熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

安達瞳子著「花芸365日」

2016年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   もう、20年以上も前、1994年4月に出版された安達瞳子の花芸365日で、元旦から大晦日まで、毎日1作品ずつ活けられた作品の写真集で、はじめに、と、各月の冒頭に、作者がエッセイを書いており、当時の安達瞳子の花芸の集大成とも言うべき豪華本である。

   私は、学生時代から、京都や奈良などの古社寺を訪ねる歴史散歩が趣味で、随分、日本国中を歩いたのだが、その時に、部屋の片隅や廊下に置かれた生け花を見るのが、一つの楽しみで、それに、古社寺では、行事や季節によっては、花の展示や生け花展が開かれていて、結構、綺麗な花を鑑賞する機会が多かった。
   また、学生時代を過ごした京都や、今住んで居る鎌倉など古都には、色々と名木や花で有名な花の寺が多くて、その影響か、小鳥や小動物が植物を伝播させて、町全体が、何となく花で覆われているような感じがして、美しいのである。

   著者は、はじめにの冒頭で、子供の頃、金環食の日に、皆、黒いセルロイドの板で細くなって行く太陽を見ていたが、自分だけ、何となく、
   足元を見て、いつもは丸い球を落としていた竹林の木漏れ日が、眉のように細くなって消えて行き、また再び円に戻ると言う初めて見る神秘的な光景が、日食より、はるかに鮮烈に感じられて、この竹漏れ日との鬼ごっこは、そのまま、花を生けるということへの問いに重なっていた。と書いている。
   これは、先日の「花一路」で、荒井魏が、「木漏れ日の”花の啓示”」と書いているのだが、花を生ける行為は、木漏れ日のときめきに共通する安らぎの世界で、その奥に自然の真実、摂理が見え隠れするような花を生けたい。少なくともその姿勢を失わずに生きていきたい。と、この体験が教えてくれたと言う。

   さて、私も、花に魅せられて、庭に四季の花々を栽培して花の咲くのを心待ちにして、カメラで追っかけているのだが、何が、その継起となったのであろうか。
   私の場合には、それ程インパクトを感じた思いではないのだが、やはり、オランダでの花に対する思い出の集合であろうか。
   まず、オランダに行き、最初に印象を受けたのは、キューケンホフの花公園であろうか。
   その時、綺麗に整備された公園よりも、公園にある一基の風車の上から見た眼下に広がる極彩色の絨毯のような花畑に、興味を感じた。
   車で、公園から離れて、リセのチューリップ畑の広がる農村地帯に入ると、殆ど人影もなく、延々とチューリップやヒヤシンスなどの花畑が広がっているだけで、聞こえるのは遠くでスキポール空港に飛来する微かな飛行機の爆音だけ。
   畑の中に入れば、まわりの360度は、極彩色の花々で、目がくらくら。
   花畑の外れの小高い土手に車を止めて、小休止して眼下に広がる花畑を見ていたら、爽やかな涼風に吹かれて、生き物のように、チューリップの列が靡いて、そのリズムが、無音の音楽を奏でているようで、感激を覚えた。

   今でも、鮮明にあの頃の風に音楽するチューリップ畑を思い出すが、二度とそんな機会を味わうことがなかった。
   もう一度見たくて、オランダに3年イギリスに5年住んで居て、何度も訪れたが、チューリップ畑は、球根栽培畑なので、花が咲くと出来を確認して、すぐに、一気に花を落とすので、殆どのチューリップ畑が、最盛期に花を咲き乱れさせている時期は、ほんの何日かで、その当時、私は、明日はパリ、今日はマドリードと言った多忙を極めた日々を送っていたので、休日に行って、運良く、そんな素晴らしい日に巡り合わすなど不可能だったのである。
   
   さて、安達瞳子のこの本は、
   四月には、「蒼い桜」、十月には、「黄葉紅葉」などなど、季節の移り変わりに託した珠玉のようなエッセイを通して、安達流花芸のエッセンスや瞳子の花に対する篤い思いを綴っているのだが、
   生きると言うことの素晴らしさを噛み締めながら、自然との感応を通じて価値ある生活を創造することが、我々にとって、如何に貴重な財産であるのかを、痛いほど感じさせてくれて感動する。
   
   自然に対してもそうだが、花に対しても、欧米と日本の美意識は、随分違っていて、欧米人が、ばらが好きで、日本人が、侘助が好きだと言うこと、或いは、洋ランと日本らんとの違い、ヤブツバキが洋椿に、ヤマユリがカサブランカに改良されたこと、などを考えれば、殆ど自明だが、
   更に、もっと差が大きいのは、哲学的と言うか思想性さえ感じさせる日本の生け花は、正に、精神性の高い芸術の域に達した芸道だと言う感じがするのだが、欧米のフラワーアレンジメントは、非常に美しくて豪華な芸術だが、装飾と言う要素が強くて、精神性にはあまり馴染まないと言う感じがするのは、偏見であろうか。
   それもこれも、日本の国が、豊かで繊細に変化する四季に恵まれているからで、それが、日本人の美意識を育み、素晴らしい花芸を涵養している。・・・私には、遠い世界だが、生けられた花々の美しさを愛でながら、ほっと、良い気持ちにさせてくれたのが、この本である。

   美しい花芸の作品の一部を、本から転写して紹介すると、つぎのとおり。
   写真が小さいので分かり難いが、銕仙会能楽研修所の能舞台の目付柱に設えた竹を器にしたウメとツバキの生け花の花手前は、非常に興味深い。
   
   
   
   
   
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