都民芸術フェスティバルで都響の演奏会が、東京芸術劇場であった。
指揮は、今急速に人気が出ている金聖響で、スメタナの歌劇「売られた花嫁」序曲、ソプラノ森麻季独唱でモーツアルトのモテットとオペラのアリア、それに、最後は、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」であった。
私は、去年のトヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン演奏会でモーツアルトのオペラの素晴らしいアリアに感銘を受けていたので、特に森麻季に期待して出かけた。
白い綺麗なコンサート・ドレスを身に着けて手をしっかり前に組んで、訴えかけるように歌う実に優雅な佇まい、それに、素晴らしく美しいソプラノで、オペラの舞台を見たいと思いながら聴いていた。
プラシド・ドミンゴ・世界オペラ・コンテストで優勝し、ワシントンを皮切りに世界のヒノキ舞台で活躍中と言うことだが、リゴレットのジルダや、「こうもり」のアデーレ、「ホフマン物語」のオランピア等を歌っているようで、私は、モーツアルトのオペラを聴きたいと思っている。
その日、シアターコクーンで、蜷川幸雄の「ひばり」で松たか子の舞台を楽しむ為に、ニコンの双眼鏡を持って行っていたので、2階の中央真ん中だったが、時々、森麻季の表情を追っていた。やはり、同じ様なファンが居るもので、隣の青年も双眼鏡を離さなかった。
コンサート会場には、最近、無料雑誌PLAYBILLが置かれている。
アメリカでは、コンサートホールや劇場で、パンフレットを兼ねていて、昔から配布されていたが、可なり、しっかりした小冊子で、カレント・トピックスなどクラシック音楽やプレイに関する話題が載っていて面白かった。
日本でも、その劇場のプログラムや世界の音楽ニュースなど盛り沢山の記事が載っていて、それに、質も高く面白い。
今回、QUEEN OF OPERAとしてビバリー・シルスの面白い記事が載っていた。
その中で、シルスが、「この世で最も美しい音は、訓練され磨き上げられた人の声。」と言っており、「美しいものには誰もが敏感に反応します。天井を突き抜けるようなソプラノを聴き、感動で涙するお客様が確実に居ることを私は知っています。」とも言っている。
昔、ライブ・コンサートを聴くことの重要性について語った時に、小澤征爾が、人間の歌声と楽器の音色が一番美しいのだ言っていた。
私は、森麻季のモーツアルトを聞いていて、その美しさを実感していた。
ところで、ビバリー・シルスだが、もう80歳に近いと思うが、先月、METライブ・ビューイングで、若々しくてチャーミングな元気な姿を見せていた。たった一度だけだが、フィラデルフィアに居た時、ニューヨーク・シティ・オペラに「アンナ・ボレーナ」を聴きに行った。
当時、アメリカNO.1のソプラノであった筈だが、殆ど、シティ・オペラで歌っていて、METで本格的に歌ったのはもっと後になってからであった。
しかし、大学院の試験の合間をぬってのニューヨーク行きだったが、丁度絶頂期のシルスの素晴らしい舞台に感激して深夜にフィラデルフィアに帰った。
シルスが言うように、素晴らしいソプラノで、人びとを泣かせて来たのであろうと思う。
その時に買ったシルスサイン入りの自伝の書「Bubbles: An Encore」が今も手元にある。
ところで、金聖響の「悲愴」だが、冒頭から、ロシアの陰鬱な暗さや陰りのない、実にからっとした、しかし、非常にダイナミックな素晴らしいチャイコフスキーであった。
東京都交響楽団は、やはり、凄いオーケストラであると思う。
しかし、コンサートで嫌なのは、良く知っていると言うことを示したくて真っ先に拍手をする人、それも、タイミングが早すぎる人で、今回も、あの『悲愴』の最後で、金聖響がまだ指揮台の上で静かに下を向いたままの指揮姿なのに手をたたく人が居て雰囲気をぶち壊してしまった。
第3楽章の終わりで拍手しかけた人が居たが、コンサートには最低限度のマナーがあり、特に、演奏終了直後の余韻と言うものは極めて重要なのである。
私自身は、殆どのオペラやクラシックのコンサートでは、感激して堪らずに拍手すると言うことはなくて、良ければ良いほど、その余韻をじっくりと楽しんでから、一呼吸置いて拍手したいと思っている。
