熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

最初はポンペイに入れなかった

2022年10月09日 | 海外生活と旅
   今日、先日録画した「ヨーロッパ街角󠄂中継 4Kで旅する永遠の都・ローマ」を観ていて、イタリア旅行のことを思い出した。
   私の場合、イタリアには何度か行っているが、出張の時も個人旅行の時も、自分ですべて手配して旅をしており、最初の頃は家族旅行であったので、予定通りに行かなかったり、失敗することが多かった。
   
   番組を観ていて、まず、思い出したのは、ポンペイである。
   はじめてポンペイに行ったのは、1973年12月。
   行ったと言っても、入り口までである。

   これは、フィラデルフィアで勉強していた時で、フランスからの留学生がクリスマス休暇で里帰りにチャーターしたパリ往復パンナム便に空席が有り、格安チケットが手に入ったので、ヨーロッパ旅行をしたのである。
   確か2週間ほどだったと思うが、パリからローマ、ウィーン、ザルツブルグ、アムステルダムを、ユーレイルパスで移動した。
   そのイタリア旅行の途次に、ナポリからポンペイに向かったのである。

   ローマから正午頃に、ナポリについて、ホテルにチェックインした。
   そこまでは良かったのだが、昼時であったので、軽い昼食と思って、ホテルのレストランに入って、何を注文したのか忘れてしまったが、待てど暮らせど中々食事が出てこず、食事が終ったのは、2時をはるかに回ってしまっていた。
   急いで、駅に行ったが、予定の列車などとっくに出てしまっており、良く分からないままに、直近の汽車でポンペイに向かった。
   ようよう遺跡に着いたが、太陽が燦々と照っていて、結構早い午後であったが、もう、閉館になって入れなかった。

   その当時、ウォートン・スクールの「國際ビジネス」の講義で、フランクリン・ルート助教授から、授業の冒頭で、「TIMEとPLACE」に関して、世界中で、考え方や対応の仕方など認識が大きく違っていて、これの理解を誤ると、大変な失敗をすると教えらた直後であったので、ショックであった。
   「一寸昼食を」と2~30分程度で終る東京の街角と違って、悉くスロースローで時間感覚のないイタリア、それも、頼りにならない南部イタリアで、日本人感覚で旅を始めたのが間違いだったのである。
   その後、再びポンペイを訪れて、ポンペイ見物を経験できたが、開園時間などいい加減なので、この時は念入りにチェックして早く出かけた。

   今回、この番組を観ていて、ビックリしたのは、もう半世紀も前になるのだが、あの当時は、まだ発掘が初期段階であったので、遺跡も全貌を現していなかったが、この口絵写真を見ると、ポンペイの街全体が現われているようで、今昔の感である。

   何故だか、理由が思い出せないが、フォロ・ロマーノも、3回目のローマ訪問で、やっと見物できたのを覚えている。

   時間感覚で、日本と根本的に違うのは、鉄道のタイムテーブル。
   クックの時刻表を念入りにチェックしても、この時間通りに発着するかどうかは、極端に言えば、その日にならなければ分からない。
   数分遅れても、お詫びのアナウンスを流す日本など、いわば、世界標準では、天然記念物なのである。

   後には飛行機に代えたが、当初はイタリア国内移動は、鉄道にしていたので、その苦い思い出を過去のブログを引用しながら書いてみると、

   最初の旅は、半世紀も前の前述の旅であり、殆ど記憶から消えてしまったのだが、ローマだったかフィレンツェだったか、始発のローカル列車だったと思うのだが、大幅に遅れて、プラットフォームも変わってしまって、大慌てしたのを覚えている。
   駅の放送がイタリア語なので殆ど理解できなくて、駅のサインボードもコロコロ変わり、本来のプラットフォームで待っていても、一向に列車がくる気配がない。
   目的の列車のアナウンスらしきものに気付いたけれど、イタリア語なので分からなかったのだが、ホームの端にいた尼さんグループが走り出してホームを移動したので、とにかく、ケースを引っ張って娘を抱えて後を追った。
   幸い、目的の列車だと分かったのだが、発車寸前なので、急いで飛び乗った。
   一番後ろの車両だったので、予約席はずっと前方である。
   どうして移動すれば良いのか、分からなかったのだが、とにかく、日本方式に、車内を移動しようと思って、少しずつ歩き始めたのだが、列車が長くて、途中に貨車風の列車があって、開けっ広げの戸口から放り出されないように、必死になって前に進んだのだけは鮮明に覚えている。

   もう一つの鉄道の旅の失敗は、21世紀に入ってからのイタリア旅の思い出で、アッシジからシエーナへ移動した時に、これも、乗り継ぎ駅で列車が異常に遅れて、次の列車を待っていては間に合わなくなるので、案内所で聞いて、ローカルバスで次の乗換駅に行くことにした。
   ヒマワリが咲き乱れ、のぞかな葡萄畑を眺めながら、緩やかに起伏するイタリアの田舎のバス旅も悪くはないのだが、とにかく、のんびりした田舎のおんぼろバスのことであるから、何時着くかこの方が心配になって後悔したが後の祭りであった。
   駅に着くと、丁度列車が走り込んできたので、とにかく、乗ろうと行き先を確認せずに、発車寸前の列車を止めて乗り込んだ。
   しかし、この列車が反対方向の列車だった。仕方なく、次の駅で、対向する列車を待とうと下りたのだが、全く廃墟のような無人駅で、駅横には、放置された工場跡があるだけで、駅前には何もなければ誰もいない。
   一人だけ、鄙にも稀れな可愛い女の子が降りたのだが、お母さんが迎えに来ていて、去って行くと、静まり返ってしまった。
   地図も何もなく、何処にいるのかさえも分からない状態で、イタリアの廃墟の様な田舎駅には時刻表もある筈がなく、いつ来るのか分からない列車を待つ不安。
   2時間近くも待ったらやっと反対方向からローカル列車が来たので、ほっとして乗って、随分遅れてシエーナに着いた。
   この日は、あの有名な競馬パリオの当日であった。

   列車数が極端に少なくて乗り継ぎを何度も繰り返すイタリアのローカル鉄道で旅程を組んだのが間違いで、その上に、もっと頼りにならないローカルの路線バスに乗り換えるなど、今考えれば愚の骨頂だが、日本感覚でイタリア旅を緩行したので自業自得、
   何が起ころうとも、ケセラセラ、そんな大様な気持ちで、脱線旅行を厭わないスロートリップがイタリアには似つかわしいのかも知れない。

   ハチャメチャのイタリア旅行の思いでは五万とあって、思い出すのも嫌になることが多いのだが、
   しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチの国であり、ダンテの故郷であり、限りなき憧れの国であり、体が持てば、また、行きたいと思っている。
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