熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

夫馬 賢治 著「データでわかる 2030年 地球のすがた」その2 危機に消極的な日本

2021年12月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日本は、気候変動や環境保護については、先進国だと思う人が多いのだが、現実にはそうでもなさそうである。

   まず、地球温暖化に対する環境破壊だが、先のCOP26の時に、国際的な環境NGOが、 “温暖化対策に消極的”だとして、日本に、不名誉な「化石賞」を与えた。
   COPの首脳会合での岸田総理大臣の演説にふれて「火力発電所の推進について述べた」などとしており、ジョンソン首相も日本の石炭火力発電を止めるよう提言していたし、石炭火力発電脱却の国際世論の批判を浴びている。
   世界では、再生可能エネルギーの発電コストが、高効率石炭火力発電よりも下がっているにも拘わらず、
   日本の政府と産業界の動きは、再生可能エネルギーへの転換を推進するのではなく、日本の重工メーカーが得意とする火力発電技術を使いながら、排出する二酸化炭素を回収する新技術を開発することに賭けている。この石炭回収・貯留(CCS)技術は、安価に導入されれば火力発電でも二酸化炭素を排出しないように出来るが、高度な技術故に、実用化の目処は立っていない。国連など大規模導入は不可能だと考える向きもあり、CCS技術の可能性を国際社会に証明できなければ、日本は何も対策をしていないと見做される瀬戸際に立っている。と言う。
   資源エネルギー庁が、
   ”なぜ、日本は石炭火力発電の活用をつづけているのか?~2030年度のエネルギーミックスとCO2削減を達成するための取り組み”
   を発表して、サポートしているが、どうであろうか。

   いずれにしろ、日本の政府も企業も、経済優先で、気候変動対策にはやや消極的だが、グローバル・ベースでの、SDGs(Sustainable Development Goals)意識の高揚や「ESG投資」の拡大など、投資先の「事業リスク」を極力避けたい機関投資家などの締め上げで、高度なビジョンを持った経営を志向したパーパス経営を強いられて、安閑としておれなくなった大企業が、その対策に乗り出し始めたというのである。

   さて、漁業であるが、漁獲量が頭打ちになった原因は、資源量の低下で、90%以上の魚種が「乱獲」状態にあると言う。
   とりわけ乱獲が顕著になっているのは日本で、衰退している漁業を何とか下支えするため、政府は漁業事業者の足枷になる政策を避け、漁獲の「制限」という手段に踏み切らずに来た。その結果、資源量が危機的な状態にまで下がって、資源量が十分ある「高位」評価の種は17%で、「低位」が49%と約半数を占めており、政府は、漁獲量を規制するTAC法を定めるなど努力しているが不十分である。
   また別途、国際条約による漁獲量や取引を規制される魚種も増えており、代表的なものに、ウナギ、マグロ、カツオなどがあり、資源量は非常に厳しい状態にあり、絶滅の可能性さえ指摘されている。
   国内養殖のために池入れされたシラスウナギのうち、違法ルートの可能性にある輸入モノと国内密漁の割合ははるかに50%を超えており、6割から8割の養殖ウナギは、実は密漁・密輸ウナギの可能性が高いと言うのが日本のウナギ流通の実態だという。
   漁獲量の多い海域では、今後大幅な漁獲量の減少が見込まれており、とりわけ影響の大きいのはイギリスと日本近海で、最大漁獲可能量は、それぞれ、30%以上減少している。
   英国は、EU離脱交渉で、虎の子のシティの金融交渉よりも漁業を優先して落日を早めたが、それ程、魚が大切かと言うことでもある。
   日本では、不十分な漁業管理により、漁業量が危機に瀕している中、気候変動がさらなる資源量低下という厳しい課題を突きつけてきている。

   もう一つ深刻な問題は、水を巡る社会紛争で、日本は世界有数の水リスクに晒されている国だという。
   国内の「水ストレス」は、かなり高くなってきており、日本にも、すでに、大規模な水道水確保用の海水からの淡水化プラントがあるのだが、問題は、製品の海外からの輸入によって海外の水資源に依存している「バーチャルウォーター(仮想水)」である。
   バーチャルウォーターの輸入は、牛肉、小麦、大豆を輸入している米国、オーストラリア、カナダ3カ国だけで609億トンで、全体の約70%を占めている。
   アメリカとオーストラリアの食糧生産地は今後水不足に陥る恐れがあり、多くの食糧を輸入している中国も、既に、大変な水危機に直面している。
   日本の食糧自給率は、37%。実は、膨大な外国からの水の輸入に頼っており、コントロールできないところで危機に直面する危険があると言うことである。

