1980年に倒産している吉野家にとっては、2003年12月狂牛病による米国産牛肉の輸入禁止は、正に、生死を分けた天王山。
牛丼単品で、800万人の顧客を相手に15%の営業利益を上げていた超優良企業にとって、米国産牛肉が手に入らないと言うことは、肝心のウリモノの牛丼の原材料の供給が完全にストップすることで、営業継続が可能なのかどうか死活問題である。
全店の在庫とシッピング途中の牛肉をかき集めれば何時まで営業が出来るのか、応接室を緊急対策本部に切り替えて、常務役員が担当業務の問題点を洗い出し、休みなしの社風が幸いし、危機突破作戦に没頭したと言う。
ここで、素人の私に興味深いのは、米国産の牛が駄目なら、オーストラリアでもアルゼンチンでも安い肉はどこにもあるのだから、それに切り替えれば良いじゃないかと思うのだが、吉野家は断じてアメリカ産の牛肉でないと駄目だと言うことである。
アルゼンチンもブラジルもオーストラリアも、そのブレンドも、あらゆる肉を使って試みたが米国産牛肉100%の牛丼と比べれば、味が劣化して、吉野屋の完璧なレシペを満足出来なかったので、牛丼を休止して、そのかわり、代替品に切り替えて営業を続けることを決断したのである。
吉野家の牛丼のこだわりとして、安部社長が説明したのが、この口絵写真だが、肉は、生産量の安定している米国産牛肉を原料から製品まで一元管理しており、牛肉のスライスは0.1ミリ単位でコントロールしている。
たまねぎ一つにしても、糖度が違うと味のバランスが狂ってくるのでコメやたれなどを含めて細心の注意を払って調整すると言うことで、吉野家の究極のレシペを少しでも外れたり、従来のサービスをミスったりするとお客は満足しないのだと言う。
たかが380円の牛丼だが、吉野家にとっては、正に磨きぬかれた究極の商品であって、これ以上でもこれ以下でも駄目で、吉野家がイメージした究極のレシペによる設計思想の体現であり、これを如何に無駄なく顧客まで運ぶか、吉野家は、サプライチェーンの構築に命をかけて来たと言えよう。
安部社長の話を聞いていると、この牛丼は、東大藤本教授の言う自動車やTVなど工業製品と少しも変わらないものづくりの産物であることを実感する。
ところで、非常に興味深いのは、2004年初からの牛丼抜きの代替メニューなのだが、
まず、メニュー数確保と調理器具模索の為に、カレー丼、いくら鮭丼、焼鶏丼、マーボー丼、豚丼、角煮きのこ丼、
続いて、客数確保メニューの模索と調理器具開発の為に、牛鉄鍋膳、チキン定食、ハンバーグ定食、鰻まぶし丼、ソースかつ丼、牛カレー丼、
加えて、メニューミックス確保と利益構造構築の為に、和風ハンバーグ丼、野菜たっぷり鶏竜田鍋、と、3ヶ月ごとにターゲットを決めて、定番食品の開発を模索したと言う。
内部崩壊を回避し、生き抜くために、2万人の従業員に、吉野家の培ってきた技術とノウハウを信じて、積み上げた虎の子の300億円あるから何でもやれとハッパをかけて、失敗と朝令暮改は日常茶飯事、試行錯誤が始まった。
「勝つまで戦え、勝つまでやる」と言う敢闘精神での突撃であるから負ける訳がない。
しかし、よく考えてみると、代替メニューの内、現在でも残っているのは、豚丼だけで、如何に、吉野家の迷走振りが大変だったかと言うことが良く分かる。
2006年9月18日の「牛丼復活祭」で、吉野家の店頭が熱烈なファンの歓声で沸きあがり、全従業員が感激一入であったと安部社長は述懐していたが、とどのつまりは、牛丼あっての吉野家なのである。
興味深かったのは、吉野家のモットー(コア・エッセンス)は、「うまい、早い、安い」だが、時代の流れでお客の比重の置き方が違ってくると言う。
チェーン化した時は、早い、うまい、安いだったが、
80・90年代には、うまい、早い、安いとなり、
