は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

貧困時代を、どう乗り超えたらいいか・・・

2011-10-15 21:45:57 | ニュースから考える

警視庁野方署は14日、東京都豊島区池袋、無職柘原(つげはら)逮捕は13日。
民家に玄関から入り、カッターナイフをちらつかせて「お金に困っています。お金をください」と懇願したが追い返され、何も取らずに逃走したという。
発表では、柘原容疑者は13日午後9時頃、中野区野方の民家に侵入し、女性(34)を脅した疑い。 女性にけがはなかった。調べに対し、「知らない」と容疑を否認しているという。
現場に落ちていた財布に同容疑者の運転免許証が入っていたが、財布の中には72円しかなかったという。201110151657  読売新聞)


少し前のこと、朝霞の牛丼店に押し入った強盗で、「恒例のすき家強盗です。・・金を出せ!」・・・とフザケタ物言いをするものがいた。。

その容疑者は、後に逮捕されることになるのだが、調べで他店でも同様の犯行を繰り返していたことが判明している。。


そ れに引き換え、この容疑者は警察の取り調べに対し、未だ犯行を否認している模様であり、拙速な断定はし兼ねるが、仮に記事の内容が事実であったとすれば、 よほど生活に切羽つまっていたものと察せられる。。

その意味では誰にでも起こり得る時代だけに身につまされる部分もある。。

勿論、朝霞の犯人のように、最初の犯行が上手く成功していれば、それにより味をしめ、犯行が常習化する可能性も否定できない。。

それ故、強盗という重罪を同情により真っ向肯定する気は毛頭ない。。

ただ最近、世界のあちこちで格差是正を求める抗議デモが広がりつつあるのも事実。アメリカ、イギリスに次ぎ、日本にもその兆しはある。。

「アラブの春」と言われた先のイスラム界の民主革命も、もとは独裁者らの圧政に苦しむ民衆の不満を、Twitterなどのコミニュケーションツールを介することによって急速に連帯へと繋がっていったのである。。 

振り返れば、1991年に起きたソビエト社会主義の崩壊より、既に20年余りが過ぎようとしており、イデオロギーの勝者であった資本主義も、経済が安定している時は隠れて見えなかった矛盾が、経済成長の縮小が始まるにつれ表面化して来ているように見る。。

そこに民衆の不満が高まっているのだと思う。。

どうもそうした傾向が民主革命を成し遂げたイスラム国家を飛び越えて、資本主義・自由主義の本丸中の本丸である「アメリカ」にまで、及んできたのでは?とも思わせる節がある。。 

まあ、独裁国家の国々と違い、民主国家の頂点に立つアメリカだから、「アラブの春」の勢いが、そのまま伝わるとも思えないが、いずれにせよ、変革を求める民衆のウネリが、今後、何処まで盛り上がりを見せるのか・・・とても気になっているところ。。

問題は、オバマ政権が、そうした草の根とも言うべき民衆の声に何処まで応えるのかだ・・・そして自らの抱える矛盾に対し、どう修正し、どう立て直してゆくつもりなのか、その為にどんな方策があるのか・・・資本主義に試練の時が訪れているとみる。。

ただ何れも忘れてはならないのは、太古の時代、人間は獣でいた時代があったということ、・・・

野生の掟を背負って野山を駆け回っていた時代があったということ・・・それはこの先も絶対に忘れるべきではない・・・と思う。。

そから片時も目を背けてはいけない・・・と私は思っている(宗教によっては、この部分を始めから真っ向否定するとこから始まることがあるが、そうなるともう話にもならなくなる)。。

つまり・・・これからも「弱肉強食」の本能を背負って生きていくしかない・・・ということ。。

辛くても、そこは謙虚に受け止めるべきものであると考えている次第。。

そう考えた時、人間の作る社会制度は弱肉強食という生まれながらにして持つ野生の血や本能を、抑え込めるような制度など造り得ない・・・と気付くハズだ。。 

あれほど平等主義を謳っていた共産主義でさえ、イザッ蓋を開けてみれば、富める者と貧しきものが混在する見せかけの制度であった。。 

だからこそ、あの様な崩壊の過程を踏むことになるのであって、どのような制度であっても、人間の個体差を完璧に補えるモノなど存在するハズもなく、個体の能力差から、常に誰かが得をし、誰かが損をする・・という基本構造は何処まで行っても・・・永遠に変わらない・・・

