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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場十二月歌舞伎・・・「仮名手本忠臣蔵」

2010年12月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   やはり、年末の舞台は、忠臣蔵である。
   昨夜も民放で、田村正和主演で「忠臣蔵.その男、大石内蔵助」が演じられていたので楽しませて貰ったが、オペラのカルメンと同じで、これさえ演じておれば客が入ると言うスタンダード・ナンバーなのだが、何故か、最近は歌舞伎人気が下火なのか、国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」にも空席が目立った。
   幸四郎、染五郎の高麗屋父子、福助たちの素晴らしい熱演の舞台であったのに、一寸、残念な気がした。

   今回は、三段目の「足利館松の間刃傷の場」から四段目「塩谷判官切腹の場と表門城明渡しの場」、それに、お軽・勘平の「道行旅路の花婿」七段目の「祇園一力茶屋の場」、終幕の十一段目の「討入から引揚げ」と言ったダイジェスト版であったが、それなりに楽しめた。
   私の好きな九段目の「山科閑居」がなかったり、七段目の茶屋場の前半部分を大きく割愛するなど、多少、不満はあったのだが、今回の舞台では、初役だと言う幸四郎の高武蔵守師直と染五郎の塩谷判官高定に大いに期待して出かけたので、二人の素晴らしい芝居を楽しめて満足であった。
   
   この師直と言う極めてユニークな悪役が、忠臣蔵の悲喜劇のすべての発端なのだが、その塩谷判官苛めの動機が、真実はともかく、映画(私が見たのは片岡千恵蔵の忠臣蔵)や先のTVでは、賂・賄賂としての浅野家の進物が貧弱であり過ぎたことで、この歌舞伎や文楽の世界では、進物の品定めに加えて、浅野内匠頭すなわち塩谷判官の妻顔世に懸想して振られた腹いせと言うことになっている。
   全くお粗末極まりない話なのだが、これが、太平天国で惰眠を貪っていた世に一石を投じて、江戸市民を熱狂させたと言うのだから面白い。
   今でも国会喚問とかで騒がれている政治家がいるのだが、江戸時代には、この賄賂・賂の風潮は常態と言うか非常に激しかったようで、武士は食わねど高楊枝などと言うのは、清廉潔白な下級武士の世界だけであったようである。

   さて、師直が塩谷判官をいたぶるシーンは、昨夜のTVでも映画でも、供応接待の作法教授への遺恨による松の廊下での刃傷直前である。
   歌舞伎や文楽では、松の間で、判官が遅参したので機嫌を損ねた上に、求愛の歌を渡して色好い返事が返ってきたと思っていそいそと読んでみたら、横恋慕の相手の当の夫の前で、「恋はかなわぬ」と言う「古今和歌集」の歌の返歌を読まされたのであるから、辱められたと激昂した師直は、悪態の限りを尽くして、判官を罵倒する。
   最初は、嫌がらせにじっと耐えていた判官も、「鮒侍」と罵られ、罵詈雑言と嫌がらせに、遂に堪忍袋の緒が切れて、御法度の禁を犯して切りつける。

   この松の間刃傷の場は、殆ど、師直と判官との熾烈を極めた心理劇なので、この二人の対決が総てなのだが、私は、年齢的にも芸歴の軌跡から言っても、この幸四郎と染五郎のキャストは、今まで見た中でもベストだと思っている。
   仁木弾正と言った舞台は別にして、格式は高い高貴な身ではあるもののこのような品性下劣な悪役には、比較的縁の遠かった幸四郎の師直だが、セリフ回しと言い、判官を追いつめて怒り心頭に煽り込む話術とアクションの確かさは抜群で、実に素晴らしい師直で感心して見ていた。
   しかし、胸がむかむかするほど頭に来て、次から見るのも嫌になるのが師直像だが、芸に感動しながらも、何故か、不思議にも嫌味のない実に後味の良い師直を見た思いであった。
   リアリズムに徹するのも良いのであろうが、歌舞伎では、乞食でも錦の衣装を着て見せる芝居であり、虚実皮膜と言うか、このように、芝居そのものの精神やストーリーを損なわずに、美しく感動的に見せる芸の世界を見せて貰った思いであった。

   染五郎の判官は、正に、水も舌たる純粋無垢と言うか匂い立つような素晴らしいお殿様で、これが、悪辣で業突く張りの師直に、徹頭徹尾苛め抜かれて、耐えに耐えて忍従の限りを尽くしながらも、遂に耐え切れずに刃傷に及ぶと言う悲劇を、心の起伏を、動作を抑えに抑えて、顔の表情に凝縮させて演じており、正に等身大の熱演であった。
   後の切腹の場も、実に凛々しく、同じく初役だ言う勘平のお軽との道行も実に優雅であったが、近い将来、五段目の山崎街道や六段目の与一兵衛住家の勘平の素晴らしい舞台を期待したい。
   
   茶屋場での幸四郎だが、何度も見慣れている舞台なので、多少、見る方の私にはマンネリ気分だが、今回は、この舞台は、冒頭の敵を欺くための祇園での遊蕩シーンなど伏線部分を全部端折って、九太夫と伴内との会話、顔世御前からの手紙を読み始めるシーンから始めていたので、どっちつかずの芝居になってしまって一寸感興がそがれてしまった。
   しかし、この茶屋場でもう一つ重要なのは、後半の寺沢平右衛門(染五郎)と妹お軽(福助)兄弟の物語であろう。
   夫勘平を一途に思いながら、夫の仇討参加の資金工面のために苦界に身を沈めたお軽が、必死になって勘平の消息を聞き出そうとするが、割腹して果てたとは言うに言えない兄平右衛門の苦しい心情と頓珍漢な会話が一服の清涼剤で、二人にとっても既に立派に持ち役になった役柄であるから、呼吸の合った泣き笑いの兄弟愛がよく滲み出していて面白い。
   玉三郎の優雅さや妖艶さ(?)とは、或いは、芝雀の初々しい可憐さとは、一寸変わった福助のお軽ではあるが、夫を思い兄に殉じようとする一途な心情がよく出ていて、何のてらいもないオーソドックスな正攻法の演技が胸を打つ。
   判官切腹後の沈んだ渋い顔世を演じていたが、落差の激しい二役を無難にこなしていた。

   ところで、この赤穂藩士の討入だが、大石始めとした重臣は別として、殆どが下級武士で、足軽である寺坂平右衛門などはその典型だが、昔から「金持ち喧嘩せず」の喩があるごとく、人間少し豊かになると、失うものが多くなるので、不甲斐なくなる。
   丁度、今の日本の状態が正にそれであろうが、悲しいかな、革新の気風がどんどん削がれて行く。
   坂の上の雲を見失った悲劇なのかも知れない。
   
   また、赤穂取り潰しは、吉良上野介は引き金を引いただけで、大石たちが率先して進めていた塩ビジネスの巨大な利権を、面白く思わなかった柳沢吉保など幕府の政策意図が濃厚に反映した事件とも言われており、権力を握っていた役人・侍の腐敗が、赤穂事件として現れ出たのが、非常に興味深い。
   
コメント
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