若い頃は、”日本史”と聞くだけで、アレルギー反応が出るのでは!?って思ったわ。
実際、日本史の教科書を前にしたら、胃液が上がってきたし、何故そうなのかも分からない。
もう本能的に拒絶していた日本史に、どっぷり嵌り、絶賛。司馬遼読書中。
昔は、何処へでも歩いて行ったんだ。そう思ったら徒歩も楽しい。

時は2月27日、早暁よりの出立で、堺からここまで徒歩ってきたさ。
以前、天王寺をちょいと行き過ぎた、四天王寺や一心寺等々まで行ったから、
もちくっと、更に向こうへ行ってみようと思ったのだ。そこが”生國魂神社”。
通称、”いくたまさん”って親しまれているけど”難波大社(なにわのおおやしろ)
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)”って言う。

手水舎。水は無いわ。本来、お詣り前に、手を浄め口を浄めて心を浄め・・だのに。
第一代・神武天皇が、九州より日本統一の旅に出発され、難波津(大阪湾)に御着きになった際、
現在の上町台地の北端に、日本国の御魂である生島大神・足島大神を祀られたのが、
生國魂神社の創祀と伝えられておりまする。後、相殿神として大物主大神をお祀り。
ただ・・・。まだ入っても勝手にお詣りOKでも、誰も・・・居ない。探検だ!

境内の、ここから向こうには、色んな神様がいらっしゃる。
築港の工業団地みたいなものか?だけど、その御神徳は様々で、用途・効果を選んでお詣りできる。
なんと画期的な事か。あれとこれと・・・って時にも、ここだけで事が済むもん。

浄瑠璃神社は、芸能上達の神様だし、家造祖神社はそのまま、家づくりの神様。
鞴(ふいご)神社は、商運・金物・かまどの神様で、11月8日の例祭には、刀剣鍛練神事(作刀の神事)が
執り行われるらしいから、刀女子にはおススメです。
源九郎稲荷神社は、商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの神様で、稲荷神社は同じく、
商売繁盛・五穀豊穣で、除災招福の神様。真ん中の精鎮社は水産業繁栄の神様。

皇大神宮は、御祭神・天照皇大御神。伊勢の神宮(内宮)の御分霊をお祀りし、
八百萬神(やおろずのかみ)の本宗として、広大無辺の御神徳を授けられまって、
この一社で、事足りる位の勢いなのだけどね。菅原道真の天満宮だってあるからね。
天満宮が有るからなのか、元々なのか、生玉の杜・庭には梅の花。


さて、私としては、絶賛司馬遼本にどっぷり嵌ってるし、読書中は戦国真っただ中!
摂末社が沢山有る中で、お!ここは!って思ったのが、鴫野(しぎの)神社。
祭神は、市寸島比売神(日本神話に出てくる女神様で水の神だそう)、大宮売神、
そして、淀姫神・・・って、淀殿かい!?

女性の栄華を極めた淀姫(淀君)ゆかりの神社だそうな。
栄華をね~。秀吉んとこに居た時だけじゃないの?それまでの人生って・・・ってさて置き、
元々は、『鴫野の弁天さん』として、大阪城東側(現在の大阪市城東区)に祀られ、
淀姫が大坂城からこの弁天社に足繁く通った事から、自身も弁天社に祀られたそうな。
以後、この生國魂神社境内に遷座され、女性の守護神と仰がれ、
心願成就と縁の神様として、霊験あらたかと、お詣りする人が群れをなしたと伝わります。
その縁っていうのが、縁結びと悪縁切りらしいので、皆さん、どうぞ。
そして、大阪城繋がりで、ここ・・・。

城方向(きたむき)八幡宮は、御祭神、譽田別命(こんだわけのみこと)と、
気長足媛尊(きながたらしひめのみこと)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)。
大阪城鬼門の守護神として、鎮祭されたので城方向(北向)と称するそうだが。
方除・厄除・勝運の神として熱く崇敬されているとな。

沈丁花。よくある花でも、境内にあったらひと際美しく感じるの、私も心が洗われたからか?私が!?
さあ、まだお話は続くよ。聞いた事有る名前。え?なんやったっけ?ってなる名前。
織田作之助。オダサク~!そうです、そうでした。

なんとダンディな!。大阪を愛し、33年の生涯は太くて短かかった。って書いてある。
そうそう『文豪ストレイドッグス』の登場人物だもの。読んでないけどね。
大正2年、大阪市南区生玉前町(現天王寺区)に生まれたのだ。だから生玉さんに?
かの有名な『夫婦善哉』はじめ、多く庶民を題材にした小説を残しています。
井原西鶴を師と仰いでいた・・・その井原西鶴。

寛永19年(1642年)和歌山・中津村生まれ。
数々の名作を残したのだけど、私如きでもそのタイトルを知ってるのは、『好色一代男』や、
『好色五人女』やら『世間胸算用』等々。読んでは・・・いないけどね!
延宝元年(1673年)春、生國魂神社の南坊で万句俳諧の興行をし、後日『生玉万句』を出版。

延宝5年3月、生國魂神社で一昼夜1,600句独吟興行、5月に『俳諧大句数』を刊行。
延宝8年5月、生國魂神社で一昼夜4,000句の新記録を南坊で達成。
作品たちは世界各地で翻訳され、その文化的評価は高く、1968年、ユネスコは世界的偉人の
ひとりとして、井原西鶴を選んだのだ。凄いぞ。

河津寒桜。(かわつかんざくら)。
昭和25年頃に、伊豆半島で発見された若木が、静岡県河津町の民家に移植されたそう。
寒桜より濃い淡紅色の大きな花は、河津寒桜と呼ばれ、各地に広まった・・って、美しい。

こ、これは?米澤彦八の碑。ん?米澤?彦八?。なんかこの名前、知ってる気がする。
何だっけ?誰だっけ?むっちゃ知ってる気がするのは?なに?・・・あ!!
思い出しましたわ。上方落語の祖と呼ばれるかた。ってぇ、実在したんやん!
そうそう、生玉さん出てきたわ。ここ生國魂神社の境内の小屋に、大道芸人が技を競い合っていた。
そのお話、『日本一の軽口男』って本で読んだのだ~~~ぁ!

近松門左衛門の『曽根崎心中』のお話のなかでも、”生玉社前の段”に、
彦八の物真似興行であったというから、かなりの有名さ加減。
そうかそうか、ここだったのだ。生玉さんやもん。って、実はこの日この時まで、
生玉さん=生國魂神社って、柔軟な理解力が無かったもので、懐かしい友と出会ったようにほっとした。
さあ、お詣りに伺いましょう。

生島・足島大神は、日本国土そのもであり、大地に生を受けるものすべてを生かし育て、
守護される広大無辺の御神徳が有るそうな。
ん?広大無辺の御神徳?さっきも書いたような気がする。ああ。皇大神宮と同じだわ。

ここでは毎年、その年の干支の朱印(スタンプ?)を授けて下さるのだけど、それは1月中。
しかし、今年はコロナで自粛なんて~のも有ったので、2月いっぱいやってましたさ。
今更の情報ですが、だってこの日、2月28日だったもの。
ここでその大きな干支朱印を、どっか~んって載せるべきだったか?いやいや、
個人的には、普通のんの方が好きなので、通常の御朱印を頂きましたわん。

ここで書いた何倍も、見所満載の神社ですし、色々と勉強になりました。
どうも、ありがとうございました。
難波大社 生國魂神社
大阪市天王寺区生玉町13-9
TEL 06-6771-0002