人間社会も、所詮は獣らが生きる野生の延長なのですから・・・ 

つまり格差解消とは「人類永遠のテーマ」であって、この先も無くなることなど有り得ない・・・ということ。。

であるなら、むしろ格差の存在を正面から堂々と受け入れて、人類らしく「技術革新」にて、底辺に生きる弱者を救いあげる・・・という逆の発想に建つべきである。。

その為には、今のセーフティネットは、あまりに不十分過ぎであり、もっと大幅に拡充されるべきものである。。

その為にも、今なされているバラマキなどは、直ちに止めて頂き、現在支給している生活保護費の額もまた高額過ぎる為、直ちに減額すべきが相当である。。

そうでないから、一たび貰いはじめると、二度とそこから抜けだせない者が多くなるという・・・極めて悪循環が生まれてしまうのである。。 

私的な考えでいうと、現在の生活保護費は、年金受給者やフリーターらの月収を考えたとき、あまりに高額過ぎであり、今の半額、もしくは三分の一までに減額すべきである。。

さもなくば、老後は生活保護に逃げて、年金など積み立てる必要が無いと考える若者がドンドン増えていっても、その責任の一端は間違いなく、それを放置し続けて来た政府側にある。。

それらを抜本的に改善する為にも、大胆な減額は避けられないと知るべきだ。。

そして浮き出した財源を新たな原資として活用し、少しでも多くの未支給者らに積極的に支給すべきであると私は考える。。

一部の者だけが要領よく過度な便宜を受ける仕組みは改善すべきが本当であり、原資が常に「国民の税金」であるということを忘れずに、公平感ある使い方に徹してもらいたい。。

生活保護費も、或る特定の人だけに、階層だけに、気前よくブン撒ければ良い・・・というものでは決してない。。

なんでアイツラだけが貰って、なんで俺らには貰えないんだ・・・生活が苦しいのは、誰もが一緒なのに・・・不公平じゃないか・・・

こういう声に対し、ケツの穴が小さいことを言うな!・・・相互扶助じゃないか!・・・などと綺麗ごとを言い過ぎるから、世の中の不満が高まるのである。。

しつこいようだが、セーフティーネットとしての役割は大切なことながら、受給希望者が溢れている時世にあって、そんな綺麗ごとばかり言っていては、かえって反感を買うだけなのである。。

国家が行う生活支援は、少しでも多くの人たちに、広く、薄く、公平に・・・分配するという精神でやってもらいたい(これは民主党の進めるバラマキの考え方とは全く異なる)。。

前文に述べた、>人間の個体差を完璧に補えるモノなど存在するハズもなく、常に誰かが得をし、誰かが損をするという基本構造は何処まで行っても・・・永遠に変わらない・・・

だからこそ、一定の格差は仕方がないと考えるしかなく、にも拘らず、弱者を笠に着て、なにごとも要領よく立ち回ることで 国家から “過度に” 優遇されるシステムや社会にしてはいけない・・・

民主党のやり方を見ていると、選挙目的に使える特定の弱者だけ救って、あとの弱者は捨て石にする?・・・という考えにも見える。。

まぁ、人間は千手観音には成りえないから、已む得ない部分もあるのだが、・・・便宜を受けるものと、受けないものが有るようじゃ・・・やはり困るんですよ!・・・

繰り返して言いますが、・・・国民の出した税金を使う訳ですからね。・・・使い方は可能な限り平等にやってもらいたい!・・・

ましてや、税金を払ってないモノばかりを、 “ 過度に ” 優遇するような・・・不公平な使い方は是非とも改めて頂きたい。。

ええ恰好主義で無駄に税金を垂れ流し、挙句の果てに足らないから、・・・もっと取れ!もっと取れ!・・・では、バカヤロ!・・・って言いたくなります。。

それこそ・・・日本をギリシャのようにするつもりか?・・・って言いたくなります。。
まさに・・・ざけんなよ!・・・ですね。。

このことは、誰もが考える素朴な疑問と思われ、常々私が考えていることでもあります。。

そういう不公平感が解消されることにより、世の中に渦巻く多くの不満も、かなりの部分で解消に向かうものと考えますね。。。\_(-_- 彡