熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

フレデリック・テイラーの科学的管理法の悲劇

2011年01月17日 | 経営・ビジネス
   20世紀のマネジメントの歴史を語るスチュアート・クレイナーの「マネジメントの世紀」の冒頭は、ストップウォッチ・サイエンスと言うタイトルで、「科学的管理法」のフレデリック・テイラー、次の章は、モダン・タイムスで、T型車大量生産ラインのヘンリー・フォードの経営を扱っていて興味深い。
   大学でもビジネス・スクールでも学んだトピックスだが、概念らしきことを素通りしただけで分かったような気がしていたのだが、短い章であるものの、改めて多少詳しく語られると、気付かなかったことどもが見えて来て面白い。

   最初に感じた印象は、謂わば、マネジメントの科学的な萌芽と言うか、マネジメントの体系的ないし学問的な幕開けと言う感じと言うよりは、アメリカの経営なり経営学は、当初から、合理的機械的で、人間性軽視の極めて無味乾燥なものであったのだと言うことである。
   モダン・タイムスと言うタイトルを冠してクレイナーが語っているフォードの大量生産オートメーション・システムは、既に、チャップリン映画の人間性無視の経営を髣髴とさせていると言うことで、生産性の向上なりイノベーションは、太古より、人間にとって、幸か不幸かは紙一重だと言うことである。

   まず、テイラーだが、当時の労働者は、仕事が早く進む代わりにゆっくりと進むこと、すなわち、実際に受け取る賃金に対して、より少なく仕事をすることが自らの利益になると固く信じて疑わなかったと言う。
   更に、労働者にとっての利点は、彼らの上司が、どのくらいの時間で一つの仕事が出来るのかを知らないことで、労働者の仕事の性質を調べようと考えた経営者は誰一人としていなかったと言うことである。
   労働者たちが、「働くふり」に時間を取られて、故意に作業を遅らせるなど生産的に早く仕事をすると言う動機を全く持ち合わせていないのに、頭に来たテイラーが、ストップウォッチを持って、仕事を正確に測って、仕事を完成させる効率的な唯一の方法を確立したのである。

   これが、テーラーの科学的管理法の原点なのだが、このことは、労働者には何が期待されているのかを、そして、経営者にはどのくらいの量を生産できるのかを、正確に分からせることとなったのである。
   テイラーのストップウォッチが、工場の生産性を一挙に伸ばし、時間の意識をマネジメントに持たせ、仕事場に精密さと規律を持ち込んだのであるから革命的な変革で、世界中に大きな影響を与えたのだが、ロシアのレーニンもテイラー・ファンだったと言うから面白い。
   より多くの生産と、より多くの市場を追及するのが20世紀の経営的な探究課題だが、テイラーは、正に、その手段を提供し、「多いことは良いことだ」とするヘンリー・フォードの経営哲学の大前提にもなったのである。

   ここで、面白いのは、テイラーの世界におけるマネージャーは、測定すれば仕事はおしまいと言うことであったが、ミンツバーグの言を引用して、監督や測定や観察に専念する全く新しい種類のマネージャー、すなわち、ビジネスの効率性と意思決定に対する最大の障害となる中間管理職を生み出したと指摘しているのが興味深い。
   ICT革命で経営や重要情報へのアクセスへの平等化が進展して中抜きが常態となってしまった今日の経営では、中間管理職無用論は一般論であるとしても、テイラーに遡るとは面白い。

   もう一つのクレイナーの指摘は、テイラーの理論は、マネジメントは人間味のある科学ではなくて禁欲的なもので、倫理より効率性を優先して従業員の個性を否定し、科学的管理法は、信頼の欠如、個々人の価値や機知や知性への尊敬の念の欠如の上に築かれていると言うことであり、その理論の実践には議論が付きまとったと言うことである。
   信条として科学的管理法を宣言したUSスチールは、新しい生産ラインや生産ラインを加速させる出来高システムを導入すると同時に、大部分の労働者の手取り所得を減らすなど、効率性を重視する非人間的な労働環境を強いたので、3500人の未組織労働者が反乱を起こしたと言う。
   
   ところが、非常に興味深いのは、当時19世紀を通じてビジネス上のモラルや倫理的な要素が強くて、大企業の経営にも強い慈善の原則が横たわっていたようで、テイラーの当初の主張は、効率性の向上がすべての改善につながり、経営の主要な目的は、雇用者の最大の繁栄を確保し、おのおのの従業員の最大の繁栄と一致させることであると社会主義的な視点と同じであったと言うのである。
   生産性の向上は社会も向上させると一時は信じていたようだが、科学的管理法が、コストを下げて低価格を可能にして、より多くの売り上げと大きな利益を可能にすると、競争が熾烈化して、一挙に無邪気で楽観的な思想も跡形もなく吹き飛んでしまったのである。

   クレイナーは、20世紀後半に脚光を浴びたリエンジニアリングについても、この科学的管理法と同じで、仕事生活や企業の業績を上げるよりも、むしろ人員削減に結び付いたと言っている。
   冒頭に述べたように、イノベーションも生産性向上も、良かれとして実施される多くの良きことが、正に、両刃の剣であって、それを扱う人間の倫理や思想次第で、毒にも薬にもなると言うことであろうか。
   
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