熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

アルミンクのワーグナー「ローエングリン」・・・新日本フィル定期

2007年03月22日 | クラシック音楽・オペラ
   冒頭から正にワーグナーサウンド。アルミンクがブラームスなどのドイツ音楽をプログラムに組んで新日本フィルに重厚なドイツ音楽を訓練して来た甲斐があったのであろう、それに、ソリストの素晴らしさとも相まって、とにかく、5時間近い「ローエングリン」のコンサート形式の演奏会は圧倒的な熱狂で終わった。
   小澤征爾やロストロポーヴィッチが振らなくても、新日本フィルは、アルミンクの下でチケットを完売するコンサートを演奏できるようになったのである。
   世界のヒノキ舞台で活躍し、熱狂的な拍手と歓声に慣れ切っている筈の超ベテランでテルラムントを歌ったセルゲイ・レイフェルクスが、カーテンコールの列の端で満面の笑みを湛えて嬉しそうに笑っていたのを見ても、昨夜の演奏会の素晴らしさが分かる。

   ワーグナーのオペラは、どの演出も殆ど動きの少ない静的な舞台が多いので、極端に言えばコンサート形式でも十分だが、飯塚励生の演出した舞台は特筆に価するほど素晴らしく、オーケストラ、ソリスト、合唱団、バレーとの効果的なマッチングがアルミンクの演奏を更に際立たせていた。
   高台にあるオルガンスペースを頂上にして台形の階段をつけてその下にリング状の中二階の舞台を設営して、その下のオーケストラの場所だけを残して総てをステージとして取り込み、一階席の上手側通路を花道にしてローエングリンと白鳥の登場や花嫁の入場行進に使うと言う並みのコンサート・オペラの域を遥かに超えた本格的な演出である。
   舞台には、カーテン代わりにダヴィンチの裸の男性が両手両足を開いて立っている「ウイトルウイウス的人間」の絵や、ニ幕では陰謀の舞台なので黒い布幕、三幕では結婚とハッピーエンド(?)の舞台なので白い布幕などをバックに使い、精霊の降誕などは照明を駆使するなど、私がこれまでに観た多くのワーグナーオペラより凝った演出だと思った。
   合唱団を上手く使って舞台に溶け込ませ、バックの素晴らしいオルガンと呼応して素晴らしい背景を作り出していた。
   ついでながら、栗友会合唱団の素晴らしさは、もう既に、新日本フィルの演奏会では必須の存在になってしまっている。

   私が始めて「ローエングリン」を観たのは、もう40年近くも以前のことで、大阪万博でのドイツ・ベルリン・オペラでの舞台であった。
   チャールズ・クレイグのタイトルロール、スペインの名花ピラール・ローレンガーのエルザで、うろ覚えだが指揮はロリン・マゼール(?)。私は、ローレンガーの清楚で美しい「エルザの夢」とそれに始めてまともに聞いた第三幕の「結婚行進曲」が今でも耳の何処かから聞えてくるような気がしている。
   その後、ロンドンのロイヤル・オペラで、音楽監督のハイティンクの指揮で一度聞いているが、それほど聴くチャンスはなかった。
   あの時は、ハイティンクが、ワーグナーのオペラを殆ど舞台にかけて振っていたので、幸いにもワーグナーを存分に聴く機会があったのだが、どれがどうだったのか、誰が歌ってどんな舞台だったのかも、残念ながら良く覚えていない。
   ギネス・ジョーンズやルネ・コロがまだ最盛期で圧倒的な舞台を展開していた頃のことである。

   ローエングリンのデンマークのテノール・スティー・アナーセンは、欧米で活躍しているワーグナー歌いとのことで、一寸往年のルネ・コロを思わせるような歌唱で、最初は多少不安定だったが、最終の「名乗りの歌」や「別れの歌」など、素晴らしく美しい熱唱で胸が熱くなるくらいであった。
   ドミンゴが、ワーグナーでもこのオペラは、リエンチと共に最もイタリア的なオペラで、ヴェルディのメロディになっている所もあると言うくらい美しいパートが多く、このアナーセンは、ワーグナーの底知れない迫力とリリックな美しさを兼ね備えた貴重なワーグナー歌手なのであろう。

   ドイツのソプラノ・メラニー・ディーナーは、中々チャーミングな歌手で姿形が絵になっており、それに、バイロイトでエルザを歌ったと言うのであるから極め付きのエルザで、とにかく、名だたる指揮者の下でシュトラウスやモーツアルト、ウエーバーなど幅広いオペラを歌っており、今回の舞台では一番観客を魅了した歌手かも知れない。
   私がワーグナーに引き摺り込まれたのは、初めて聴いた大阪フェスティバル・ホールでのビルギット・ニルソンとウイントガッセンの「トリスタンとイゾルデ」の「愛の二重唱」だが、今回の二人の二重唱もワグナー節の魅力全開の歌唱であった。

   ところで、エルザを陥れて王国を乗っ取ろうとする悪役のテルラムント伯爵のセルゲイ・レイフェルクスだが、何度も見ており久しぶりの舞台である。思い出すのは、同じ悪役で、プラシド・ドミンゴのオテロを徹底的に貶めて窮地に追い込んだヤーゴ役のロイヤル・オペラの舞台であるが、それが蘇ったような素晴らしいレイフェルクスを観た。
   今回は、妻のオルトルートに唆されての悪巧みだが、あの個性的な顔とパンチの効いたバリトンが正にテルラムントにぴったりで、オルトルートのアレクサンドラ・ピーターザマーとの相性が実に素晴らしい。

   そのドイツのメゾ・ソプラノのピーターザマーだが、二幕の冒頭オーケストラが始まると、舞台のただ一点だけ微かに光の当たるところに、彼女の彫りの深い横顔がレンブラントの絵のように浮かび上がり、腹にとぐろを巻く悪の咆哮を予感させる姿からして印象的で、とにかく、夫を誑し込んで復讐を誓わせ、エルザ姫に取り入って騙して踏み躙る魔女の魅力は抜群で、それに実に迫力のある歌唱が圧倒的である。
  
   ビックリするくらい声量豊かで凄いと思ったのは、ハインリッヒ王を歌ったポーランドのバス・トマシュ・コニェチュニで、是非彼のウォータンを聴きたいと思って聴いていた。
   それに、素晴らしいバリトンを聞かせてくれたのは、日本人歌手・石野繁生の王の伝令で、既に、このNJPで「ドイツ・レクイエム」で聴いているのだが、朗々と舞台を圧倒する美声は流石である。

   何れにしろ、これだけのワーグナーの世界を現出したのは、指揮者クリスティアン・アルミンクの力量で、彼の紡ぎだすコンサート・オペラもこれで4回目で、来シーズンは、シュトラウスの「こうもり」だと言うが、正に、ウィーンっ子の面目躍如の舞台となるであろう。
   カラヤンも若い頃、NHK交響楽団の指揮に来日していたが、アルミンクのように定期の半分も振る有能な若手外人指揮者も少ない。
   来期シーズン、小澤征爾のステージが定期演奏会から消えるので、止めようかと思ったが、アルミンクを聴ける間は続けようと思って、定期の予約を継続した。

   
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