   Sustainable を至上命令に危機意識の高まっている8項目のリスクについて著者は詳述しているのだが、ここで取り上げたのは、ほんの一部で、普通の国になってしまった日本が真摯に対処しなければならない課題は、あまりにも多い。
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タミム・アンサーリー 著「世界史の発明 」3 中国の4大発明

2021年12月06日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   古代中国で産声をあげた4大発明 と言えば、 羅針盤 ・ 火薬 ・ 紙 ・ 印刷 であり、人類史において最も重要な イノベーションである。
   しかし、本国の中国でこれらの文明の利器も鳴かず飛ばずで、十分に活用されず、これらがヨーロッパに伝播すると、一気に、文化文明の発展を加速させたのである。

   まず、羅針盤だが、中国人が発明し、東南アジアの海の民に伝わり、そこから、インド洋と紅海を行き来するムスリムとヒンドゥーの商人に伝播した。
   面白いのは、ムスリムの商人は、1日に5回メッカの方向を正しく定めてお祈りをしなければならないので、海上では旨く機能しない従来の天体観測儀にかわって、モンスーン・ルートを往来する交易商人にとっては、羅針盤が不可欠になったことである。地理に関心を寄せるムスリム文明が、天体観測儀や羅針盤、その他の地図作成に関わるあらゆる科学技術を積極的に取り入れた理由がここにある。
   一方、ヨーロッパでは、狭い地中海が交易の舞台であって、航行に高い技術を必要としなかったので、フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人は、オールと四角い帆だけで済ませていたし、荒れがちな太平洋でも、ヴァイキングやヨーロッパの船乗りは、陸を目視出来る水域の航海に止まっていたので、当初は羅針盤は高く評価されなかった。ところが、十字軍以降、ダール・アル・イスラムとキリスト教界との交流が徐々に進み、ヨーロッパ人の意識が、イスラムからインド、中国に向かって開花し、大航海時代の幕開けに突入すると、一気に羅針盤など公開技術が重要性を増して、ヨーロッパ時代の先魁となった。

  唐の時代に発明された火薬だが、中国では、主に、花火に使われた。唐では、官僚機構が有効に機能し経済も順調に推移しており、匈奴との戦いでも必用なのは大砲ではなく馬であったと言うくらいで、火器にはには余り用がなかった。
   ところが、火薬がヨーロッパに伝わると、火器の技術は急激に進歩した。当時、ヨーロッパは単一の帝国ではなく、それぞれに自治を行う様々な国の集まりであり、力が拮抗する国同士が抗争を繰り広げていた。互角に力を保つことが重要であり、負けじとばかり、軍事技術の整備拡張競争に走ったので、火器進歩を刺激して軍事技術の急速な進展を遂げたのである。

   紙は、早い時期に中国で発明され、ムスリムは、9世紀に戦利品としてこの技術を手に入れて、ダール・アル・イスラムの出版業を勢いづかせた。しかし、ヨーロッパは、1200年代に製紙技術が伝わるまで、基本的に本のない世界であった。ヨーロッパで出版されていた本の多くは、仔牛の皮をなめして薄いシートに仕上げたヴェラムに書かれていて、作るのが難しくてコストが掛かり、僅かしか本が作れなかったのである。
   中国は、印刷機だけではなく、活字も発明した。しかし、中国文字はアルファベットではなく数千個の活字を作らなければならなかったので発展のしようがなかった。しかし、ヨーロッパは、26文字のアルファベットしかなく好都合であった。
   1440年頃、グーテンベルクが、ワイン用の葡萄を搾る機械に手を加えて、印刷機を発明した。グーテンベルクは、たった2冊印刷しただけで、失意のうちに亡くなってしまったが、ヨーロッパの文化文明の発展に多大な貢献を成し遂げた。

   私が会社に入社した頃には、役所や会社などの公的な文書は、タイピストが、膨大な数の活字を器用に一字一字すくい上げて和文タイプを打っていた。
   古代中国が諦めていた活字を駆使していたのである。
   また、私が、ウォートン・スクールのMBAの学生であった時には、スミス・コロナの電動タイプライターを使って、提出論文を作成していた。
   その後、ワープロが出来てから、大分、文書作成が楽になり、デジタル革命によって、今のようにパソコンを自由に使って文章が書けるようになるなどは望外の幸せである。

   長い歴史の過程だが、中国の4大発明が、本国では花が開かず、夜明け前の台頭期にあったヨーロッパで一気に爆発して、人類の文化文明の発展に貢献したと言うのが興味深いが、今や逆転して、眠っていた中国が、進んでいる欧米の技術や知識情報を吸収してキャッチアップしようとしていると言う巡り合わせも面白い。

(追記)口絵は、復元された漢代の羅針盤(開封市)の写真。Wikipediaから借用。
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タミム・アンサーリー 著「世界史の発明 」2中南米の古代文明の不思議

