先日、池田清彦の「欺されない老後」をレビューした。
冒頭、地球温暖化などはウソだと暴言を吐いているので、一寸、読書をためらったのだが、元々、不良老人の生き方を語っているのだから、気にすることはない。
私はこう思って生きているが、お前はどうか、そんな問題を投げかけて挑発していると思えば良いのである。
歳を取れば、何を食べてもたいした差がない。しかし、アレルギーには注意。
テレビや雑誌で、「この食べ物を食べれば良い」とか、(「この錠剤を1日一粒」とか、無知な大衆を煽り立ててこれ宣伝に努めているが、利いたためしがなく、(ここは、私の追加))サプリメントの必要など全くなくて、食べたいものを食べて「広食性」を維持すれば良い。
至極尤もなことを言う。
私の手元に、積読だが、「ワイル博士の医食同源」と言う大著がある。引退してから、読もうと思って買った本だが、ペラペラページを捲り始めている。
ワイル博士のレシペ集に加えて、「粗食のすすめ」の陣内秀夫氏が、ワイル博士監修でレシペ集を掲載しているが、残念ながら、料理は、総べて家内任せなので、私には何も出来ない。
粗食と言うことだが、歳を取った最近では、それに近いとしても、若くて元気でヨーロッパを飛び回っていた頃には、ミシュランの星付きレストラン行脚を続けていたので、やはり、高級レシペの味の凄さ奥深さの魅力には勝てなかったのを覚えている。高級食あっての粗食の魅力である。
ところで、ワイル博士は、「健康のための食事と、快楽のための食事は互いに矛楯するものではないと言う認識である。」と述べていることを付記しておきたい。
さて、著者は、色々な切り口から、老後の生き方を語っている。
このブログで、何回も触れているので蛇足も良いところだが、飽きずに、読書と晩酌について書く。
まず、読書だが、著者は、「真の知識があれば欺されることはない」として、純粋に「知識欲」を満たすことを楽しむ読書のメリットを語る。
一冊読んでますます興味が湧いたら、そのジャンルの本をもっと読んで知識を得れば良い。特にゴールがあるわけではなくても、純粋に知りたいことだけを自分勝手に追いかけるのは、この上なく楽しい。むしろごーるがないほうが継続的な生きがいになる。と言う。
私の場合、「知識欲」と言えば「知識欲」だが、少しニュアンスを変えて、「真善美」に会いたいという思いである。何か自分には未知であり経験をしていない真実や善いことや美しいことを知りたいと思っている。読書以外でも、例えば、旅や芸術鑑賞や自然観察などもそうで、そんな思いで対峙していると、思いがけない感動に遭遇する。
雀百までと言うか、今でも、少しは専攻した経済学や経営学の専門書を読んでいるが、これは、やはり、知識水準をそれなりに維持して遅れたくないという気持ちからである。これに関連して、歴史や社会学、政治関連の本が絡まるので、やはり、カレントトピックスからは離れられないと言う人間の性かも知れないと思っている。
最近は、コロナで、東京へ観劇やコンサートに行けないので、古典芸術やパーフォーマンス・アーツ関連の本とは疎遠になっている。
しかし、昔から好きで離れられないのは、シェイクスピア。
そして、ルネサンス関連と、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
それに、昔から、欧米の博物館美術館を回って、名画を追いかけ続けてきたので、どうしても、美術の本に目が行く。
何度同じ関連本を読んでも、新鮮な感動を覚える。
本の大半は、倉庫に眠っているのだが、書斎の本棚や机の上、それに、足下に堆く本の山があって、時々入れ替えたり積み替えたりしていて、どの本も読みたいと思いながら、ままならない。
今になって、速読法を身につけておけば良かったと後悔しているが、後の祭りである。
さて、元々、晩酌をしたことがなかったのだが、この頃は、毎夜の如く、主に、赤ワインだが、晩酌らしきものをしている。
酒は、飲めないわけではなかったので、学生の頃のコンパから、付き合いや仕事の関係上、その時に応じて、適当に飲むことはあっても、付き合い程度であった。
ところが、ヨーロッパに赴任して仕事を始めると、ワインは飲む食べ物という位置づけであるから、ワインはつきもので、これなしには、ヨーロッパ人との付き合いは成り立たないし、仕事に支障さえ来す。
食前酒や食後酒は、色々だが、食事中は、ずっと、白ワインか赤ワインが伴奏するので、その絶妙な味の調和なりバランス、何とも言えないコラボレーションの良さが分かってくると、ワインなしには、会食など食が進まなくなってしまう。
ヨーロッパでの出張や一人旅でも、ミシュランの星付きレストランを探してあるいていたので、その土地土地に合ったワインをソムリエのアドバイスを得て飲み続けていると、これが、実に素晴しいのである。旅情も加わって、良い思い出となった。
ミシュランの星付きレストランは、オランダやベルギーやドイツに行くと、鄙びた田舎にあって、小さな旅籠を併設したりしているので、気持ちよくほろ酔い機嫌で一夜を過ごす旅の醍醐味は、また、格別であった。
魚料理の時には、白ワインか日本酒に代えているが、休肝日を除いて、殆ど毎夜、赤ワインである。
適量というのか、酔うまでには行かないが、健康上、200ccがmaxで、100cc前後に抑えようと努力はしている。
