今夜、久しぶりに、クラシック音楽演奏会で感激した。
若い頃や欧米で暮らしていた時には、殆どひっきりなしにコンサートやオペラに通っていたが、この頃はあまり行かなくなって、東京文化会館での都響の定期くらいになってしまったのだが、今夜は、珍しく、ロシアのピアニスト・ニコライ・ルガンスキーの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聞いて感激して、久しぶりにヨーロッパの色々な風景や思い出が蘇って来て懐かしくなった。
私は、好きなので、クラシック音楽のコンサートやオペラには、超一流と言われるものには、手当たり次第に通い詰めてはいたので、数だけはこなしているのだが、この方面の知識や素養は殆ど皆無で、感性だけで聴き込んでいて、良いとか悪いとか楽しいとか面白くないとか、その時々に感じて満足していると言った方が正確かも知れない。
しかし、いずれにしろ、今夜は、ルガンスキーのリリシズムの極致とも言うべきロマンチックで情熱的で、どこか陰のある愁いに満ちた素晴らしく澄んだピアノの音色に、感に打たれてしまったのである。
熱狂的な聴衆の拍手に応えて、何のてらいもなく弾き出したアンコール曲のショパンの幻想即興曲が、また、感動的でたまらないほど美しい。
ロシアの偉大なピアニストの系譜を継承する次なるピアニストと呼ばれているようだが、私が何度かコンサートに出かけたのは、リヒテルとギレリスだけなので良く分からないが、やはり、ヨーロッパでも人気が高いようである。
この日の演奏会は、都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任した若きチェコの指揮者ヤコブ・フルシャの溌剌としたエネルギッシュな指揮で、他に、リストとマルティーヌなどの東欧の音楽であったが、非常に興味深いコンサートであった。
ところで、ショパンのこのピアノ協奏曲は、昔、ルービンシュタインのレコードを良く聞いていたが、最初のコンサートは、確か、中村紘子さんのピアノでワルシャワ・フィルであった。もう、何十年も前のことである。
その後、1番か2番か定かではないが、外国で何度か聴いた記憶がある。
と言うのは、ショパンの曲を聴くと、何故か、走馬灯のように、私自身があっちこっち歩き回ったヨーロッパの風景や思い出が湧き出て来るので、その記憶があるからである。丁度、小学唱歌を聞くと無性に昔が懐かしくなるように、ショパンのあの独特のメロディーが、転変の激しかったヨーロッパでの生活の思い出の数々を触発するのかも知れないと思っている。
ウィーンやベルリンと言ったコンサートではなく、何となくいつも通っていた定期公演のような気がするので、フィラデルフィア菅、コンセルトヘボー菅、ロンドン響、或いは、フィルハーモニア菅かも知れないが、ヨーロッパでのどこかでのような気がする。
何故か、ピアニストが誰だったのかも思い出せないが、特に、大ピアニストの演奏会を目がけて行ったのではないと思う。
私は、ヨーロッパで生活していたので、音楽家の故郷や故地を結構歩いたのだが、残念ながら、ポーランドには、ついに行けなかった。
ショパンの故地では、パリと、それに、ジョルジュ・サンドと一時暮らしていたマジョルカ島を訪れているが、マジョルカでは、記念館で、ショパンが使っていたピアノを見て、偉大な音楽家を偲んでいた。
パリに移ってからは、サンドのような女傑と恋に落ちたようだが、ショパンの二つのピアノ協奏曲は、初恋の人コンスタンツィアを想いながら書いたポーランドとの告別の曲だと言うことで、余計に抒情的で情熱的で愁いに満ちているのであろうか。
若い頃や欧米で暮らしていた時には、殆どひっきりなしにコンサートやオペラに通っていたが、この頃はあまり行かなくなって、東京文化会館での都響の定期くらいになってしまったのだが、今夜は、珍しく、ロシアのピアニスト・ニコライ・ルガンスキーの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聞いて感激して、久しぶりにヨーロッパの色々な風景や思い出が蘇って来て懐かしくなった。
私は、好きなので、クラシック音楽のコンサートやオペラには、超一流と言われるものには、手当たり次第に通い詰めてはいたので、数だけはこなしているのだが、この方面の知識や素養は殆ど皆無で、感性だけで聴き込んでいて、良いとか悪いとか楽しいとか面白くないとか、その時々に感じて満足していると言った方が正確かも知れない。
しかし、いずれにしろ、今夜は、ルガンスキーのリリシズムの極致とも言うべきロマンチックで情熱的で、どこか陰のある愁いに満ちた素晴らしく澄んだピアノの音色に、感に打たれてしまったのである。
熱狂的な聴衆の拍手に応えて、何のてらいもなく弾き出したアンコール曲のショパンの幻想即興曲が、また、感動的でたまらないほど美しい。
ロシアの偉大なピアニストの系譜を継承する次なるピアニストと呼ばれているようだが、私が何度かコンサートに出かけたのは、リヒテルとギレリスだけなので良く分からないが、やはり、ヨーロッパでも人気が高いようである。
この日の演奏会は、都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任した若きチェコの指揮者ヤコブ・フルシャの溌剌としたエネルギッシュな指揮で、他に、リストとマルティーヌなどの東欧の音楽であったが、非常に興味深いコンサートであった。
ところで、ショパンのこのピアノ協奏曲は、昔、ルービンシュタインのレコードを良く聞いていたが、最初のコンサートは、確か、中村紘子さんのピアノでワルシャワ・フィルであった。もう、何十年も前のことである。
その後、1番か2番か定かではないが、外国で何度か聴いた記憶がある。
と言うのは、ショパンの曲を聴くと、何故か、走馬灯のように、私自身があっちこっち歩き回ったヨーロッパの風景や思い出が湧き出て来るので、その記憶があるからである。丁度、小学唱歌を聞くと無性に昔が懐かしくなるように、ショパンのあの独特のメロディーが、転変の激しかったヨーロッパでの生活の思い出の数々を触発するのかも知れないと思っている。
ウィーンやベルリンと言ったコンサートではなく、何となくいつも通っていた定期公演のような気がするので、フィラデルフィア菅、コンセルトヘボー菅、ロンドン響、或いは、フィルハーモニア菅かも知れないが、ヨーロッパでのどこかでのような気がする。
何故か、ピアニストが誰だったのかも思い出せないが、特に、大ピアニストの演奏会を目がけて行ったのではないと思う。
私は、ヨーロッパで生活していたので、音楽家の故郷や故地を結構歩いたのだが、残念ながら、ポーランドには、ついに行けなかった。
ショパンの故地では、パリと、それに、ジョルジュ・サンドと一時暮らしていたマジョルカ島を訪れているが、マジョルカでは、記念館で、ショパンが使っていたピアノを見て、偉大な音楽家を偲んでいた。
パリに移ってからは、サンドのような女傑と恋に落ちたようだが、ショパンの二つのピアノ協奏曲は、初恋の人コンスタンツィアを想いながら書いたポーランドとの告別の曲だと言うことで、余計に抒情的で情熱的で愁いに満ちているのであろうか。