熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

社会資本・主義にパラダイムシフト?

2024年10月08日 | 政治・経済・社会
   東洋経済onlinew読んでいて、小幡 績 慶応大教授の「石破政権の誕生は「日本経済正常化」の第一段階だ」の記事に出会った。

   19世紀の「産業資本・主義」から20世紀の「金融資本・主義」そして、22世紀の「社会資本・主義」へ向けて、21世紀は移行期(混乱期)にあり、イシバノミクスは、「社会資本・主義」へのパラダイムシフトの時期に遭遇する、と言う。
   「社会資本・主義」というワードは「小幡造語」で、「社会資本」の主義、という意味であり、社会資本が社会・経済においてもっとも重要となる世界がやってくる、ということだ。と言うのである。

   小幡説をさらに説明すると、
   この「社会資本」とは、宇沢弘文氏のいう「社会的共通資本」をも含むが、もっと広く、かつ価値観的にニュートラルであり、1990年代に少し流行した”Social Capital”という概念のほうが近い。  つまり、経済発展は、需要の拡大によるものでもなく、供給サイドの生産力の拡大だけではダメで、社会という基盤がしっかりすることで初めて、真の地に足のついた経済発展が始まる、ということである。そのためには、需要政策でも生産性向上政策でもなく、何よりも健全な社会という土台を作り直す、という「経済」政策である。なぜなら、社会という土台がしっかりすれば、経済は長期的には持続的に自然と発展していくからである。  
   この社会資本が充実している国ほど経済成長する、という実証分析が流行しており、現実の経済政策に関して言えば、すべての人々が安心して暮らせる社会、これこそ、「社会資本」である。そして、これを支えるための法制度そして政策、それが「社会資本・主義」政策である。 
   イシバノミクスは、以下のように体系化できる潜在的可能性がある。  この「社会資本」の確立、修復、安定を政策の目標とする。国家を地政学リスクから守ることで、安心して経済活動に専念できる。災害から国土を守ることによって、安心して生活ができる。安定した消費、生産活動ができる。インフレという価格変動リスクから生活者、中小生産者を守る。健全な消費、生産活動につながる。将来のリスク、不安、不確実性も減るから、設備投資、人的投資もできるようになる。そのためには、社会不安が減り、将来の見通しへの不安が減ることが必要である。 
   これは、石破氏が生み出したものではなく、社会の動きが高まっていることによるものであり、石破政権で実現しなくても、パラダイムシフトは、今後21世紀前半のどこかでは起きることになるだろう 。

   しかし、社会が「社会資本・主義」に変わることへマグマが溜まっていたところに、「石破政権誕生」という偶発的な事件が、これに点火したことは事実であって、石破政権誕生という2024年は、分水嶺となる可能性があり、パラダイムシフトであって、経済は明るいと言うことであろうか。

   ところで、日本株式市場、日本経済、日本社会は、転換点を迎え、新しい発展段階に入るだろう。この事実には、私以外、誰もまだ気づいていない。石破氏本人でさえわかっていないだろう。 というのだが、
   金子 勇 教授が、昨年6月に、「社会資本主義 人口変容と脱炭素の科学」出版して、
   「新しい資本主義」を「社会資本主義」と命名した本邦初の「経済社会学」。「社会的共通資本」と治山治水を優先し、国民が持つ「社会関係資本」を豊かにし、一人一人の「人間文化資本」を育てる。これら三資本の融合を理念とし、「人口変容」と「脱炭素」を論じつつ、経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な開放型社会づくりを創造する。として、「社会資本主義」時代の到来を説いている。 
     マルクス、ウェーバー、パーソンズ、高田保馬の核心を融合した経済社会学による「新しい資本主義」論 だというから、違うのかもしれないが、読んでいないので、何とも言えない。

   さて、問題は、「社会資本・主義」が、「社会資本」の確立、修復、安定を政策の目標として健全な社会という土台を作り直す、と言うことだが、非常に漠然とした概念であって、経済政策の柱となり得るのかと言うことである。
   健全な社会の土台を作るというのは、住み良い安心安全や社会を作ると言ったような理想社会を実現するのと殆ど同義語であって、経済政策としては当然の目標である。
   また、公共財よりは狭い概念であろうが、経済学における社会資本は、企業・個人の双方の経済活動が円滑に進められるために作られる基盤のことのようだが、この社会資本の充実は、デマンドサイド、サプライサイド両面の経済政策の結果であって、並立する経済現象でもない。

   また、ダロン・アセモグルの「社会全体の豊かさをもたらす「正しい」技術革新のためには、政治による正しい方向付けが必要だ」との主張を同義だとして、政府は、「正しい」方向へ社会を導くことにより経済の自律的な発展を促す。  そして、これは、経済至上主義、市場至上主義、金融至上主義と、どんどん倒錯してきた世の中を、社会至上主義(「社会主義」よりも本当の意味での「社会」主義)という正しい姿に戻す、つまり、これまた、膨張しすぎた近代資本主義社会の「正常化」、すなわち、政治・金融市場・経済の「正常化」へのパラダイムシフト  だという。
   政治が「正しい」方向へ社会を導く政府主導の福利厚生経済が良いのか、民主導の市場原理主義の経済が良いのか、振り子運動の一環であって、その振り子が、社会価値重視に移るという議論のような気がしている。
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