200年代には、うまい、安い、早いで、安さが復活してきたと言うことだが、如何せん、食料価格の高騰で、新メニューと称して少し手を加えるだけで値段を上げるなど、吉野家も値上げを模索し始めている。
安部社長は、経営方針の一貫として「客数主義」を標榜していると言っていたが、最盛期の1日80万人が、現在では60万人に減っているらしい。
同時に語っていたのが「来客頻度主義」だが、吉野家の場合には、新規顧客が0.0%の単位のようで、新規開店以外には、殆ど期待できないので、リピーターの来客頻度をアップする方がはるかに効果的な販売戦略のように思われる。
もう一つ示唆的だったのは、利益至上主義的な経営方針で、利益は、従業員などへの配分原資や将来的展開にも必須で、前進への糧として極めて大切だと、ピーター・ドラッカー流の将来コストだと認識した経営姿勢を語っていたことである。
エンタープライズ・リスク・マネジメント2008の講演であったので、安部社長は、次のようなことから話し始めた。
食の安全について、実質的な健康被害を扱うのではなく、大半は情緒的な風評を強調したメディアに捻じ曲げられて報道された社会現象で、これに過剰反応し、オーバーリアクションしたマネジメントが食品偽装を招くなど問題を起こしている。
企業としては、軽々に頭を下げるのではなく毅然とした態度で本質論を説明することが大切で、謝るとしても、マスコミなどではなくお客さまに対して行うのである。
広報室長が無理に格好付けて作ったパワーポイントなので、多少違っているが、私の言うことが真実だと言いながら、1時間にわたって興味深い吉野家の経営について語ったが、
中小企業時代のマネジメント・チームがそのまま大企業に上り詰めてしまったので、新陳代謝の為に純粋持株会社に切り替えたのだとのコメントが、問題点を浮き彫りにしていて面白い。
(追記)本ブログ2007.7.27「究極のレシペ牛丼が消えた経営」にて、安部社長の別な講演をコメント。
牛丼単品で、800万人の顧客を相手に15%の営業利益を上げていた超優良企業にとって、米国産牛肉が手に入らないと言うことは、肝心のウリモノの牛丼の原材料の供給が完全にストップすることで、営業継続が可能なのかどうか死活問題である。
全店の在庫とシッピング途中の牛肉をかき集めれば何時まで営業が出来るのか、応接室を緊急対策本部に切り替えて、常務役員が担当業務の問題点を洗い出し、休みなしの社風が幸いし、危機突破作戦に没頭したと言う。
ここで、素人の私に興味深いのは、米国産の牛が駄目なら、オーストラリアでもアルゼンチンでも安い肉はどこにもあるのだから、それに切り替えれば良いじゃないかと思うのだが、吉野家は断じてアメリカ産の牛肉でないと駄目だと言うことである。
アルゼンチンもブラジルもオーストラリアも、そのブレンドも、あらゆる肉を使って試みたが米国産牛肉100%の牛丼と比べれば、味が劣化して、吉野屋の完璧なレシペを満足出来なかったので、牛丼を休止して、そのかわり、代替品に切り替えて営業を続けることを決断したのである。
吉野家の牛丼のこだわりとして、安部社長が説明したのが、この口絵写真だが、肉は、生産量の安定している米国産牛肉を原料から製品まで一元管理しており、牛肉のスライスは0.1ミリ単位でコントロールしている。
たまねぎ一つにしても、糖度が違うと味のバランスが狂ってくるのでコメやたれなどを含めて細心の注意を払って調整すると言うことで、吉野家の究極のレシペを少しでも外れたり、従来のサービスをミスったりするとお客は満足しないのだと言う。
たかが380円の牛丼だが、吉野家にとっては、正に磨きぬかれた究極の商品であって、これ以上でもこれ以下でも駄目で、吉野家がイメージした究極のレシペによる設計思想の体現であり、これを如何に無駄なく顧客まで運ぶか、吉野家は、サプライチェーンの構築に命をかけて来たと言えよう。
