「強国論」の著者デビッド・S・ランデスが、世界の企業王国の繁栄と衰亡についてスケールの大きい面白い本「ダイナスティ」を書いた。
副題は、「世界の偉大なファミリー・ビジネスの繁栄と不運」で、強国論の時もタイトルは「国家の富と貧困」と言うことだったが、主題を明暗の両面から浮き彫りにするランデスの史観が鮮やかで、ロスチャイルドやロックフェラー、フォードやトヨタ等の企業王国の興亡の歴史が、大きな世界史をバックにダイナミックに描かれていて、卓越した経済学や経営学の視点からの分析がさらに本書の価値を増幅している。
ファミリー企業とは、創業者あるいはその家族によって所有され経営されている会社だが、ランデイは、ダイナスティの規定として、少なくとも三代は続き、アイデンティティと利害が継続しているものとしている。
ランデスの選んだダイナスティは、トヨタ以外は総て欧米の企業だが、これらの国が経済成長、イノベーションを牽引し現代を創造したからだと言う。
ランデスは、ダイナスティは二つの要因、即ち、ビジネス活動の内容とビジネス活動をどう捉えているかに因るとして、銀行と自動車と鉱業に焦点を当てて論述している。
企業家を育成し新しいベンチャービジネスを開発するには、ファミリー企業に勝るものはなく、経済成長著しい開発途上国にあっては、ファミリー企業の起業と活力に期待する側面が強いと一般的には言われているが、しかし、世界企業の過半がファミリー企業であるし、大企業においても「フォーチュン500」の3分の1は、ファミリーの経営か創業者の家族が経営に参加していると言われている。
経済が進歩し、技術が急速の進歩を遂げてくると、当初はファミリー企業に適していた産業も、家族の枠を超えて、経営資本主義へと変貌して行き、更にファミリー企業は合併してコングロマリットやトラストを形成するなどして大きく変質して行った。
ランデイが最もファミリー企業に向いているとした銀行業において、ロスチャイルドは今でもファミリーバンクとして健在で、この銀行に口座を持つことは信用と名声の証となると言うのだが、資本や規模などその影響力においては株式組織の大銀行に太刀打ちできなくなっているし、ベアリングも消えてしまったしモルガンも僅かに名を残すのみとなってしまった。
IT革命を一番活用して成長を遂げて来たのは金融業だと言われているが、ハイテクのグローバル時代においては、信用と人脈が命であった銀行業も過去のものとなってしまったと言うことであろう。
ランデイのこの本で、一番興味深いのは、やはり、フランクフルトのユダヤ人ゲットーから身を興したマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに始まるロスチルドの壮絶な歴史で、ランデイは、良くも悪くもユダヤ人と言う過酷な運命を背負って生き抜いてきた資本主義の代表とも言うべきダイナスティの興亡を余すことなく活写している。
ロスチャイルドの成功の秘訣は、どうも、子孫の血統維持と厳格なビジネス倫理の継承にあったようで、多くのダイナスティは、有能な後継子孫にビジネスを継承できなかくて消えて行っている。
自動車の場合は、大分趣が違っていて、イタリアのアニェッリ家とフィアット、フランスのプジョー、ルノー、シトロエンと言ったファミリー色の強いダイナスティの系譜を扱っているが、やはり、面白いのはフォードの話である。
T型の大量生産方式で正にアメリカ資本主義の発展を始動したフォードだが、晩年には、海軍上がりのセミプロのボクサーである用心棒ハリー・ベネットを重用し過ぎて、組合潰しを謀ってルーズベルト大統領と対峙したり息子のエドセルを見殺しにするなど晩節を汚してしまった。
未亡人や夫人連中に株を売却すると脅されてフォードもベネットへの政権移譲を思い止まったようだが、後を継いだヘンリー2世が、台頭著しいアイアコッカと対立し追い落としに四苦八苦した話などとにかく面白い。
余談だが、あのフォードでさえそうなのだから、出井伸之氏の本を読んでいてソニー改革の為に何故リーダーシップを強力に発揮出来なかったのかもどかしさを感じていたが、強力な抵抗勢力の多いソニーでは当然であろうと出井氏の苦衷が分かったような気がした。
トヨタについては、非常に好意的な叙述だが、豊田英二会長までで話が終わっていて、プロ経営者に移ってからのトヨタの大躍進について語っていないのが一寸残念である。
何故なら、自動車産業では、銀行と異なり個人の人脈や顧客の信用以上に、知識、イノベーション、洞察力を必要とし、ひとつの家族の域を超えて、外部から専門的知識や技術を導入しなければならないとランデス自信が説いているからである。
現在の経済学の通説では、ビジネスの世界にダイナスティは本質的に不可能であり、過去の産物に過ぎない、同族企業は経済に牽引車としては不適切で非能率で、既に役割を終えたとされ、かわりに法人組織や株式組織が好まれると言う。
アルフレッド・D・チャンドラーJrが、企業が成長して行けば複雑化して数々の問題が生じ、そのためのスキルや知識は、いくら才能に恵まれた家族でも対応できなくなり、外部から有能な専門家や技術者を導入しなければならないと経営者資本主義への移行を説いている。
所有の面では、ファミリービジネスとしての側面を残す可能性はあっても、経営の分野においては、大企業化して企業そのものが複雑化して行けば、必然的にプロの経営者のマネジメントに頼らざるを得なくなる、そんな趨勢にあると言うことであろうか。
結局、ファミリー・ビジネスのDNAは、トヨタウエイ、松下ウエイ、ソニーウエイ、キヤノンウエイと言った形で発展進化を遂げながら継承されて行くのであろうか。
