は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

昭和の名司会者、玉置宏さん逝く。。

2010-02-12 22:24:58 | ニュースから考える
「1週間のごぶさたでした」の名調子で親しまれた司会者の玉置宏(本名宏行=ひろゆき)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で死去した。76歳。川崎市出身。葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。
明治大卒業後、文化放送アナウンサーに。退社後、歌手の故三橋美智也さんの専属司会を務め、1958年から19年間、テレビの歌謡番組の草分け「歌のアルバム」の司会を担当した。流麗な語り口と、歌手の特徴をよくつかんだ紹介で、歌謡番組司会の第一人者として活躍した。
テレビ朝日系「スターものまね大合戦」のほか、ラジオで長年続いたニッポン放送の「玉置宏の笑顔でこんにちは!」や「平凡アワー」、NHK「ラジオ名人寄席」などでも親しまれた。
2002年に大衆芸能の拠点として開設された「横浜にぎわい座」(横浜市)の館長に就任。日本司会芸能協会会長も務めた。
東京新聞 2010年2月12日 16時28分

数々の名調子で親しまれた往年の名歌謡司会者・・玉置宏さんが、昨日、突然お亡くなりになったという。享年76歳。。

私がまだ小さかった頃のこと、親と一緒に、玉置さんの司会する歌謡番組を見ていたので良く覚えてる。。

当時の庶民の娯楽と言えば・・どこの家も大概、テレビの歌番組を見ることが多かったと思う。。

一日の仕事を終えて、家族で夕食を囲みながら、そろって同じ歌謡番組を見る・・・

あの頃の典型的な家族団らんの風景でなかったのか・・・

だから、あの頃の歌謡曲は、みな国民的歌謡曲である。。

そうした中で今も思い出されるのが司会者のスタイル・・・ナイトクラブでアルバイトしてたような?・・派手派手のラメ入りのジャケットに身を包んでいたのが忘れられない。。

そして軽やかな名セリフを操り、出場の歌手たちを、気持ちよくリードしていった。。

玉置宏さん以外にも、そうした有名な司会者は何人かいて、その中には宮田輝さんや、高橋圭三さんなどもおられた。。

それぞれに活躍した時代は少しずつ違っても、個性あふれる独特な語り口は・・今も記憶から離れない。。

「どうも、どうも」・・の高橋圭三さん。。

「一週間のご無沙汰です」、「歌は世につれ世は歌につれ」、「お口の恋人ロッテ」・・などなどの玉置宏さん。。

それが宮田輝さんとなると・・何故か思い出ないでいる。柔らかい語り口だったのだけは記憶しているが、他の二人のような個性溢れる語り口がなかったセイもあるのか?・・国会議員の印象ともダブルせいなのだろう・・・

いずれにしても、昭和の歌謡史を背負って来られた名司会者たち・・それが一人、また一人と欠けていくのは・・誠に残念としか言いようがない。。

ちなみに私の両親だが、以前、テレビ東京の「演歌の花道」が好きで欠かさず見ていた。だが・・この頃からか?・・Jポップ全盛の煽りを受けて・・徐々に演歌がすたれ始めた。。

私はJポップのみならず、今もなお演歌が好きである。「浮世舞台の花道は、表もあれば裏もある。花と咲く実に歌あれば 咲かぬ花にも歌ひとつ」・・・玉置さんのセリフではなかったが、これも私の中では・・なぜか忘れられないイントロとなっている。。

いずれにしろ、こうした「決めセリフ」を言える司会者がいなくなったのも・・昭和が遠くなっている所以に違いなく、寂しい思いは募る。。

謹んでご冥福をお祈りしたい。。。(v_v)





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