熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本酒はなぜ4合瓶なのか?

2023年01月15日 | 経営・ビジネス
   日経のNIKKEIプラス1に、「日本酒なぜ4合瓶? 一升の半分にしなかった理由と歴史」と言う記事が掲載された。

   先日、渡辺 順子著”「家飲み」で身につける 語れるワイン”のブックレビューで、
   ワインボトルが750㎜lなのはギリシャ戯曲が由来だという逸話を紹介した。ので、まず、ワインボトルから始めたい。
   詩人エウブロスが書いた戯曲の一説で、ディオニュソスに、節度を保つためにはグラスに3杯まで、1杯目は健康に、2杯目は愛と喜びに、3杯目は良い眠りに、賢い客はここで家に帰る。(それ以上は、きちがい水?)と言わしめていて、これは、二人で3杯ずつ飲める適量であり、それが750㎜lだと言うのである。
   ところが、この記事では、仏ボルドー地方から多くのワインが英国に輸出されていたが、容量の単位はフランスがリットル、英国はガロン。英国の1ガロンは約4.5リットル。1本750ミリリットルなら、1ダース(12本)輸出する場合はちょうど2ガロン(約9リットル)となる。ボルドー地方のワインだるは225リットルで、750㍉㍑のボトルが300本製造可能。計算や取引も楽だ。もう一つは職人の肺活量に関係する。米メディアによると、かつて吹きガラス職人が手作業でボトルをつくっていた際、一般的な職人がひと吹きで吹ける大きさが750㍉㍑前後だったという。のである。
   ガラス職人の肺活量は兎も角、英仏の実利的な貿易だから、この説の方が現実的だと思うが、これは近代の話であって、それでは、ギリシャ時代からそれまではどうだったのかと言うことで、ギリシャ説の方が味があって面白いと思っている。
   ヨーロッパでいくらか買い揃えたデカンターも、すべてワインボトル1本分なので、いずれにしろ、750㎜lは、デファクトスタンダードなのであろう。

   それでは、「日本酒はなぜ4合瓶なのか」である。
   日経の図表を借用すると次の通りである。
   

   酒文化研究所(東京・千代田)の狩野卓也さんは「売り手の都合が大きいのでは」とみる。一つは価格。酒蔵からすれば、小さい商品の販売にはコストがかかり、一升瓶の半分の容量を半値に設定するのは難しい。消費者にとって分かりやすい半値で売るためには「4合瓶がちょうどよかった」。と言うことであるが、
   私は、これに、信長以降頻繁に入っていたワインの750㎜l瓶に倣って、720㎜lの瓶が標準化したのではないかと思っている。
   先日気づいたのだが、日本のワインの瓶が日本酒に倣ったのか、720㎜lの瓶になっているのが、日本気質を表しているようで興味深いと思った。


   私は、家飲みはワインから始まったので、日本酒もこの720㎜lの小瓶の方で、重宝している。
   ワインも同じように、一回、200cc程度に抑えているので、晩酌と言えるほどの量ではないのだが、気分転換にはなっている。

   萩や備前のぐい飲みを愛用しているが、冷酒で飲むことが多くなったので、ボヘミアンやフレンチのグラスに代えることもあって、ワインやコーヒー同様に、器を代えて雰囲気を楽しんでいる。  
コメント
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