副題は、「世界の偉大なファミリー・ビジネスの繁栄と不運」で、強国論の時もタイトルは「国家の富と貧困」と言うことだったが、主題を明暗の両面から浮き彫りにするランデスの史観が鮮やかで、ロスチャイルドやロックフェラー、フォードやトヨタ等の企業王国の興亡の歴史が、大きな世界史をバックにダイナミックに描かれていて、卓越した経済学や経営学の視点からの分析がさらに本書の価値を増幅している。
ファミリー企業とは、創業者あるいはその家族によって所有され経営されている会社だが、ランデイは、ダイナスティの規定として、少なくとも三代は続き、アイデンティティと利害が継続しているものとしている。
ランデスの選んだダイナスティは、トヨタ以外は総て欧米の企業だが、これらの国が経済成長、イノベーションを牽引し現代を創造したからだと言う。
ランデスは、ダイナスティは二つの要因、即ち、ビジネス活動の内容とビジネス活動をどう捉えているかに因るとして、銀行と自動車と鉱業に焦点を当てて論述している。
企業家を育成し新しいベンチャービジネスを開発するには、ファミリー企業に勝るものはなく、経済成長著しい開発途上国にあっては、ファミリー企業の起業と活力に期待する側面が強いと一般的には言われているが、しかし、世界企業の過半がファミリー企業であるし、大企業においても「フォーチュン500」の3分の1は、ファミリーの経営か創業者の家族が経営に参加していると言われている。
経済が進歩し、技術が急速の進歩を遂げてくると、当初はファミリー企業に適していた産業も、家族の枠を超えて、経営資本主義へと変貌して行き、更にファミリー企業は合併してコングロマリットやトラストを形成するなどして大きく変質して行った。
ランデイが最もファミリー企業に向いているとした銀行業において、ロスチャイルドは今でもファミリーバンクとして健在で、この銀行に口座を持つことは信用と名声の証となると言うのだが、資本や規模などその影響力においては株式組織の大銀行に太刀打ちできなくなっているし、ベアリングも消えてしまったしモルガンも僅かに名を残すのみとなってしまった。
IT革命を一番活用して成長を遂げて来たのは金融業だと言われているが、ハイテクのグローバル時代においては、信用と人脈が命であった銀行業も過去のものとなってしまったと言うことであろう。
ランデイのこの本で、一番興味深いのは、やはり、フランクフルトのユダヤ人ゲットーから身を興したマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに始まるロスチルドの壮絶な歴史で、ランデイは、良くも悪くもユダヤ人と言う過酷な運命を背負って生き抜いてきた資本主義の代表とも言うべきダイナスティの興亡を余すことなく活写している。
ロスチャイルドの成功の秘訣は、どうも、子孫の血統維持と厳格なビジネス倫理の継承にあったようで、多くのダイナスティは、有能な後継子孫にビジネスを継承できなかくて消えて行っている。
自動車の場合は、大分趣が違っていて、イタリアのアニェッリ家とフィアット、フランスのプジョー、ルノー、シトロエンと言ったファミリー色の強いダイナスティの系譜を扱っているが、やはり、面白いのはフォードの話である。
T型の大量生産方式で正にアメリカ資本主義の発展を始動したフォードだが、晩年には、海軍上がりのセミプロのボクサーである用心棒ハリー・ベネットを重用し過ぎて、組合潰しを謀ってルーズベルト大統領と対峙したり息子のエドセルを見殺しにするなど晩節を汚してしまった。
未亡人や夫人連中に株を売却すると脅されてフォードもベネットへの政権移譲を思い止まったようだが、後を継いだヘンリー2世が、台頭著しいアイアコッカと対立し追い落としに四苦八苦した話などとにかく面白い。
余談だが、あのフォードでさえそうなのだから、出井伸之氏の本を読んでいてソニー改革の為に何故リーダーシップを強力に発揮出来なかったのかもどかしさを感じていたが、強力な抵抗勢力の多いソニーでは当然であろうと出井氏の苦衷が分かったような気がした。
トヨタについては、非常に好意的な叙述だが、豊田英二会長までで話が終わっていて、プロ経営者に移ってからのトヨタの大躍進について語っていないのが一寸残念である。
何故なら、自動車産業では、銀行と異なり個人の人脈や顧客の信用以上に、知識、イノベーション、洞察力を必要とし、ひとつの家族の域を超えて、外部から専門的知識や技術を導入しなければならないとランデス自信が説いているからである。
現在の経済学の通説では、ビジネスの世界にダイナスティは本質的に不可能であり、過去の産物に過ぎない、同族企業は経済に牽引車としては不適切で非能率で、既に役割を終えたとされ、かわりに法人組織や株式組織が好まれると言う。
アルフレッド・D・チャンドラーJrが、企業が成長して行けば複雑化して数々の問題が生じ、そのためのスキルや知識は、いくら才能に恵まれた家族でも対応できなくなり、外部から有能な専門家や技術者を導入しなければならないと経営者資本主義への移行を説いている。
所有の面では、ファミリービジネスとしての側面を残す可能性はあっても、経営の分野においては、大企業化して企業そのものが複雑化して行けば、必然的にプロの経営者のマネジメントに頼らざるを得なくなる、そんな趨勢にあると言うことであろうか。
結局、ファミリー・ビジネスのDNAは、トヨタウエイ、松下ウエイ、ソニーウエイ、キヤノンウエイと言った形で発展進化を遂げながら継承されて行くのであろうか。