2021年12月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、ホモサピエンスの登場から説き起こして世界史を展望しているのだが、多少荒削りで、あれっと思う記述もあるのだが、お復習いのつもりで読んでいることもあって、フッと新鮮な話題に思いを巡らすこともあって面白い。

   中南米の古代文明は、コロンブス以降台頭したスペインのコンキスタドールのコルテスやピサロに征服されて、一気に世界の歴史上に脚光を浴びた感じだが、例えば、メキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズにかけてのメソアメリカのマヤ文明などは、紀元前から栄えて、結構成熟した文化文明を誇っており、また、メキシコシティ近郊のテオティワカンのアステカ文明やペルーのインカ文明も同様であった。
   南北アメリカの原住民であるインディアンやインディオは、アフリカからアリューシャン列島を経由して移動した我々日本人と同様のモンゴロイドである。

   さて、まず不思議なのは、ユーラシアと中南米の人間文化は、全く異なった経緯を辿っていることである。
   米国大陸で大きな都市文明が興ったときには、何故かユーラシアの4大文明のように大河の流域に生まれなかった。
   不思議なことに、エジプトやメソポタミア文明に匹敵する米国の文明が生まれたのは、温帯ではなく熱帯でありペルーの高い山の斜面やメソアメリカの密林や湿地帯であった。
   ここでも協働なくしては不可能な大規模なインフラ事業が行われ、そのために官僚社会が発達した。巨大なピラミッドを建設し、優れた芸術を生み出し、数学や天文学、そのたの分野で様々な事柄を発見した。
   しかし、アメリカでは、ユーラシアのように大治水灌漑工事のような大事業ではなく、多すぎる水と少なすぎる平坦な土地を克服するための協力であり、マヤでは、水路を掘って沼地の水を抜き、湿地の中に耕作可能な乾いた土地を造成した。南米の進んだ農耕社会は非常に急峻な斜面に段々畑を開墾し、雨水と山の上の小川から引いた水で灌漑した。

   天気の移り変わりになすすべがなかったのであろうか。アメリカの高度な諸文明は、ある程度繁栄すると、突然滅びると言う特定のパターンを繰り返している。
   あの繁栄を誇った「神々の都テオティワカン」は、7世紀の初頭―――イスラムが誕生し、随の皇帝たちが中国を建て直し、教皇グレゴリウスがキリスト教の教義を定めた頃―――消失した。原因は、おそらく、旱魃に始まり、その後飢饉、革命、侵略、戦争と災禍が続いたのであろう。
   メソアメリカの都市は興っては滅び、ジャングルに消えていった。しかし、メソアメリカ全域が、人の移動と相互交流にによって絡み合っていたからであろう、文化は驚くほど連綿と受継がれてきている。と言う。

   些細なことかも知れないのだが、面白いのは、アメリカには、家畜化する動物が居なかったと言うこと、また、馬や牛やロバやラバやらくだなど人々の移動や荷物の運送に使える動物がいなかったこと等々。
   ペルーのマチュピチュとクスコを訪れたときに、カミソリの刃さえ通さないほどピッタリと精巧に積み上げられた石垣擁壁を見てびっくりしたのだが、聞いてみたら、ピッタリと合うまで人間が努力して磨き上げたのだと言うことであった。
   ミイラに頭を外科手術した跡が残っていたがあの未文化のインカに如何に進んだ医術があったのか、リマの天野博物館で途轍もなく精巧で芸術的な織物を見たときの感慨と共に忘れられない。

   このぺルーのインカ文明の跡地や、幸いにも、アメリカやメキシコで仕事をする機会があったので、メキシコと近郊のテオティワカンのアステカ文明、そして、メキシコ東部のウシュマルやチチェン・イッツアなどのマヤ文明の遺跡を見聞する機会を得て、その後、ナショナル・ジオグラフィックの本など随分読んで勉強した。
   今回は、掘り下げてのコメントは控えるが、
   ブラジルに4年住んでいたので、隣のパラグアイやボリビアなどのインディオ文化遺跡にも触れており、私には、中南米の歴史については、無関心ではおれないのである。
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本屋さんがどんどん消えて行く

2021年12月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   東洋経済オンラインで、森田 宗一郎 : 東洋経済 記者の、
   「約10年で3000店が消滅、「町の本屋」の切実事情 商材の拡大や収益源多角化へ、迫られる変革」という記事を見た。
   何時も話題になっている日本人の本離れ、紙媒体の刊行物の退潮傾向を伝えているのだが、必死に踏みとどまろうとする書店の努力を読んで興味を感じた。

