熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

北京故宮博物院展・・・西太后と溥儀の遺産

2006年09月07日 | 展覧会・展示会
   25日まで、日本橋高島屋で、清朝末期の宮廷芸術と文化と銘打って「北京故宮博物院展」が開かれている。
   西太后が、政を行ったと言われている「垂簾聴政の間」の正面部分の復元があり多少雰囲気は分かるが、やはり、北京の紫禁城に入ってその豪華さを見ないと誤解を招くような気がする。

   私が、故宮博物院、即ち、紫禁城を訪れたのは、1980年で、中国が少し門戸を開いて外国企業との合弁事業を始めた時期で、中国が極めて貧しい時代であった。
   しかし、その時でも、整備は不十分だったが、紫禁城の規模とその豪華さ、素晴らしさには感嘆して、2日間通い詰めて場内を歩き続けた。
   (名誉の為に言っておくと、遊びに行ったのではなく、北京政府との交渉が相手任せで何日も待機させられての時間つぶしであった。)
   城内は自由に何処へでも行けた記憶があるが、展示物や財宝はすべて台湾に向けて運び出されたので、殆どめぼしい物は残っていなかったが、それでも、展示されていた共産革命後に発掘された殷等の古代遺跡からの青銅器など、その精巧さと芸術性の高さにビックリした。
   先年、上海を訪れた時に、博物院に出かけて中国の歴史的芸術品や文化遺産を見てきたが、その質の高さには恐れ入った。とにかく、中国の文化遺産は桁違いだと言う気がしている。
   
   しかし、やはり本当の中国の文化遺産を見るためには、台北の故宮博物院を訪れるに限る。
   蒋介石が、中国から退却する時に、北京の故宮博物院の文物を運び出したのだが、撤退の途中に散逸して、実際に台北に持ち込まれたのは半分以下だと言われているが、しかし、それでも、そのジャンルの豊かさと質の高さは、恐らく世界の博物館でも屈指だと思われる。
   驚異的な作品が多いが、今でも、球形の象牙を刳り抜いて、内部に何層もの複雑な彫刻をあしらった立体的な装飾品など、何故あんなに驚異的な作品が生まれ出たのか今でも不思議で仕方がない。
   日本の芸術・美術作品も素晴らしいが、中国のそれは、又、驚異的なのである。

   あの北京原人の骨も、日本軍が移送の途中に東シナ海の藻屑と化したと聞いているが、戦争は、芸術や美術品の壮絶な争奪戦で、特にナチスドイツとスターリンロシアの攻防は言語を絶している。
   今でも、行方不明のドイツやユダヤ人の美術品や文化遺産がロシアで日の目を見ることがあるが、戦争で消えていった人類の貴重な文化遺産は数限りない。
   この故宮博物院の文物もそんな数奇な運命を辿って来たのである。

   ところで、肝心の今回の展示会であるが、国宝級の陶磁器が3点程度あったが、総体的に豪華さはあるが、芸術性の高さは殆ど感じられず、西太后と溥儀に縁や関連のある文物が展示されていると言うことであろう。
   念の為に、故宮博物院のホームページを開いて見たが、その質の高さは相当なものの様である。

   西太后関係の遺物が多いので、豪華な后妃級の衣服や髪飾り、装飾品、化粧道具、靴など女性用の面白い作品が展示されている。
   流石に、后妃の正装用の衣服は豪華で、デザインの卓抜さと装飾の豊かは素晴らしく今でも光り輝いている。
   溥儀はラストエンペラーの映画でお馴染みで、英国製の自転車や金糸眼鏡、映写機、おもちゃ等実際に使った身近なものが並べられていて興味深い。
   それに、まだ、百年程度の時間間隔なので、西太后や溥儀、それにその当時の紫禁城などのモノクロ写真が随所に展示されていて大変参考になる。
   パラシュート効果を狙った百貨店の展示会にしては、最近では、珍しいほど充実したものであることには間違いなかろう。
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