冒頭、地球温暖化などはウソだと暴言を吐いているので、一寸、読書をためらったのだが、元々、不良老人の生き方を語っているのだから、気にすることはない。
私はこう思って生きているが、お前はどうか、そんな問題を投げかけて挑発していると思えば良いのである。
歳を取れば、何を食べてもたいした差がない。しかし、アレルギーには注意。
テレビや雑誌で、「この食べ物を食べれば良い」とか、(「この錠剤を1日一粒」とか、無知な大衆を煽り立ててこれ宣伝に努めているが、利いたためしがなく、(ここは、私の追加))サプリメントの必要など全くなくて、食べたいものを食べて「広食性」を維持すれば良い。
至極尤もなことを言う。
私の手元に、積読だが、「ワイル博士の医食同源」と言う大著がある。引退してから、読もうと思って買った本だが、ペラペラページを捲り始めている。
ワイル博士のレシペ集に加えて、「粗食のすすめ」の陣内秀夫氏が、ワイル博士監修でレシペ集を掲載しているが、残念ながら、料理は、総べて家内任せなので、私には何も出来ない。
粗食と言うことだが、歳を取った最近では、それに近いとしても、若くて元気でヨーロッパを飛び回っていた頃には、ミシュランの星付きレストラン行脚を続けていたので、やはり、高級レシペの味の凄さ奥深さの魅力には勝てなかったのを覚えている。高級食あっての粗食の魅力である。
ところで、ワイル博士は、「健康のための食事と、快楽のための食事は互いに矛楯するものではないと言う認識である。」と述べていることを付記しておきたい。
さて、著者は、色々な切り口から、老後の生き方を語っている。
このブログで、何回も触れているので蛇足も良いところだが、飽きずに、読書と晩酌について書く。
まず、読書だが、著者は、「真の知識があれば欺されることはない」として、純粋に「知識欲」を満たすことを楽しむ読書のメリットを語る。
一冊読んでますます興味が湧いたら、そのジャンルの本をもっと読んで知識を得れば良い。特にゴールがあるわけではなくても、純粋に知りたいことだけを自分勝手に追いかけるのは、この上なく楽しい。むしろごーるがないほうが継続的な生きがいになる。と言う。
私の場合、「知識欲」と言えば「知識欲」だが、少しニュアンスを変えて、「真善美」に会いたいという思いである。何か自分には未知であり経験をしていない真実や善いことや美しいことを知りたいと思っている。読書以外でも、例えば、旅や芸術鑑賞や自然観察などもそうで、そんな思いで対峙していると、思いがけない感動に遭遇する。
雀百までと言うか、今でも、少しは専攻した経済学や経営学の専門書を読んでいるが、これは、やはり、知識水準をそれなりに維持して遅れたくないという気持ちからである。これに関連して、歴史や社会学、政治関連の本が絡まるので、やはり、カレントトピックスからは離れられないと言う人間の性かも知れないと思っている。
最近は、コロナで、東京へ観劇やコンサートに行けないので、古典芸術やパーフォーマンス・アーツ関連の本とは疎遠になっている。
しかし、昔から好きで離れられないのは、シェイクスピア。
そして、ルネサンス関連と、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
それに、昔から、欧米の博物館美術館を回って、名画を追いかけ続けてきたので、どうしても、美術の本に目が行く。
何度同じ関連本を読んでも、新鮮な感動を覚える。
本の大半は、倉庫に眠っているのだが、書斎の本棚や机の上、それに、足下に堆く本の山があって、時々入れ替えたり積み替えたりしていて、どの本も読みたいと思いながら、ままならない。
今になって、速読法を身につけておけば良かったと後悔しているが、後の祭りである。
さて、元々、晩酌をしたことがなかったのだが、この頃は、毎夜の如く、主に、赤ワインだが、晩酌らしきものをしている。
酒は、飲めないわけではなかったので、学生の頃のコンパから、付き合いや仕事の関係上、その時に応じて、適当に飲むことはあっても、付き合い程度であった。
ところが、ヨーロッパに赴任して仕事を始めると、ワインは飲む食べ物という位置づけであるから、ワインはつきもので、これなしには、ヨーロッパ人との付き合いは成り立たないし、仕事に支障さえ来す。
食前酒や食後酒は、色々だが、食事中は、ずっと、白ワインか赤ワインが伴奏するので、その絶妙な味の調和なりバランス、何とも言えないコラボレーションの良さが分かってくると、ワインなしには、会食など食が進まなくなってしまう。
ヨーロッパでの出張や一人旅でも、ミシュランの星付きレストランを探してあるいていたので、その土地土地に合ったワインをソムリエのアドバイスを得て飲み続けていると、これが、実に素晴しいのである。旅情も加わって、良い思い出となった。
ミシュランの星付きレストランは、オランダやベルギーやドイツに行くと、鄙びた田舎にあって、小さな旅籠を併設したりしているので、気持ちよくほろ酔い機嫌で一夜を過ごす旅の醍醐味は、また、格別であった。
魚料理の時には、白ワインか日本酒に代えているが、休肝日を除いて、殆ど毎夜、赤ワインである。
適量というのか、酔うまでには行かないが、健康上、200ccがmaxで、100cc前後に抑えようと努力はしている。