安部社長の話を聞いていると、この牛丼は、東大藤本教授の言う自動車やTVなど工業製品と少しも変わらないものづくりの産物であることを実感する。
ところで、非常に興味深いのは、2004年初からの牛丼抜きの代替メニューなのだが、
まず、メニュー数確保と調理器具模索の為に、カレー丼、いくら鮭丼、焼鶏丼、マーボー丼、豚丼、角煮きのこ丼、
続いて、客数確保メニューの模索と調理器具開発の為に、牛鉄鍋膳、チキン定食、ハンバーグ定食、鰻まぶし丼、ソースかつ丼、牛カレー丼、
加えて、メニューミックス確保と利益構造構築の為に、和風ハンバーグ丼、野菜たっぷり鶏竜田鍋、と、3ヶ月ごとにターゲットを決めて、定番食品の開発を模索したと言う。
内部崩壊を回避し、生き抜くために、2万人の従業員に、吉野家の培ってきた技術とノウハウを信じて、積み上げた虎の子の300億円あるから何でもやれとハッパをかけて、失敗と朝令暮改は日常茶飯事、試行錯誤が始まった。
「勝つまで戦え、勝つまでやる」と言う敢闘精神での突撃であるから負ける訳がない。
しかし、よく考えてみると、代替メニューの内、現在でも残っているのは、豚丼だけで、如何に、吉野家の迷走振りが大変だったかと言うことが良く分かる。
2006年9月18日の「牛丼復活祭」で、吉野家の店頭が熱烈なファンの歓声で沸きあがり、全従業員が感激一入であったと安部社長は述懐していたが、とどのつまりは、牛丼あっての吉野家なのである。
興味深かったのは、吉野家のモットー(コア・エッセンス)は、「うまい、早い、安い」だが、時代の流れでお客の比重の置き方が違ってくると言う。
チェーン化した時は、早い、うまい、安いだったが、
80・90年代には、うまい、早い、安いとなり、
200年代には、うまい、安い、早いで、安さが復活してきたと言うことだが、如何せん、食料価格の高騰で、新メニューと称して少し手を加えるだけで値段を上げるなど、吉野家も値上げを模索し始めている。
安部社長は、経営方針の一貫として「客数主義」を標榜していると言っていたが、最盛期の1日80万人が、現在では60万人に減っているらしい。
同時に語っていたのが「来客頻度主義」だが、吉野家の場合には、新規顧客が0.0%の単位のようで、新規開店以外には、殆ど期待できないので、リピーターの来客頻度をアップする方がはるかに効果的な販売戦略のように思われる。
もう一つ示唆的だったのは、利益至上主義的な経営方針で、利益は、従業員などへの配分原資や将来的展開にも必須で、前進への糧として極めて大切だと、ピーター・ドラッカー流の将来コストだと認識した経営姿勢を語っていたことである。
エンタープライズ・リスク・マネジメント2008の講演であったので、安部社長は、次のようなことから話し始めた。
食の安全について、実質的な健康被害を扱うのではなく、大半は情緒的な風評を強調したメディアに捻じ曲げられて報道された社会現象で、これに過剰反応し、オーバーリアクションしたマネジメントが食品偽装を招くなど問題を起こしている。
企業としては、軽々に頭を下げるのではなく毅然とした態度で本質論を説明することが大切で、謝るとしても、マスコミなどではなくお客さまに対して行うのである。
広報室長が無理に格好付けて作ったパワーポイントなので、多少違っているが、私の言うことが真実だと言いながら、1時間にわたって興味深い吉野家の経営について語ったが、
中小企業時代のマネジメント・チームがそのまま大企業に上り詰めてしまったので、新陳代謝の為に純粋持株会社に切り替えたのだとのコメントが、問題点を浮き彫りにしていて面白い。
(追記)本ブログ2007.7.27「究極のレシペ牛丼が消えた経営」にて、安部社長の別な講演をコメント。