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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

榊原英資著「大転換 世界を読み解く」・・・例えば労働格差の問題

2008年08月29日 | 政治・経済・社会
   「大転換 パラダイムシフト」は、榊原英資教授の最新刊だが、書下ろしではなく、主に、藤原書店の総合文芸誌・季刊「環」に最近5年間に掲載された評論を纏めて集録された本なのだが、日頃の経済関係の書物よりも、間口が広くて、榊原文明論的な色彩が強い。
   タイムラグの所為で、多少、アップ・ツー・デイトでないところはあるが、国際金融から世界経済、アジアから日本をテーマに、丹念に資料を集めて、大上段に振りかぶって史観や文化・教育など文明論を展開していて面白い。
   考え方は、同じアメリカで教育を受けた市場原理主義に近い竹中平蔵教授とは違って、アメリカの民主党的なインテリ層に多いリベラル派に近く、
   それに、インドや中国への接触が強くなっていることもあってか、西の欧米から東の中印などアジアへの力のシフトを強調している。

   今、オバマ候補が独占資本や金持ち優遇のブッシュ経済政策が、アメリカの格差社会を極めて深刻な状態に追い込んだと糾弾しているが、榊原教授は、今回のグローバリゼーション下での貧困の増大と格差拡大は、かっての19世紀のそれとは大きく様相を異にしていて、成長よりも平等に軸足を置いた格差是正は官の仕事であることを強調している。
   アメリカでは、総世帯の上位5%が、全米の富の60%を支配していて、残りの95%は、「貧困層」か「おちこぼれ」だと言うことだが、ジニ係数が益々悪化して、この所得の不平等は、中国とほぼ同様で、ロシアより良いがインドより悪いと言う。
   オバマは、全労働者世帯の95%に減税を実施し、果敢な労働の海外流出防止措置をとるなどアメリカを支えている庶民の生活を守ると宣言した。

   ところで、経済成長が格差是正に効果があると言う見解だが、確かに、戦後の経済成長期以降、日本の急速な経済成長は、国民の経済水準を底上げして、一億総中流化などと言う現象を出現させた。経済活動そのもの、特に、労働が、国境で守られていたからである。
   しかし、時代はパラダイムシフトで様変わり。経済成長を加速すれば、格差問題が解消するとしていた小泉・安倍政権の市場原理主義的な発想に立った規制緩和(?)と公的セクターの民営化政策などは一向に役に立たなかった。
   最早、市場に任せるのではなく、政府が、格差解消の為に、積極的に修正、是正措置を取らなければ問題は解決しないと主張する。

   今日のグローバリゼーション下においては、世界全体がフラット化してしまっているので、自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化コンピュータ化、オートメーション化されるような仕事をしているようなサラリーマンは無用となり、忽ち、同じ仕事をしている新興国ないし最貧国のワーカーに取って代わられてしまうか、賃金がその水準まで下落してしまうである。
   普通のサラリーマンでさえこの状態であるから、バブル崩壊後、職に就けなかった新卒者が、フリーターとして世に出て、十分な知識や技術を身に付けずに労働市場で働いている為に、非正規労働者であると言う以前に、グローバリゼーションの結果、要素価格平準化原理が働いて、最貧国の同じ程度の労働者と同程度の収入しか得られないので、ワーキング・プアーにならざるを得ないのである。   

   先進国アメリカにとっても、或いは、日本にとっても、アッパークラスはどんどん豊かになって行くが、益々貧しくなって行く取り残された底辺の労働者を支える為には、産業構造の高度化や、教育訓練によって労働者の質を向上させるなど、新興国と差別化して、その先、その上を行く産業ないし労働政策を打つ以外に道はない。
   極論すれば、バー・コードをなぞっているだけの店員やワーキン・プアー状態にあるフリーターに、知識と技術をつけて、中国人やインド人以上の能力を持った働き手にしない限り駄目だと言うことである。
   円周率πを、3.14ではなく3と教えたゆとり教育の犠牲による著しい教育の劣化と世界レベルからの目も当てられないような知的水準の低下が、更に難しさに拍車をかけている。
   最低賃金を上げればよいと言う短絡的な議論があるが、国際競争に勝てなくなるので、忽ち、機械に置き換えられて職から放逐されてしまう。

   榊原教授は、差別化する為にも、猿まねのアメリカ化やデジタル化ではなく、日本古来の永い文化や伝統に培われて育まれて来たアナログな技術やサービスにこそ活路を見出すべきだと強調する。
   しかし、ハイセンスで、クリエイティビティの時代となった今日、高度で創造的で、差別化出来るような知識や技術を要求されるなどハードルが高くなり、労働環境は益々高度化して来ている。容易に解決策が出るような問題ではないのである。

   体力が落ちて疲弊している民間だけでは到底無理な仕事であり、国家の敢然たる長期戦略と行動が必須であろう。
   しかし、お粗末極まりない厚生労働省なり、榊原教授が廃止を唱えている文科省の担当だとするならば、どうすれば良いのであろうか。
   
   極論、暴論を覚悟で言わせて貰えば、仮に、天下り先の特殊法人なども含めて総ての公務員の仕事を、民間企業並みに、門戸をグローバル市場に開放して市場原理に曝すとすれば、相当部分は駆逐され、多くのワーキング・プアー公務員が排出されることは間違いない筈である。
   決死の覚悟でグローバル競争に鎬を削って戦っている輸出産業と比べて、まだまだ、日本の内需産業は、国際競争に曝されていない分、甘さが残っているが、これら総ての残滓が日本のグローバル競争力を削いでいると言わざるを得ない。
   ローマが永遠でなかったように、日本が、新しく蘇れなければ、下降の道を辿るだけであり、如何に大切な十字路に立っているかが良く分かる。

   私自身は、弱者に対する十分なセイフティネットを張ることを前提に、根本的な経済社会の構造改革を図って、イノベーション立国を志向した成長戦略を大胆に進める以外に日本の将来はないと思っている。
   政治も経済も、お粗末な迷走を続けている余裕などないのである。
   
   
コメント
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