熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ディズニーランドがスリランカに

2022年11月02日 | 経営・ビジネス
   Newsweekが、「世界7カ所目のディズニーランドがスリランカに? その背後に「中国の影」が」と報じている。
   経済危機に見舞われたスリランカで、南アジア初となるディズニーランドの誘致計画が明らかに。同国の観光産業の「復活」に期待が集まる、スリランカの観光業はかつてGDPの12%以上を占める巨大産業だったが、新型コロナのパンデミックで大打撃を受け、それが経済危機勃発の一因にもなった。世界的に渡航制限の緩和が進むなか、スリランカに南アジア初のディズニーランドが開園すれば、観光業復活に向けた強力なカンフル剤となる。と言うのである。
   ところが、気掛かりな点は、テーマパークの建設候補地の1つは南部の港町ハンバントタで、この町の港は中国の巨大経済圏構想「一帯一路」による融資を受けて建設されたが、債務返済が行き詰まり、港湾の運営権は実質的に中国に明け渡されている所であることである。
   万が一、実現できたとしても、中国の植民地になるだけかも知れない。

   ところで、世界でディズニーランドがあるのは、アメリカのカリフォルニアとフロリダ、パリ、東京、上海、香港の6カ所で、豊かな先進国か、巨大な消費市場をバックにした中国以外にはなく、貧困国であり経済崩壊の危機に瀕しているスリランカに、最先端の技術とノウハウを凝縮した総合テーマパークの建設など、どんなに考えても、常軌を逸したプロジェクトとしか思えない。
   今、前のディズニーのCEOであったロバート・アイガーの「ディズニーCEOが実践する10の原則」を読み始めたところで、冒頭で上海ディズニーランドのオープン直前の苦労話を披露しているのだが、事業の経営にはシビアーなディズニーが、いくら中国のバックアップが望めるとしても、まず、実現可能なのか、採算的に合うのかどうかなど、このスリランカのプロジェクトにどんな経緯で乗ったのか、大いに疑問である。
   
   さて、私が、ディズニーランドを訪れたのは、、1972年フィラデルフィアからフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートに行ったのが最初で、次に、1974年にブラジルへの赴任途次に、カリフォルニア、
   1980年代後半にパリ、東京へは何度も訪れている。
   フロリダの方は、留学時代にフロリダへの学生旅行に加わって偶々行ったのだが、他は、娘や孫たちのお供で、歳を取ってからは、ディズニーランドには縁がなくなった。
   東京のディズニーランドでは、人気の高い乗り物やアトラクションなどは人が一杯で、大変だったが、米国やパリでは、そうではなかった。
   パリなどは、お城など綺麗な建物は国中何処にでもあって、それに、本物の芸術の国であるから、擬似的で偽物の米国文化にはそぐわないのか、ガラガラで、夜のパレードなど一等席に座ってゆっくりと楽しめた。
   今は、時代が変ったので分からないが、とにかく、世界の観光地が、人人人で溢れかえっている現状を見れば、孫達も、頻繁にディズニーランドに行っているのだが、苦労しているのだろうと思っている。

   遊園地や観光地に行くのもそうだが、今、歳を取って思うのは、若いときに苦労しながらも、良く、行くべき所へは行って、見るべきものは見たなあと言うことである。
   孫の幼稚園への送り迎えがあって、何日も休日を取るわけに行かなかったので、延期していたニューヨークでの芸術行脚とフィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーへのアメリカ旅行だったが、コロナ続きとアジア人へのヘイトクライム、インフレと円高での旅費高騰、それに、傘寿を超えての健康不安、
   今では、何となく諦め気分となっている。

   その代わり、目を瞑れば、世界中の思い出や芸術的な風景が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
   今も、手元に、シェイクスピアとレオナルド・ダ・ヴィンチの本を積み上げて、ページを繰りながら、懐かしい芸術行脚を回想している。
   また、楽しからずやである。
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