は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

殺人者は公平に成敗せよ!・・・

2010-12-14 17:32:57 | ニュースから考える

千葉県東金市で2008年9月、保育園児成田 幸満 ( ゆきまろ )ちゃん(当時5歳)が殺害された事件で、殺人や死体遺棄などの罪に問われた同市、無職 勝木諒 ( かつきりょう )被告(23)の初公判が、17日に千葉地裁で開かれる。
13日の公判前整理手続きで決まった。
起訴事実に争いはなく、争点は、被告の訴訟能力の有無や責任能力の程度となる見込み。弁護側は「被告は知的障害があり裁判内容を理解できない。犯行時は心 神喪失か少なくとも心神耗弱の状態だった」と主張する方針。検察側は、精神鑑定などの結果から「完全責任能力はある」とする。判決は来年3月4日。
起訴状などによると、勝木被告は2008年9月21日、東金市の路上で見かけた幸満ちゃんを、近くの自宅マンションに連れ帰り、水の入った浴槽に沈めて窒息死させ、近所の資材置き場付近に遺体を遺棄したとしている。 (2010年12月13日21時28分  読売新聞)


軽犯罪なら・・責任能力云々もいいが、重大事件、取り分け「殺し」の案件で、そんなのを持ち出すの卑怯千万だ。。

命にスペアーがあれば、まだしもながら、森羅万象そんなモノはない。。

殺された方は、たった一つしかない掛け替えのない命を奪われたのである。。

しかも本件は幼い子が犠牲になっている。。

百歩譲って、過失によるものなら、運命を受け入れ、何処かで心の区切りを付けねばならないが、・・・故意に殺されて、簡単に諦められるハズもなかろう・・・無慈悲すぎる。。

無くなった者、その遺族たちにとっての想いとは、裁判により加害者に納得のいく判決が下されることである。。

それがなされて・・・初めて死んで逝った者への手向けとなる。。

さむなくば、何処まで行っても、遺族の心の整理が付くはずもなく、無念な思いを引きずりながら生きる他はない。。

こんな理不尽な話はない。。

本件に関わる裁判官や弁護人に、人の心が残っていることを・・・今は只管信じるのみである。。。\_(-_- 彡

 

 

 

 

 



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