのか、元々なのか、生玉の杜・庭には梅の花。

さて、私としては、絶賛司馬遼本にどっぷり嵌ってるし、読書中は戦国真っただ中!

摂末社が沢山有る中で、お!ここは!って思ったのが、鴫野(しぎの)神社。

祭神は、市寸島比売神(日本神話に出てくる女神様で水の神だそう)、大宮売神、

そして、淀姫神・・・って、淀殿かい!?

女性の栄華を極めた淀姫(淀君)ゆかりの神社だそうな。

栄華をね~。秀吉んとこに居た時だけじゃないの?それまでの人生って・・・ってさて置き、

元々は、『鴫野の弁天さん』として、大阪城東側(現在の大阪市城東区)に祀られ、

淀姫が大坂城からこの弁天社に足繁く通った事から、自身も弁天社に祀られたそうな。

以後、この生國魂神社境内に遷座され、女性の守護神と仰がれ、

心願成就と縁の神様として、霊験あらたかと、お詣りする人が群れをなしたと伝わります。

その縁っていうのが、縁結びと悪縁切りらしいので、皆さん、どうぞ。

そして、大阪城繋がりで、ここ・・・。

城方向(きたむき)八幡宮は、御祭神、譽田別命(こんだわけのみこと)と、

気長足媛尊(きながたらしひめのみこと)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)。

大阪城鬼門の守護神として、鎮祭されたので城方向(北向)と称するそうだが。

方除・厄除・勝運の神として熱く崇敬されているとな。

沈丁花。よくある花でも、境内にあったらひと際美しく感じるの、私も心が洗われたからか?私が!?

さあ、まだお話は続くよ。聞いた事有る名前。え?なんやったっけ?ってなる名前。

織田作之助。オダサク~!そうです、そうでした。

なんとダンディな!。大阪を愛し、33年の生涯は太くて短かかった。って書いてある。

そうそう『文豪ストレイドッグス』の登場人物だもの。読んでないけどね。

大正2年、大阪市南区生玉前町(現天王寺区)に生まれたのだ。だから生玉さんに?

かの有名な『夫婦善哉』はじめ、多く庶民を題材にした小説を残しています。

井原西鶴を師と仰いでいた・・・その井原西鶴。

寛永19年(1642年)和歌山・中津村生まれ。

数々の名作を残したのだけど、私如きでもそのタイトルを知ってるのは、『好色一代男』や、

『好色五人女』やら『世間胸算用』等々。読んでは・・・いないけどね!

延宝元年(1673年)春、生國魂神社の南坊で万句俳諧の興行をし、後日『生玉万句』を出版。

延宝5年3月、生國魂神社で一昼夜1,600句独吟興行、5月に『俳諧大句数』を刊行。

延宝8年5月、生國魂神社で一昼夜4,000句の新記録を南坊で達成。

作品たちは世界各地で翻訳され、その文化的評価は高く、1968年、ユネスコは世界的偉人の

ひとりとして、井原西鶴を選んだのだ。凄いぞ。

河津寒桜。(かわつかんざくら)。

昭和25年頃に、伊豆半島で発見された若木が、静岡県河津町の民家に移植されたそう。

寒桜より濃い淡紅色の大きな花は、河津寒桜と呼ばれ、各地に広まった・・って、美しい。

こ、これは?米澤彦八の碑。ん?米澤?彦八?。なんかこの名前、知ってる気がする。

何だっけ?誰だっけ?むっちゃ知ってる気がするのは?なに?・・・あ!!

思い出しましたわ。上方落語の祖と呼ばれるかた。ってぇ、実在したんやん!

そうそう、生玉さん出てきたわ。ここ生國魂神社の境内の小屋に、大道芸人が技を競い合っていた。

そのお話、『日本一の軽口男』って本で読んだのだ~~~ぁ!

近松門左衛門の『曽根崎心中』のお話のなかでも、”生玉社前の段”に、

彦八の物真似興行であったというから、かなりの有名さ加減。

そうかそうか、ここだったのだ。生玉さんやもん。って、実はこの日この時まで、

生玉さん=生國魂神社って、柔軟な理解力が無かったもので、懐かしい友と出会ったようにほっとした。

さあ、お詣りに伺いましょう。

生島・足島大神は、日本国土そのもであり、大地に生を受けるものすべてを生かし育て、

守護される広大無辺の御神徳が有るそうな。

ん?広大無辺の御神徳?さっきも書いたような気がする。ああ。皇大神宮と同じだわ。

ここでは毎年、その年の干支の朱印(スタンプ?)を授けて下さるのだけど、それは1月中。

しかし、今年はコロナで自粛なんて~のも有ったので、2月いっぱいやってましたさ。

今更の情報ですが、だってこの日、2月28日だったもの。

ここでその大きな干支朱印を、どっか~んって載せるべきだったか?いやいや、

個人的には、普通のんの方が好きなので、通常の御朱印を頂きましたわん。

ここで書いた何倍も、見所満載の神社ですし、色々と勉強になりました。

どうも、ありがとうございました。

難波大社 生國魂神社

大阪市天王寺区生玉町13-9

TEL 06-6771-0002

 

 

 

 


