熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

インバル/都響:マーラー「交響曲第10番 」でコンサート鑑賞卒業 そして 小澤征爾

2024年02月23日 | クラシック音楽・オペラ
   2月22日の都響C定期公演は、
出 演 指揮/エリアフ・インバル
曲 目 マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)
   マーラー未完成の最後の交響曲であり、73分の大曲である。
   インバルによると、この曲は「別れ」を告げていて、死後に彼が復活し、人生や死について回想しているかのようだと言う。

   私にとっては、このコンサートが、シーズンメンバーチケットを購入して定期会員として、コンサートホールに通う最後の演奏会であったが、素晴しい1日であった。
   傘寿を超えて大分経つと移動が不自由になって、鎌倉の田舎から池袋の芸術劇場への往復が苦痛になり始めて、今期で定期会員権を放棄したのである。
   昔のように、トップ公演のコンサートと雖も全く食指が動かなくなったので、特別な公演でない限り、劇場に通うことはないであろう。

   定期会員権継続は、アメリカ留学寺に、フィラデルフィア管弦楽団の2年間に始まって、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ロンドン交響楽団、ロイヤル・オペラ、新日本フィル、都響と、ほぼ半世紀の長いクラシック行脚だったが、それとは関係なく、ウィーン・フィルやベルリン・フィル、METやミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場、そして名だたるソリストなどと言ったトップ公演にも頻繁に出かけていたので、クラシック音楽には愉しませて貰った。
   帰国してから、小澤征爾を聴きたくて新日本フィルに通ったが、出場しなくなったので、都響に鞍替えしてもう10数年になるが、N響の定期券を持っていたこともあった。
   ステレオレコードが出始めた頃から、LPレコードに入れ込み始めて、ビデオ、レーザーディスク、CD、DVDなどと集めた音源も膨大な量で、NHKやWOWOWなどから録画したDVDも溢れるばかり、
   60年以上もクラシック音楽に付き合っていると色々なことがある。マーラーも随分聴いてきたと思う。

   さて、先に逝った小澤征爾には、数々の思い出がある。
   小澤征爾の演奏に最初に接したのは、1974年だったが、ウォートン・スクールで勉強していた頃で、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで、ブラームスなどを聴いた。サンフランシスコから、ボストン交響楽団の指揮者に移った直後の遠征公演であった。
   この時、オーマンディの部屋を借りたのであろう、あの「小澤征爾の指揮棒」で書いた指揮棒を借用したのかも知れない。
   その後、ロンドンで、サイトウ・キネンで一回、他にも何回か機会があったが、出張していたりキャンセルがあったりで機会を逸し、
   日本では、ウィーン国立歌劇場の来日時と小澤征爾音楽熟オペラ「こうもり」と「カルメン」やサイト―・キネン・フェスティバル松本など、それに、新日本フィルの定期会員券を持っていた。最初は、定期公演8回の内、2回は振っていたので、結構、小澤の演奏を楽しめたが、その後、1回となり、振らなくなってしまったので、都響に切り替えた。

   昔、小澤征爾のドキュメントをテレビで見ていて、早朝真っ暗な時間に起きて総譜を勉強しながら、毎日が、このエッヂを歩いているようなもので、何時、奈落に転落するか分からないと、机の縁に指を這わせていたのを強烈に覚えている。
   カラヤンの弟子になった2か月後、バーンスティンのオーディションがあって合格して、一年間と言うことで出かけたが、帰れず、カラヤンのところに居たのは4か月だったが、カラヤンは死ぬまで、小澤を弟子だと人に言って何くれと面倒を見てくれたと言う。これも、テレビのドキュメントだが、小澤が、カラヤンの前に跪いて、オペラの指揮が上手く行かないのですがと聞いたところ、何回やっているのだとたしなめられていたのを覚えている。

   小澤のイギリスでの評判は大変なもので、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのロンドン交響楽団の演奏会でのこと。直前になって、小澤がボストンから来られなくなって代役指揮者で演奏会を行うことになった。ソリストは、世界的チェリスト・ロストロポービッチ。演奏会当日、係員がホールの戸口で、入場者の一人一人に、詫びながら「マエストロ・オザワが来られません。ご希望なら払い戻しいたしますが如何でしょうか?」と聴いていた。50センチしか離れていない後の家内にも言っていた。指揮者やソリストの変更は日常茶飯事でオペラやクラシック・コンサートの宿命、5年以上ロンドンの劇場に通い詰めていたが、後にも先にも、こんな光景は見たことがない。

   先日、小澤征爾の追悼番組で、2002年のウィーン・ニューイヤー・コンサートが放映されていた。バーンスティン譲りであろうか、華麗な指揮ぶりが強烈な印象を醸し出して感激。色々な番組に接して、欧米で最高峰の指揮者に上り詰めた中国生まれで日本人の巨大なコスモポリタン音楽家の偉大さを改めて感じた思いであった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PS:アン・O・クルーガー 「 ... | トップ | わが庭・・・椿仙人卜半・沈... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

クラシック音楽・オペラ」カテゴリの最新記事