は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

虐待はいけない。。。。

2006-05-09 10:53:35 | ニュースから考える

8日午前9時40分ごろ、愛知県豊川市の病院から、「前夜、搬送された乳児のけがに不審な点がある」と、県警豊川署に通報があった。乳児は約5時間後に死亡、体に複数のあざがあり、同署は虐待を受けた可能性があるとみて、傷害致死容疑で父親(23)と母親(24)から事情を聴いている。死亡したのは同市桜町、重松夏蓮ちゃん(9か月)。7日夜、母親とみられる女性が自宅から119番通報したが、病院に運ばれた時にはすでに心肺停止状態だったという。 (2006年5月8日20時4分 読売新聞)

「子育て」には「仕付け」を理由に、已む得ず「体罰」に至るケースもある。しかし「のべつ幕なし」でする事などは考えられない。あくまでも已むに已まれぬ仕儀による「限定的」なものである。。。。

「虐待」になりはしないかと?一切の「体罰」を否定しまうのは?かえってミスリードである。「鉄は熱いうちに打て」の例え通り幼児期の「仕付け」は重要である。小さい頃から、社会のルールや道徳を教える事は大切だ。「欧米」でも社会の「ルール」や「道徳」などを、幼少期に厳しく教え込む傾向があるらしい。この態度は今の日本人にとって傾聴すべき態度ではないか?と感じている。。。

ただ。「仕付け」と「虐待」は本質的に違う。体罰は親も辛い。愛がなくして出来るものではない。一方「虐待」には愛を感じないし、むしろ「憎しみ」の裏返しと感じる部分もある。。。

記事の様な、ストレスや不満の履け口を子供に求める親達。昔は、こういうタイプの親は「ヒステリー」に多かった。要するに「病気」なのである。虐待を繰り返す親達は「周りの者」が気を付けて、早めに医者に診てもらう事を勧めるしかない。だが「言うは易し行なうは難し」で、なかなか出来ないのも事実。どこまで立ち入って良いものか?悩ましさは残る。児童相談所の苦しみも分かる。。。。。

 

 



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