指揮は、今急速に人気が出ている金聖響で、スメタナの歌劇「売られた花嫁」序曲、ソプラノ森麻季独唱でモーツアルトのモテットとオペラのアリア、それに、最後は、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」であった。
私は、去年のトヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン演奏会でモーツアルトのオペラの素晴らしいアリアに感銘を受けていたので、特に森麻季に期待して出かけた。
白い綺麗なコンサート・ドレスを身に着けて手をしっかり前に組んで、訴えかけるように歌う実に優雅な佇まい、それに、素晴らしく美しいソプラノで、オペラの舞台を見たいと思いながら聴いていた。
プラシド・ドミンゴ・世界オペラ・コンテストで優勝し、ワシントンを皮切りに世界のヒノキ舞台で活躍中と言うことだが、リゴレットのジルダや、「こうもり」のアデーレ、「ホフマン物語」のオランピア等を歌っているようで、私は、モーツアルトのオペラを聴きたいと思っている。
その日、シアターコクーンで、蜷川幸雄の「ひばり」で松たか子の舞台を楽しむ為に、ニコンの双眼鏡を持って行っていたので、2階の中央真ん中だったが、時々、森麻季の表情を追っていた。やはり、同じ様なファンが居るもので、隣の青年も双眼鏡を離さなかった。
コンサート会場には、最近、無料雑誌PLAYBILLが置かれている。
アメリカでは、コンサートホールや劇場で、パンフレットを兼ねていて、昔から配布されていたが、可なり、しっかりした小冊子で、カレント・トピックスなどクラシック音楽やプレイに関する話題が載っていて面白かった。
日本でも、その劇場のプログラムや世界の音楽ニュースなど盛り沢山の記事が載っていて、それに、質も高く面白い。
今回、QUEEN OF OPERAとしてビバリー・シルスの面白い記事が載っていた。
その中で、シルスが、「この世で最も美しい音は、訓練され磨き上げられた人の声。」と言っており、「美しいものには誰もが敏感に反応します。天井を突き抜けるようなソプラノを聴き、感動で涙するお客様が確実に居ることを私は知っています。」とも言っている。
昔、ライブ・コンサートを聴くことの重要性について語った時に、小澤征爾が、人間の歌声と楽器の音色が一番美しいのだ言っていた。
私は、森麻季のモーツアルトを聞いていて、その美しさを実感していた。
ところで、ビバリー・シルスだが、もう80歳に近いと思うが、先月、METライブ・ビューイングで、若々しくてチャーミングな元気な姿を見せていた。たった一度だけだが、フィラデルフィアに居た時、ニューヨーク・シティ・オペラに「アンナ・ボレーナ」を聴きに行った。
当時、アメリカNO.1のソプラノであった筈だが、殆ど、シティ・オペラで歌っていて、METで本格的に歌ったのはもっと後になってからであった。
しかし、大学院の試験の合間をぬってのニューヨーク行きだったが、丁度絶頂期のシルスの素晴らしい舞台に感激して深夜にフィラデルフィアに帰った。
シルスが言うように、素晴らしいソプラノで、人びとを泣かせて来たのであろうと思う。
その時に買ったシルスサイン入りの自伝の書「Bubbles: An Encore」が今も手元にある。
ところで、金聖響の「悲愴」だが、冒頭から、ロシアの陰鬱な暗さや陰りのない、実にからっとした、しかし、非常にダイナミックな素晴らしいチャイコフスキーであった。
東京都交響楽団は、やはり、凄いオーケストラであると思う。
しかし、コンサートで嫌なのは、良く知っていると言うことを示したくて真っ先に拍手をする人、それも、タイミングが早すぎる人で、今回も、あの『悲愴』の最後で、金聖響がまだ指揮台の上で静かに下を向いたままの指揮姿なのに手をたたく人が居て雰囲気をぶち壊してしまった。
第3楽章の終わりで拍手しかけた人が居たが、コンサートには最低限度のマナーがあり、特に、演奏終了直後の余韻と言うものは極めて重要なのである。
私自身は、殆どのオペラやクラシックのコンサートでは、感激して堪らずに拍手すると言うことはなくて、良ければ良いほど、その余韻をじっくりと楽しんでから、一呼吸置いて拍手したいと思っている。