   石堂書店が2019年に「まちの本屋リノベーションプロジェクト」クラウドファンディングで得た250万円を元手に、書店近くに家族で所有していた空き店舗を改装し、詩歌やエッセイ、社会評論などのジャンルを中心に選書する「本屋・生活綴方」としてオープン。さらに、店舗の2階にある会議室を一般向けに開放し、シェアオフィス事業へ進出した。今でも収入規模では石堂書店が大半を占めているが、新たな2事業の利益率は従来の書店業よりはるかに高い。2021年には黒字に転換。と言う。

   もう、20年近く前のことになるが、ニューヨークに行ったときに、留学時代によく行っていた5番街の米国最大の書店バーンズ・アンド・ノーブル(Barnes & Noble)の旗艦店を訪れて、店内に、スターバックスが併設されていて、行け行けになっていたので、非常に便利であったのを覚えている。
   これがハシリだと思うが、その後、異業種の店舗同士のコラボレーションが盛んになって、書店に色々なコーナーが併設された。
   石堂書店の場合、最近流行りの「ナラティブ」現象の取り込みだと思うが、物語を育める読書空間のある書店が生まれてきている。

   大都会のビル全体が書店になっているような大型書店では、その店へ行くだけで、十分に楽しめるが、普通の書店や街角の書店へは、一寸寄ってみようかという程度で行く機会も少なく、何かその書店に行くのが楽しいとか、有意義な時間が過ごせるとかと言った付加価値なり魅力がないと、ただでさえ本離れの時代に、訪れることは少なくなる。
   まして、コロナ騒ぎで、私など、ここ2年くらいは、真面な書店に行ったことがなく、本の購入は、すべてネットショッピングで済ませている。
   東京に通勤していた頃には毎日のように訪れていた神田神保町には、もう、何年も行っていないので、ウインドーショッピングの楽しさも忘れてしまった。

   本を探すのは、やはり、東京の巨大な書店を訪れて、興味のあるコーナーをゆっくりと回って見つけることであり、また、神田神保町の古書店をハシゴして、見過ごしていた書物を探すことだが、最近では、書店で検索しなくても、デジタル革命のお陰で、ロングテイル現象で、アマゾンのHPを叩けば、どんな本でも探せるし、必要なめぼしい情報はまず取得できて、殆ど不便を感じることはない。
   本のページを開けば、まずまずの情報は得られるし、試し読みをクリックして開くと、本の内容も大体つかめて便利だし、最新の新刊などの関連本の情報も得られるので重宝している。
   問題は、そのお陰で、どんどん本を買い込むことであり、それに、実際に本を見ていないので、思っていたのとは違って期待外れに終ることがあることである。

   さて、先の書店改革だが、私自身は、喫茶など近くに憩う場所があれば、巨大な大型書店と神田神保町を歩ければ十分であって、それ以上を期待して書店で過ごすつもりはないし、自宅でのマイペースの読書三昧で満足している。
   今日も、師走ながら、朝天気が良くて風も穏やかであったので、庭に出て本を読んでいたし、陽が陰れば和室から庭を眺めながら、また、書斎に篭って、自己流の本読みの楽しみを噛みしめている。
   自分で、居心地の良い読書環境を作って居を構えて、時折、コーヒーの香りを楽しみながら、知への挑戦というか趣味と実益を兼ねて時を過ごす、徒然ながら、そんな日々を送っている。
   読書そのものが生きがいのような生活をしていると、どんなことをしていても、本から離れられないのである。
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わが庭・・・椿:玉ありあけ咲く

2021年12月01日 | わが庭の歳時記
   玉之浦グループで、玉ありあけが一番最初に開花した。
   岩根絞と玉之浦の交配種だと言うことだが、牡丹咲きで覆輪の鮮やかなタマグリッターズと瓜二つである。
   千種園芸によると、親木の玉之浦は、長崎の旧町名で玉之浦町(現在は五島市)で昭和22年玉之浦町長だった故藤田友一さんが父ヶ岳と七ツ岳の山中で発見して昭和48年長崎市の全国椿展で発表したツバキだと言うことで、濃紅地に白覆輪のコントラストが美しくて米国などでも人気が出て、華麗な交配種が生まれている。
   わが庭にも、タマグリッターズの他に、タマアメリカーナとタマカメリーナを植えている。
   交配種なので、木が大きく育つにつれて、同じ木に、先祖返りか、色々と形が変った花が咲くので面白い。
   
   
   
   
   
   

   「ハイカン(這寒椿)」が咲いている。
   千葉から持ってきた小磯の実生苗も花を開いた。
   
   
   
   

   わが庭のモミジも、綺麗に色付いて散り始めている。
   万両の実も、しっかりと色付いてきた。
   もう、師走である。
   
   
   
   
   
   
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