日本で一番古い観世音菩薩のお寺に大きな国魚☆あびこ観音☆大阪市住吉区♪

2021-03-07 06:38:23 | おでかけ

そこには、とっても気になる奴等がいてるのだ。

その噂を聞いたから、見てみたくってウズウズして。

あびんこ(大阪メトロ御堂筋線あびこ駅あたり)へはちょこちょこ行くし、

去年から、事ある毎に覗いてみるのだけど、人がいっぱい、密です。

そうなると、益々行きたくなる。そこで閃いた。朝一番に行けば良い。

これは2月23日の”あびこ観音”。正式名称は、『観音宗総本山 吾彦山大聖観音寺』。

本当に、いつも遠目に、人、人、ひと・・だ嘘のように、向こうの方まで見えるもん。

少しの人影は、境内をお掃除して砂利をお手入れしてらっしゃる方々。

良いのかしら?入って良いのかしら?。

入ったところにアルコール消毒。しゅっしゅしましたよ。

まず、入ったとこに、外から見えてた大きな大きな大樹を眺めてた。

高さ19.5m、幹回り4.8m。昭和55年に大阪市保存樹に指定された大楠。

誕生起源は定かでは無い。が、古い書物や専門家の意見からの推定によると、

1300年代、後醍醐天皇の没後の、室町時代だったって事です、はい。

14世紀の室町政権の確立から武士の台頭、戦国時代、そして大坂夏の陣。

近代に入り、日清、日露戦争から太平洋戦争。

そんな世の中をすっと、この大楠は観てたのですな。

ただ、平成30年9月4日の台風21号の時は、この枝も随分折れてしまったらしい。

やっとここまで戻ってきて・・・と、いつの間にか隣で一生懸命、お掃除してた方が

大楠について、解説して下さった。とても親切に。ありがとうございました。

本堂です。

まだ誰も居ないの。お守りのとこも誰も。これを狙ってたのだけど。

観音宗総本山の 吾彦山大聖観音寺は、わが国で一番古い観世音菩薩の仏閣で、

ご本尊は、秘佛本尊、聖観世音菩薩御前立。

むか~しむかし、依網吾彦(よさみのあびこ)の一族が、百済(古代の朝鮮半島西部)の聖明王から

身の丈一寸八分(約8cm)の観音像を贈られ、欽明天皇7年(546年)に寺を創建した。

その後、聖徳太子が観音菩薩のお告げを受け、吾彦山観音寺が建てられた・・・。

と、ネットで調べたら、そう書いてあったんですがね。頂いた御縁起とは違う。

本堂の屋根の瓦、鬼瓦?が、凄い芸術品だったので、精一杯ズームしてみた。

これは・・・どうやってるのでしょ?まさか一体もの?パーツ組み合わせ?

なんにしても、素晴らしい。瓦に感動した。

あびこ観音で頂いた、御縁起によると、聖武天皇が厄年に重い病気に罹られたって年。

天皇の夢のお告げで行基(668年、和泉国大鳥郡、現在の堺市で生まれた僧)が立ち上がる。

泉南の山中で、幾日も祈り続けていたら、不思議な事がかずかずおこり、

霊瀑(滝)の中から一筋の光明、そして水煙の中から竜王が現われ、聖観世音の

その尊像を行基に与えた。天皇の御病気はたちまち平癒し、竜王出現の地に寺を建てる。

その後、住吉のあびこの地から、様々に移転を繰り返しながらも、やっとこ地に。

かなり長い話なので、かなりのもんで、かいつまんで書いてみましたが、

詳しく読んでみたい!って方は、大阪メトロ御堂筋線あびこ駅で下車、お詣りをどうぞ。

厄除の霊験と開運の御利益に、いつもお詣りなさる方々が後を絶ちませんのだ。

節分を歳替りの開運厄除の法会として、その歳の災厄を免れる祈願は、

我が国で、最も古い、厄除の行事として今日に及んでいるそうな。

毎月、1日と18日は、観音様の縁日で、御宝前に転禍招福の御記念が捧げられます。

さて、会いたかった奴等の元に行こう!。

日本の国魚、錦鯉だ!。国魚だよ、日本の魚~!って、知らなかったわ。

凄く大きいの、しかも人懐っこいったらありゃしない!。

後で、御朱印って頂いたのだけど。この日1番でね。墨を磨りながら、ず~っと、

錦鯉の飼育の難しさとか、何年もかけてここまで育った話とか、延々と語ってくれたよ。

うん、この先の残り少ない人生で、錦鯉を飼うっていう場面は訪れないと思う。

けれど、その大変さにずっと聞き入って、ほんと大変なんですね~って

あんな美しい錦鯉を楽しませてくれてるけど、その苦労に感謝の意を伝えると、

『わしは絶対、よ~せんけどな~』って、お前ちゃうんかい!って突っ込みそうでしたわ。

ほらもうカメラ目線。凄い、こっち見てきて口開けるし・・。って言うと、

あ~、まだ朝ご飯食べてないんやわ。お腹すいてるねん。って。面白い方で。

人が少ないからかな、朝一なら、色々お話出来て楽しいですね。

ただ、私がここに来たのは早すぎて、まだ受付もなにもオープン前で、

開くまでの間に、モーニング行ってましたがね。その朝ご飯はまた明日。

こちらは、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。

”びんずるさん”で親しまれてる羅漢(悟りを開いた高僧)はお釈迦様の高弟で、

頭が良すぎて先走りしたり術を施したりで、お釈迦さまに怒られるっていう尊者。

お酒を嗜み、困ったことも多かったと。って、羅漢さんもお酒で何かやらかした??

そんなこんなで、びんずるさんは、お堂の外に祀られるようになったとか。

優れた超能力の持ち主で、病人がその幹部にあたる像の箇所を撫でると平癒すると言われ、

別名『撫で仏のおびんずるさん』と呼ばれ、信仰されている・・・撫でて?撫でて良いの?

よく分からないけど、綱だか縄だか結界だか、はられてるから入ってはダメ?って思ったのだけど。

書き切っておりません。三十三観音像や、胡麻堂、もう1本の大楠等々、

それらは、どうぞ、お楽しみにお詣りなさって下さいませ。

観音宗総本山 吾彦山大聖観音寺

大阪市住吉区我孫子4丁目1-20

TEL 06-6691-3578